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1971 6TH SPARK (WORLD WIDE RACING) LOTUS 56B E.FITTIPALDI
ガスタービンエンジン 四輪駆動車 試験的出場エマーソン LOTUS 56B 1971年 R9イタリアGP ロータスのワークスが欠場したこのGP エマーソン・フィッティパルディは ワールド・ワイドレーシイング名で ガスタービンエンジン (プラット&ホィットニー) 四輪駆動車で試験的にエントリーした インディ500とF1の両方を走る 単一のデザインの計画の一環として開発 マシンはワールド・ワイド レーシングの ゴールドカラーが施された しかし燃料補給無しで完走するための 大型燃料タンクは重量過多で競争力なく 予選18位→決勝は周回遅れの8位完走 このマシンはレイネ・ウィセルや デイブ・ウォーカーが他のレースで またエマーソン自身もノンタイトル戦で 出場したが56Bのマシン合計6回の出走で 完走したのはイタリアGP時のわずか1回であった モデルはスパーク エマーソンのF1本戦での四輪駆動車 LOTUS 56Bの唯一の出場となった イタリアGP仕様 予選18位→決勝8位 スパーク初期のシルバースリーブ 2010年に日暮里にあった ミニカーショップIKEDAで購入
240320 E.FITTIPALDI 1971 5FW12C
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2022 6TH BBURAGO MERCEDES-AMG F1 W13 E PERFORMANCE L.HAMILTON
連続年間勝利・予選PP記録ストップ ルイス・ハミルトン MERCEDES-AMG F1 W13 前年度逆転でチャンピオンを奪われ 2022年を失意で迎えたルイス・ハミルトン チームメイトはジョージ・ラッセルが加入 40年ぶりにグランドエフェクトカーが解禁 メルセデスはゼロポッドとも評される 革新的なサイドポッド処理を導入するも 序盤戦から他チームから遅れをとった ハミルトンは開幕戦バーレーンGP3位以降 7戦連続で表彰台を逃しこの7戦は すべてラッセルが決勝で上回った ラッセルがキャリア初優勝・初PPの中 ハミルトンは予選最高3位 決勝未勝利 2007年のデビュー以来継続してきた 年間勝利&PPが15年で途切れる形となった 年間順位も自己ワーストのランキング6位 チームメイトのラッセル(4位)にも敗れた モデルはBBURAGO GP仕様表記なしの本戦仕様 お馴染みのメルセデスシルバーに マレーシアの石油会社ペトロナスのグリーン インダクションポッドのレッドはINEOS イギリスに本社のある世界4位の化学会社で メルセデスAMGチームの約1/3の株式も保有する
240131 L.HAMILTON 2022 2回FW12C
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2016 6TH BBURAGO FERRARI SF16-H K.RAIKKONEN
2期3年目トータル9年目のフェラーリ キミ・ライコネン FERRARI SF16-H 2016年ライコネンはフェラーリ2期3年目 チームメイトはセバスチャン・ベッテル R2バーレーンGPで2位表彰台 R4スペインGPでは当時の最年少 18歳のマック・フェルスタッペン(レッドブル) 36歳のライコネンの年の差2倍バトル マックスが初優勝 ライコネン2位 ライコネンは2001年・2003年は マックスの父 ヨスともF1でバトルしている R4終了時はランキング2位 途中11戦連続入賞もあったが その間の表彰台は1回 年間で2位2回 3位2回 入賞17/21回 ラインギングは前年4位→6位に後退も ベッテルとの差は詰めて復調の兆しも見えた モデルはブラーゴ 2015年よりフェラーリのF1モデル廉価版が ホットウィール→ブラーゴに代わり 当時1/43シリーズのブラーゴは ドライバ―フィギュアレスのみ 1/18ではドライバ―付での販売 #2016年
231221 K.RAIKKONEN 2016 1回FW12C
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1999 6TH PMA WILLIAMS SUPERTEC FW21 R.SCHUMACHER
ウイリアムズに移籍 ラルフ・シューマッハ 孤軍奮闘 WILLIAMS SUPERTEC FW21 1999年ウイリアムズに移籍の F1 3シーズン目のラルフ・シューマッハ チームメイトはインディ帰りの アレサンドロ・ザナルディ 約2年落ちのルノーエンジンである スパーテックエンジンで苦戦の中 開幕戦オーストラリアGP 予選8位→決勝3位表彰台 16戦中12戦完走中11度の入賞 R12イタリアGPでは2位表彰台を 自身初のファステストラップで記録 ラルフの生涯FLは8回 チームメイトのザナルディが無得点の中 孤軍奮闘で表彰台3回35P 年間順位は6位 1999年評価を上げたドライバ―の1人であった チームはメカクローム(ルノー)エンジンと別れ 翌2000年はBMWエンジンでの参戦となる モデルはミニチャンプス タバコスポンサーのWinfieldの赤をベースに フェニックスをイメージしたようなカラー 1999年のみのカラーリング 同モデルはホットウィールからも発売
231121 R.SCHUMACHER 1999 1回FW12C
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2003 PMA 6TH RENAULT R23 F.ALONSO
フェルナンド・アロンソ 初表彰台 初優勝 RENAULT R23 2001年ミナルディでデビューの フェルナンド・アロンソは1年ブランク後 2003年ルノーでF1に復帰 チームメイトはヤルノ・トゥルーリ 開幕戦オーストラリアで初入賞7位 R2マレーシアで初PPから 決勝初表彰台3位獲得 その後も入賞を重ねて R13ハンガリーで2度目のPPより 決勝で初優勝を果たす 現在までのアロンソの優勝は32回 また初表彰台の2003年R2マレーシアGPから 2023年R13オランダでの2位表彰台は ミハエル・シューマッハがもっていた 記録を更新して最初と最後の表彰台の 最長ギャップ20年5ヶ月4日後となった まだまだ更新されそうです 2003年はチームメイトのトゥルーリを 圧倒して年間55ポイントで順位は6位 モデルはミニチャンプス MILD SEVEN仕様に加工しています
230831 F.ALONSO 2003 1回FW12C
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1961 6TH SPARK LOTUS 21 I.IRELAND〖🏆1〗
チームロータス ワークス初優勝 イネス・アイルランド LOTUS 21 イネス・アイルランド イギリス出身 筋がね入りの空挺隊員だったが 相続で引き受けた古いベントレーで レース活動を開始 1959年にチーム・ロータス設立2年目に加入 1961年は自身のロータス3年目 チームメイトはジム・クラーク 最終R8アメリカGP 予選8位 トップ走行のJ・ブラバムとS・モスが 相次いでトラブルでリタイアすると アイルランドが59/100からトップに立ち そのままチェッカーで優勝 1959年にロータスのマシンでは プライベーターでのS・モスの勝利があったが ワークス チーム・ロータスとしての初優勝 アイルランドはF1ではこれが唯一の勝利 現在までにF1での勝利が1勝のみの ドライバ―はイネスを含めて36人 ロータスに初優勝をもたらした アイルランドであったが翌1962年は J・クラーク中心の体制のなかで チームを解雇されプライベーター での参戦を余儀なくされた
230716 I.IRELAND 1961 1/43FW12C
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1980 6TH QUARTZO RENAULT RE20 R.ARNOUX
ルネ・アルヌー 初優勝からの連勝 ルノー・ターボの2・3勝目RENAULT RE20 1980年アルヌーはルノー2年目 チームメイトは昨年同様の ジャン・ピエール・ジャブイユ 開幕戦リタイアだったものの R2ブラジルGPで初優勝 続くR3南アフリカと連勝 アルヌーの通算勝利数は7勝 前半7戦で2勝含む入賞4回で チャンピオン狙える位置で折り返す 後半戦は予選で3戦連続PPがあったものの 入賞はR12オランダGPの2位のみ 年間順位は6位に終わる チームは4年目にして2人で3勝 コンストラクターも4位に躍進 アルヌーはジャブイユから チームエースの座を奪いルノーは アルヌー中心で回るようになり 翌1981年ジャブイユはリジェ・マトラに移籍 ルノーはオールフレンチ体制を維持し チームメイトにアラン・プロストを迎える
230606 R.ARNOUX 1980 4回FW12C
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1998 6TH PMA JORDAN MUGEN HONDA 198 D.HILL〖🏆1〗
無限HONDA搭載 デイモン最後の勝利は ジョーダン初優勝 MUGEN HONDA 198 1998年ジョーダンは無限HONDAエンジン獲得 ドライバ―もデーモン・ヒルを迎えて 盤石な体制と思われたが チームメイト ラルフ・シューマッハと共に 前半戦を終えてまさかのノーポイント しかし後半覚醒しデーモン・ヒルは R10ドイツGP R11ハンガリーGPで連続4位 そしてR12ベルギーGPでは シーズンベストとなる予選3位から 優勝を2位ラルフと1・2フィニッシュで決めた ジョーダンは1991年参戦以来137戦目で 嬉しい初優勝 ヒルは最後の22勝目 最終戦の鈴鹿最終コーナーでヒルは H・Hフレンツェン(ウイリアムズ)を抜き4位入賞 コンストラクタ―でもランク4位となった 画像1 イギリス限定発売 ハイボックス ドイツGP仕様 限定4.999個 画像2 通常版 2台のモデルに違いを見つける事ができない‥
230508 D.HILL 4.999 9FW12C
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1998 6TH PMA JORDAN MUGEN HONDA 198 "TOWER WING″ D.HILL〖🏆1〗
1998年のグッドイヤー勢のジョーダンは レギュレーション変更のグルーブドタイヤや ナローボディ化など対応に遅れ前半苦戦 タワーウイングを導入したものの 効果のほどは分からずに低迷した メインスポンサーである ベンソン&ヘッジスはイギリスのタバコブランド 古くからしたイギリス王室御用達に認めら パッケージに王室の紋章が印刷されていた 日本では1982年に廃番となり 通常では入手が困難なタバコ また1997年に開幕戦で撤退した ローラのメインスポンサーであった マスターカードは1998年は ジョーダンチームをサポート モデルのタワーウイング仕様は 下位のティレル・プロスト・ザウバーが 限定数2.222に対してジョーダンは3.333 フェラーリはアーバイン車が3.333 ミハエルはその3倍の限定数9.999個
230508 D.HILL "TOWER WING″ 3.333FW12C
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1978 6TH PMA BRABHAM BT46B "FANCAR" J.WATSON
デザイナー ゴードン・マレーの奇策 BRABHAM BT46B ファン・カー 1978年ブラバムは大柄の アルファロメオ水平対向V12エンジンでは 効果的なウイングカーを設計できなかった その打開策としてR8スウェーデンGP 車体後部に大型の送風機を装備した いわゆる ファン・カーを導入 ファンにより強力なダウンフォースを発生させ コーナリング速度の向上を図った デザイナーのゴードン・マレーは ファンの主目的はエンジン冷却用との 名目にして使用認可を得た 練習走行はあえてフルタンク ハードタイヤ で速さを隠し 予選ではワトソンは2番手 決勝ワトソンはスロトルトラブルでリタイアも TMのN・ラウダが途中より独走して優勝 その圧倒的なコーナリング速度を 目の当たりした他のチームより 後続車に石などを撒き散らすことが危険であると 抗議がなされて結局1戦限りで使用禁止となった #F1-1978年 #F1 #1978年
221214 J.WATSON 1978 2FW12C
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1997 6TH PMA McLAREN MERCEDES MP4-12 M.HAKKINEN〖🏆1〗
マクラーレン5年目 ミカ・ハッキネン 99戦目の初優勝McLAREN MERCEDES MP4-12 1997年マクラーレンは 永年続いたマールボロからWESTへスポンサーが 変更 シルバーアロー メルセデスをイメージ させるシルバーを基調とするカラーに変更 ハッキネンは開幕から4戦連続の入賞 中盤戦は苦戦したが後半いよいよ能力が開花 R13イタリアGP 初のファステストラップ R15ルクセンブルクGP 初のポール・ポジション そして最終戦R17ヨーロッパGP 最終ラップでJ・ビルヌーブ(ウイリアムズ)を 抜き去り悲願の初優勝 これは参戦99戦目(出走95戦目)で T・ブーツェンの参戦96戦目を上回る 当時としては最遅の初優勝記録であった この勝利をきっかけにハッキネンは 翌1998・1999年の自身の黄金期を迎える #F1-1997年
M.HAKKINEN 9 1/43 McLARENFW12C
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1976 6TH REVE COLLECTION LOTUS 77 M.ANDRETTI 〖🏆1〗
日本におけるF1レース 初代優勝 マリオ・アンドレッティ LOTUS 77 1976年最終戦F1世界選手権イン・ジャパン 富士スピード ウェイ 予選ポールポジション獲得は マリオ・アンドレッティ自身の F1参戦初年度1968年以来8年ぶり 決勝はワールドチャンピオン争いの J・ハント(マクラーレン)に先行を許すも 豪雨のレースでレインタイヤを使いこなし 自身はフェラーリでの初戦の 1971年開幕戦以来5年ぶり2度目の優勝 チームロータスは2年ぶりの優勝を飾る 日本におけるF1グランプリの 初代優勝ドライバ―として名を刻まれた こちらはその日本GP優勝モデル REVE COLLECTION レインタイヤ仕様 REVE COLLECTIONはSPARK JAPAN設立前に MINIMAX社と輸入代理をしていた国際貿易が 日本に縁のあるモデルを別注でリリース ドライバ―フィギュアレスで 台座が通常版よりしっかりした作り #F1-1976年 #1976年 #1976年F1世界選手権イン・ジャパン #F1
220925 M.ANDRETTI 1976 1回FW12C
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1974 6TH IXO BRABHAM BT44 C.REUTEMANN〖🏆3〗
1974年 R5ベルギーGP 1戦限りのHITACHIのスポンサー仕様 カルロス・ロイテマンは ブラバムで3シーズン目の 1974年R3南アフリカGPで初優勝 迎えたR5ベルギーGPは一転苦戦 ゴードン・マレー デザインのBT44が ニヴェルサーキットに合わず予選24位 決勝も62周目(全85)燃料系トラブルでリタイア このGPは1戦限りで日本のHITACHがサポート HITACHIのロゴと赤い特徴的なマーク CAR RADIO CASSTTE PLAYER と 書かれたマシンで出場した ブラバムはこのGPに5名エントリー レギュラードライバーの C・ロイテマン J・ワトソンに加えて R・フォン オペル オペル一族 F1で唯一のリヒテンシュタイン出身 G・ラルース (フランス) 1987年~のラルースチーム創設者 T・ピレット (ベルギー) F1で2組目の親子ドライバ― バラエティーなドライバ― ラインナップであった カルロス・ロイテマン 追悼モノ日記↓ https://muuseo.com/FW12C/diaries/3 #F1-1974年 #HITACHI #1974年
C.REUTEMANN F1マシンコレクション 1974 1回FW12C
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1981 6TH PMA McLAREN FORD MP4 J.WATSON 〖🏆1〗
マクラーレンMP4シリーズの初のマシン J・ワトソン チーム4年ぶり勝利 2016年までマクラーレンが継続した MP4シリーズの最初のマシン カーボンモノコックが初めて使用され 従来のアルミハニカムに比べて 剛性が70%向上 25%の軽量に成功した デザイナーはジョン・バーナード チームオーナーはこの年よりロン・デニス 画像7 左からバーナード/ワトソン/デニス R9イギリスGP ワトソンは予選5位から優勝 マクラーレンは1977年最終戦日本GP以来 4年ぶりの勝利 ワトソンも5年ぶり2勝目 ワトソンの通算勝利数は5勝 この1981年のイギリスGP(シルバーストーン)MP4 では早くもタバコの規制がかかり マクラーレンは所謂バーコードで対応 モデルはそのイギリスGP仕様の為 バーコードのままにしてあります ワトソンは優勝含む4度の表彰台 年間6位 27ポイント FL1回 名門マクラーレンの復活を期待させる活躍 #F1-1981年 #MP4 #マクラーレン #F1 チームメイトはマクラーレンこの年限りの アンドレア デ チェザリス https://muuseo.com/FW12C/items/211?theme_id=38179
J.WATSON 1回 7 1/43FW12C
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1996 6TH PMA BENETTON RENAULT B196 G.BERGER
10年ぶり古巣ベネトン復帰 ゲルハルト・ベルガー 1996年ベルガーは前年のフェラーリから 自身とチームの初優勝を飾ったベネトンへ移籍 TMは前年のフェラーリ時と一緒のJ・アレジ ベネトンは昨年のチャンピオンチームながら シューマッハに合わせたマシンであった為 ベルガーはシーズン前半戦は苦しい戦い 後半は持ち直しR11イギリスで2位表彰台 R12ドイツではシーズンベストの予選2位から D・ヒル(ウイリアムズ)とのトップ争い レースをリードするも優勝目前の残り3周で エンジンブローで惜しくも優勝は逃した R13ベルギーではファステストラップも記録 この年よりサイドポンツーン横は ベネトン・スポーツシステムのロゴに戻った ノルディカ・プリンス・ケスレー・アソロ ローラーブレード・キラーループ・ニトロなどの スポーツブランドを持つグループ会社 フランスのスポーツギアの kickersもこの年ベネトンのスポンサー ベルガーは予選・決勝とも最高位2位 年間順位は昨年のフェラーリ時と同じ6位 翌1997年はキャリア最後をベネトンで迎える #F1-1996年 #BENETTON
G.BERGER 1回 4 1/43FW12C