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2000 14TH PMA BAR HONDA 02 R.ZONTA
20世紀最大のオーバーテイク傍観者 リカルド・ゾンタ BAR HONDA 02 2000年リカルド・ゾンタはBAR残留 チームメイトは変わらずJ.ビルヌーブ F1第3期活動を開始したHONDAが BARにワークスエンジンを供給 開幕戦オーストラリアGPで 早くもHONDA効果が表れ ビルヌーブ4位 ゾンタ6位の ダブル入賞を飾りゾンタはF1初ポイント その後R14イタリア R15アメリカでも 6位入賞で年間3ポイント ランキング14位 ゾンタのハイライトはR13ベルギーGP M・シューマッハ(フェラーリ)と M・ハッキネン(マクラーレン)の 20世紀最大のオーバーテイクともいわれる 伝説のシーンで両者に挟まれる形で 周回遅れにされたのがゾンタであった モデルはミニチャンプス GP表記が無いRACE CAR仕様 タバコスポンサー禁止のGPでは LUCKY STRIKEが LOOK ALIKEと表記されていた R13ベルギーGP ゾンタのオンボードカメラ https://www.youtube.com/watch?v=pdAUoEnr8Ts&pp=ygUQMjAwMOW5tOOAgOOCueODkQ%3D%3D
240124 R.ZONTA 2000 22FW12C
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1999 14TH PMA RED BULL SAUBER PETRONAS C18 P.DINIZ
チームメイトに年間で勝利 P・デニス SAUBER PETRONAS C18 1999年デニスはアロウズからサウバーに移籍 チームメイトはジャン・アレジ デニスは強力なブラジルスポンサーマネーを チームにもたらすだけでなく ドライバ―としても勤勉化であった為 中堅チームからはオファーが絶えなかった デニスはギアボックストラブルなどもあり 年間での完走は僅か4(/16戦)回 しかしその完走の内の3戦で ねばりの6位入賞を果たした (R6カナダ R8イギリス R9ドイツ) この3Pで年間14位となり チームメイトのアレジ(2P)を上回った デニスは翌2000年もサウバーに残留 再びミカ・サロとタッグを組むことになる モデルはミニチャンプス デニス車はミラーとシート周辺は黄色 アレジ車は赤で区別されている この時代のザウバーは似たような カラーリングが多く セコハン市場価格も抑え気味
231103 P.DINIZ 1999 1/43FW12C
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1976 17TH SPARK COPERSUCAR FD04 E.FITTIPALDI
F1史上唯一のブラジル国籍のコンストラクター エマーソン・フィッテパルディ加入 1972年・1974年ワールドチャンピオン 1973年・1975年もランキング2位 エマーソン・フィッテパルディは 兄が立ち上げ自身もコンサルタントしていた コンストラクター コパーシュカーに移籍 1976年チームは2年目で早くも4代目となる COPERSUCAR FD04を開幕戦で投入 初戦の予選は5位と周囲を驚かせた(決勝R) 当初チームはブラジルを拠点に活動していたが ヨーロッパ中心のF1サーカスでは 輸送する金銭・時間的コストの弊害が多く シーズン途中でイギリスに移転 F1でのキャリアのピークであった エマーソンの力を持っても優勝争いに 絡むまでには至らず 1976年は 決勝6位が3回 3ポイント 年間順位は17位 ◆R16日本(富士SW)予選23位→決勝リタイア◆ この後エマーソンは1980年までの5年間 同チームに所属 チームは1982年まで活動 #F1-1976年 #1976年
E.FITTIPALDI 1976 30 1/43FW12C
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1979 18TH PMA ARROWS FORD A2 J.MASS
1979年アロウズはR8フランスGPより ニューマシンARROWS A2 を登場させた トニー・サウスゲートとデイブ・ワスが デザインしたA2は極めて独創的なマシン ノーズからリヤ・ウイングまで伸びている ベンチュリ構造が最大の特徴 しかしグランドエフェクトが 過激なほど大きくダウンフォースに 路面に押し付けられると ごくわずかな変化にも影響を受けて 安定性の欠くマシンとなってしまった ヨッフェン・マスはA2で R10ドイツとR12オランダで6位入賞も 終盤2戦は連続予選落ち 年間では前半モデルのA1の1Pと 合わせ3ポイント 年間順位18位 ヘルメットのBOSSは マスの個人スポンサーのHUGO BOSS ドイツの高級ファッションブランド #ヴァルシュタイナー #F1-1979年
J.MASS 30 1/43 ARROWSFW12C
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1990 15TH REVE COLLECTION TYRRELL 019 S.NAKAJIMA
現在に通ずるハイノーズ始祖 鈴鹿で6位 中嶋 悟 TYRRELL 019 R3サンマリノGPより ニューマシンティレル019を導入 斬新的な空力デザインで ノーズを持ち上げてフロア下部に気流を 流すというコンセプトは登場以来 他チームに多大なる影響を与えたマシン このマシンの開発は中嶋が担当 R6メキシコGP 予選は この年唯一のシングルグリット9位 しかしこのレースから6戦連続リタイア R12イタリアGPで決勝6位 R15日本GP鈴鹿でも6位に入り 同GP3位の鈴木亜久里(ラルース)共に 日本人初の入賞を果たす TYRRELL 019はチームメイトの J・アレジが2回 中嶋が2回の入賞4回 成績よりもハイノーズ始祖として 歴史と記憶に残るマシン #中嶋悟
S.NAKAJIMA 3 1/43 TYRRELLFW12C
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1987 15TH SPARK LARROUSSE LOLA LC87 P.ALLIOT
チームラルースF1進出 LC87 1名体制フィリップ・アリオー 1973・74年のルマン24時間チャンピオン F1参戦経験もあるジェラール・ラルースが 実業家のディディエ・カルメルと チームラルースを結成 F1参戦 シャーシは自製でなく名門ローラを使用 1987年初年度はアリオー1台体制 開幕戦はマシンの制作が間に合わずに エントリーしたが出走できず罰金 R2・R3連続完走後 R6ドイツで6位入賞 R13・R14も粘りの走りで連続6位 初年度ながら3度の入賞を果たす R14メキシコGPから2台体制で ヤニック・ダルマスが起用され 最終R16オーストラリアで5位入賞も 1台エントリー登録の為 ポイントは幻となってしまった それでも3ポイントは同胞フランスの リジェを抜いて(不振でシーズン1ポイント) コンストラクター9位となった https://muuseo.com/FW12C/items/192?theme_id=30175
P.ALLIOT 30 1/43 LARROUSSEFW12C