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1970 8TH QUARTZO MARCH 701 C.AMON (GP BELGIUM)
マーチに移籍 1秒差の2位 クリス・エイモン MARCH 701 1970年前年度フェラーリを離脱した クリス・エイモンは新規マーチに移籍 開幕から3戦連続リタイアで迎えた R4ベルギーGP 予選3番手 決勝は1周目にトップに立ち 1度は後退したものの3~4周目に再度浮上 その後はペドロ・ロドリゲス(BRM)に抜かれ トップに食らいつき最終28周目には ファステストラップで追い上げるも 1.1秒差の2位フィニッシュ 勝利には届かずキャリア2度目の2位であった モデルはQUARTZO R4ベルギーGP仕様 予選3位→決勝2位 自身初のファステストラップ記録 このモデルブランドのQUARTZOは ポルトガルのVITESSE(ビテス)社のブランド ビテスが2000年に破綻した為 型はIXOに移転 その後 Sun Star社(アメリカ?)がブランド継承 旧QUARTZOのエイモンのMARCH 701は フランスGP仕様での販売で カーナンバーやSTPのロゴなどが異なる https://muuseo.com/FW12C/items/1508?theme_id=43150
240218 C.AMON 1970 1回FW12C
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2016 6TH BBURAGO FERRARI SF16-H K.RAIKKONEN
2期3年目トータル9年目のフェラーリ キミ・ライコネン FERRARI SF16-H 2016年ライコネンはフェラーリ2期3年目 チームメイトはセバスチャン・ベッテル R2バーレーンGPで2位表彰台 R4スペインGPでは当時の最年少 18歳のマック・フェルスタッペン(レッドブル) 36歳のライコネンの年の差2倍バトル マックスが初優勝 ライコネン2位 ライコネンは2001年・2003年は マックスの父 ヨスともF1でバトルしている R4終了時はランキング2位 途中11戦連続入賞もあったが その間の表彰台は1回 年間で2位2回 3位2回 入賞17/21回 ラインギングは前年4位→6位に後退も ベッテルとの差は詰めて復調の兆しも見えた モデルはブラーゴ 2015年よりフェラーリのF1モデル廉価版が ホットウィール→ブラーゴに代わり 当時1/43シリーズのブラーゴは ドライバ―フィギュアレスのみ 1/18ではドライバ―付での販売 #2016年
231221 K.RAIKKONEN 2016 1回FW12C
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1969 8TH SPARK (FRANK WILLIAMS) BRABHAM BT26A P.COURAGE
フランク・ウイリアムズRC デビューマシン ピアス・カレッジ BRABHAM BT26A 9回のコンストラクターチャンピオン ウイリアムズF1の前身のチーム フランク・ウイリアムズ レーシングの デビューマシン ブラバムからマシンを購入 1969年シーズンに1台体制で参戦 ドライバ―はフランク・ウイリアムズの 同居人でもあったピアス・カレッジ イギリス出身 F1 3シーズン目 デビュー2戦目となる R3モナコGPで 予選9位から決勝は2位表彰台獲得 その後R10アメリカGPでも2位 年間4度の入賞で16P 年間順位は8位 初年度としては成功のシーズンであった ピアス・カレッジは生涯最高位2位の ドライバ―の1人でもある モデルはスパーク フランク・ウイリアムズのデビューとなった R2スペインGP仕様 予選11位→決勝リタイア フロント・リアに大型のウイングを 装着した仕様になっている
231109 P.COURAGE 1969 11FW12C
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1962 4TH SPARK LOLA MK4 J.SURTEES
ローラ・カーズ F1唯一のPP&2位 ジョン・サーティス LOLA MK4 1958年にエリック・ブロードレイによって 設立されたローラ・カーズは 各カテゴリーに於いて輝かしい成績を持つ F1では1962年プライベーターの レグ・パーネルの依頼を受けて コンストラクタ―としてマシンを供給し Bowmaker Racing Teamとして初参戦 ドライバ―はジョン・サーティス 開幕戦ローラ初戦でいきなりPPを獲得 決勝ではリタイアに終わったものの R2~R6まで5戦連続の入賞を果たし R5・R6では2位表彰台を獲得 F1に於いて通算14年間マシンを供給した ローラであるが予選PPは1回限り 決勝2位もこの年のみで通算の表彰台も 当年2回と1990年ラルース・ローラとして R15日本GP鈴鹿での鈴木亜久里の3位と3回のみ 1997年にはチームローラとして参戦も 開幕戦の予選落ち後にまさか即チーム解散となった モデルはスパーク R6ドイツGP仕様予選4位→決勝2位 サ―ティスはこの時の走りが認められて 翌1963年にフェラーリで初勝利 翌々1964年にワールドチャンピオンを掴む #1962年
231025 J.SURTEES 1962 14FW12C
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2017 4TH BBURAGO FERRARI SF70-H K.RAIKKONEN
ライコネン 129戦ぶり0.04秒差で ポール・ポジション獲得 FERRARI SF70-H 2017年キミ・ライコネンは 第2期フェラーリ4年目 トータルではフェラーリ10シーズン目 チームメイトはセバスチャン・ベッテル R6モナコGPの予選 3位V・ボッタス(メルセデス)+0.045秒差 2位S・ベッテル(フェラーリ)+0.043秒差で ポール ポジションを獲得 2008年R8フランスGP以来の129戦ぶり レースではベッテルに逆転され2位も フェラーリとしては2010年R11ドイツGP F・アロンソーF・マッサ以来 7年ぶりの1・2フィニッシュ 優勝はなかったものの表彰台は20戦中7回で 最終戦でダニエル・リカルド(レッドブル)を 逆転して年間順位は4位 翌2018年もフェラーリ残留となり 2期5年目トータル11年目の 最後のフェラーリを迎える
230501 K.RAIKKONEN 2回 7FW12C
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1998 9TH PMA BENETTON PLAYLIFE B198 G.FISICHELLA
ベネトン移籍ジャンカルロ・フィジケラ 自身初のPP獲得 BENETTON B198 1998年フィジケラはベネトンに移籍 チームメイトはアレクサンダー・ブルツ フィジケラはベネトンの名称が無くなる 2001年まで同チームに所属する ベネトンは開幕直前にタイヤを グッドイヤー→ブリヂストンに変更 これが功を奏した事もあり序盤は好調 フィジケラはR6モナコ・R7カナダと 2戦連続で2位表彰台を獲得 R10オーストリアでは雨の予選の中 自身初のポール・ポジション獲得 フィジケラの通算PPは4回 しかし決勝は無念のリタイア GY勢の巻き返しもあり後半は苦戦 最終戦でジョーダンに逆転されて コンストラクターは5位に転落 ベネトンのコンストラクターTOP4陥落は 1987年以来の出来事であった シーズン終盤にチームオーナーが デビット・リチャーズから創業一族の 末っ子ロッコ・ベネトンに移るなど チーム内のゴタゴタが成績にも影響した ベネトンらしい派手なカラーリングから スポンサーのマイルドセブン主体の ブルーを基調とするカラーで 少しおとなしい印象を受ける1台
230423 G.FISICHELLA 5 1/43FW12C
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1970 8TH QUARTZO MARCH 701 C.AMON (GP FRENCH)
新規チーム MARCHに移籍 クリス・エイモン MARCH 701 1970年 前年度フェラーリを離脱した クリス・エイモンは新規マーチに移籍 チームメイトはJ・シフェールの他 スポット参戦でマリオ・アンドレッティなど マーチのワークスチームにはSTPが メインスポンサーで赤ベースのカラーリング タイヤはファイヤストーン また前年度チャンピオンの ジャッキー・スチュワートもR10まで ティレルで同一のMARCH 701で参戦した エイモンはR4ベルギーGP 予選3位から自身初のファステストラップ リーダーラップも3周記録の2位表彰台を獲得 R6フランスGPでも生涯最後の2位(通算3度目) 年間では2位2回 3位1回など6度の入賞 またしても勝利とはならずも マーチワークスではトップの7位 同一マシンのティレルのスチュワートは5位 エイモンは1年でマーチを去り 翌1971年はマトラに移籍 #F1-1970年
230323 C.AMON 1回 14FW12C
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1995 7TH PMA McLAREN MP4/10 MERCEDES M.HAKKINEN
マクラーレン フル参戦2年目M・ハッキネン メルセデスエンジン 選手生命危機の事故 1992年HONDA撤退後 マクラーレンは FORD→プジョー→メルセデスと 4年で4種のエンジンメーカー 1995年に導入されたマシンMP4/10は エンジンカウルを水平方向に延長して その上の小型のセンターウィングが特徴 しかしながら他チームの追随も無く センターウイングの効果は懐疑的 不格好なハイノーズと共に空力面で 遅れを取り 結果2年連続 計33戦未勝利 ハッキネンはR12イタリアで2位 R15パシフィックは虫垂炎で欠場 (代役はJ・マグネッセン(デンマーク) 復帰のR16鈴鹿では再び2位も 年間の入賞は4回で順位は7位 最終戦のオーストラリア 予選 タイヤのパンク起因でウォールに激突 衝撃で舌を噛み切ってしまう等 選手生命の危機ともなる事故を起こす モデルの台紙はMERCEDES別注の初期 グレーのカラーをベースに スリーポインテッドスターが印刷されている #1995 #F1 #MERCEDES別注 #McLAREN #ハッキネン
M.HAKKINEN MERCEDES 7 1/43FW12C
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1979 7TH PMA LOTUS 79 C.REUTEMANN
フェラーリを離脱したカルロス・ロイテマンは 1979年前年度チャンピオンのロータスに移籍 TMは前年度WCのM・アンドレッティ ロータスは新車のロータス80を準備も 戦力にならずロイテマンは 前年度のロータス79でフルシーズンを戦う 前半7戦中6回入賞も後半は入賞ゼロ 1979年は前半7戦中4戦分・後半8戦中4戦分が 有効のポイント制度の為 獲得25P→有効20P 年間順位は7位で終わりロイテマンは 1年でロータスを離脱します 1979年チームロータスは スポンサーがJohn Player Specialから イタリアの酒造メーカー マルティーニ・エ・ロッシに変更 WCジム・クラークのファンである ロッシ氏の希望により車体は ブリティッシュ・グリーンに塗られたが 成績不振もありわずが1年で終了 #1979年 #LOTUS #F1-1979年
C.REUTEMANN 2 1/43 LOTUSFW12C
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2006 5TH PMA McLAREN MERCEDES MP4-21 K.RAIKKONEN
2006年マクラーレンは 【WEST】タバコのスポンサーが終了 テスト期間は暫定のオレンジ(画像2枚目)で走行 これはマクラーレンのチーム創設である B.マクラーレンの祖国ニュージ-ランドの イメージカラーでチーム設立初期にも使用された 開幕するとシルバーアローに UAEの航空会社エミレーツ航空が Rウイングに新たにスポンサーとして付いた ライコネンはこの年 表彰台6回も マクラーレン初年度の2002年以来の未勝利 TMのモントーヤは途中で離脱デラロサに変更 モデルはメルセデスの特別エディションの 台紙で当時通常モデルの約2倍の価格 ショーケースの中ではとても高級感があり 4~5回お店に通い悩んだ末に購入 現在では通常モデルとほぼ同じ価格帯 取引されており付加価値はないのですが どこで購入したかをはっきり覚えている 印象深い1台です #2006 #2021年ライコネン引退
K.RAIKKONEN 3回 2.000 3FW12C
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1988 9TH WILLIAMS JUDD FW12 N.MANSELL
#1988
N.MANSELL 5 1/43 BARCLAYFW12C
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1990 4TH PMA McLAREN HONDA MP4/5B G.BERGER
画像①PMA 画像②ONYX Marlboro仕様 画像③ONYX バーコード仕様 #F1-1990年
G.BERGER 28 1/43 McLARENFW12C
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1984 6TH BRUMM FERRARI 126 C4 R.ARNOUX
R.ARNOUX 28 1/43 FERRARIFW12C
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1984 7TH SPARK RENAULT RE50 D.WARWICK
1984年はワーウィックの ベストシーズン ルノーに移籍 チームメイトはP.タンベイ 開幕戦 ブラジルGPで予選3位 39週目にトップに立ち勝利目前 フロントサスペンション 壊れ惜しくもリタイヤ 昨年までルノーの プロスト(マクラーレン)が勝利 その後は2位2回 3位2回 FL1 生涯4回の表彰台は全てこの年 完走は6回中5回入賞もリタイヤ10回 モデルはR5フランスGP(予選7位→決勝R) タンベイがPP→2位獲得 最終R16ポルトガルでは ルノーチーム3台目をP.ストレイフが出走 こちらもモデル化を希望 #F1-1984年
D.WARWICK 14 1/43 RENAULTFW12C
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1987 6TH PMA McLAREN TAG MP4-3 S.JOHANSSON
フェラーリより移籍。チームメイトは2年連続WCのA・プロスト。 序盤3戦は3→4→2と順調であったが 課題の予選はプロストに16戦全敗。 R8ドイツGPで今年度2回目2位(通算4回目の2位) 表彰台は5回上がり30Pは生涯最多ポイント 年間順位は6位。 このモデルを手にした時に何か違和感?があり 80年代のモデルですが台紙がMcLarenのオリジナルから ロゴ入りのチェッカーに変わっていてスッキリしました。 2008年の4月に購入したのですが 当時は大阪に住んでいて 確か堺市にあったHONDA直営のLANDMARK というショップの閉店セールで購入。 発売されたばかりの商品も半額で売っていて 一気にコレクションが増えた記憶があります。 最後に店で日焼けしてしまったとのことで TOYOTAのポロシャツとスーパーアグリのTシャツをもらいました♪。 80年~90年のF1ブームの時は相当売れたんだろうなー。 2枚目・3枚目は1994年に発売されたFutera Sports Card です #F1-1987年
S.JOHANSSON 2 1/43 30PFW12C