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1952 3RD QUARTZO FERRARI 500 F2 P.TARUFFI〖🏆1〗
ONLY 1 WIN DRIVER ピエロ タルッフィ FERRARI 500 ピエロ タルッフィ イタリア出身 1950年最終戦の地元イタリアGPでデビュー この時の年齢は43歳 チームはアルファロメオ 1952年はフェラーリ2年目 開幕戦スイスGP 予選キャリアベストの2位 決勝は17周目からトップに立ち初優勝 自身唯一のファステストラップも記録 フェラーリ通算3人目のウイナーで タルッフィの優勝はキャリア1度のみ 年間では表彰台3回でランキング3位 タルッフィはF1引退後 日本のモータースポーツ黎明期に深く貢献 1964年鈴鹿サーキットで開催された 第2回日本グランプリの名誉総監督として 運営に対するアドバイスをした他 かつて千葉県船橋市に開設された 船橋サーキットのコース監修も行った モデルはQUARTZO タルッフィ 唯一の優勝となった 開幕戦スイスGP仕様 15戦14勝の驚異の勝率を誇る FERRARI 500 F2 の最初の勝利 フロントのエンジンカバーが外れたモデル
240324 P.TARUFFI 1952 1回FW12C
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2000 3RD PMA McLAREN MERCEDES MP4‐15 D.COULTHARD
飛行機事故から奇跡の生還 デビッド・クルーザード MP4-15 2000年マクラーレン5年目のクルザード チームメイトも5年連続M・ハッキネン R4地元イギリスGPシーズン初優勝を飾る イギリスGPは2年連続での勝利 そのGP後当時の恋人と搭乗した プライベートジェット機が墜落事故 パイロットと副操縦士が残念ながら死亡 しかしクルザードと恋人は奇跡的に生還 事故直後のR5スペインGPでは肋骨にヒビが 入りながらも2位表彰台を獲得 R7モナコ R9フランスでも勝利 R12ハンガリーGP時点では2点差で チャンピオン争いにも絡んだ 終盤は失速して年間ランキングは3位 シーズン3勝はキャリアベストとなった モデルはミニチャンプス チームのロゴが入ったオリジナル台紙 マクラーレンEDITIONのNo.30 タバコWEST禁止GPでのDavidのロゴ仕様 台紙のMP4/15→MP4-15の表記間違い
240310 D.COULTHARD 2000 3回FW12C
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1999 3RD HOT WHEELS JORDAN MUGEN HONDA199 H.H.FRENTZEN
フレンツェン ベストシーズンの活躍 年間2勝 JORDAN MUGEN HONDA199 1999年 フレンツェンはジョーダンに移籍 チーム・メイトはデーモン・ヒル 前年度加入のマイク・ガスコインが手掛けた ジョーダン199はローダウンサーキット 中心にマシンの威力を発揮 フレンツェンは戦略が決まった R7フランスGPでシーズン初勝利 R13イタリアGPは予選2位から トップのハッキネン(マクラーレン)の ミスにも助けられてシーズン2勝目を上げ この時点ではチャンピオン争いにも加わった 最終チーム61ポイント中54ポイントを フレンツェンが稼ぎ出し ジョーダン史上チームベストの コンストラクタ―3位を獲得 自身も年間3位となり キャリアベストシーズンの活躍であった (ベストリザルトは1997年 年間2位) モデルはHOT WHEELS ジョーダンのチームロゴと 右下には紅白の縁石のある台座で このデザインは1999年モデルのみ ミニチャンプス(画像2)からは チームセットでドライバ―フィギュアと カーナンバー無でリリースされている
231115 H.H.FRENTZEN 1999 8FW12C
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2022 3RD BBURAGO RED BULL RACNG RB18 S.PEREZ〖🏆2〗
セルジオ・ペレス F1史上最も遅い 215戦目のPP獲得 RED BULL RB18 2022年ペレスはレッドブル2年目 R2サウジアラビアGP予選で C.ルクレール(フェラーリ)を 0.025秒差でかわし 自身初のポール・ポジション獲得 これまでの初レースからPPまでの最遅 マーク・ウエバーの132戦を大幅に更新し 自身参戦215戦目での初PPとなった ペレスは2022年シーズン2勝をあげて 自身通算4勝となりこれまでのメキシコ人 ドライバ―のペドロ・ロドリゲス(3勝)を 上回りメキシコ人ドライバ―の 最多勝利にもなった ポイントで並んでいたルクレールに 最終戦で敗れて年間順位は3位 こちらも自身キャリアベストで レッドブルの9年ぶりの コンストラクタ―チャンピオンに貢献した モデルはBBURAGO BBURAGOの現行F1モデルは通常 発売チームの中でレッドブルが 1番最初にリリースされ 時期もシーズン中に発売されます
231020 S.PEREZ 2022 3回FW12C
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1980 3RD PMA WILLIAMS FW07B C.REUTEMANN
ロイテマン ウイリアムズ移籍 連続入賞記録樹立 WILLIAMS FW07B 1980年ロイテマンはウイリアムズに移籍 チームメイトはアラン・ジョーンズ この時のロイテマンの契約は 所謂ナンバー2としてのもので ジョーンズを優先させるものだった為 2人のドライバーの不仲の原因ともなった R4までは入賞1回と苦戦するも R5ベルギーGP決勝3位表彰台を獲得 R6モナコGP ウイリアムズでの初勝利 その後最終戦R14まで全戦完走&入賞 さらに翌1981年R5ベルギーGPまで継続 15戦連続入賞 (内表彰台13回) 1963~1964年のジム・クラークの 12戦連続入賞を越えて当時新記録 2023年現在は歴代23位タイの記録であるが 上位の他すべてが2000年以降であり 当時としては異例の記録 ウイリアムズ初のコンストラクター チャンピオン獲得に大きく貢献した 翌1981年もウイリアムズに残留 ジョーンズとの関係は更に悪化する
230706 C.REUTEMANN 28 1/43FW12C
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1959 3RD QUARTZO (ROB WALKER) COOPER CLIMAX T51 S.MOSS〖🏆2〗
無冠の帝王 スターリング・モス 終盤猛追 COOPER CLIMAX T51 1959年 スターリング・モスは 前年度所属のヴァンウォールが撤退 プライベター ROB WALKERで参戦 前半戦は連続リタイア 途中モスの父アルフレッドなどが設立の BRP(ブリティッシュ・レーシング・パートナーシップ) からも2戦出場 この時使用のマシンは BRM(ブリティッシュ・レーシング・モータース) R5イギリスGPで2位表彰台 終盤はROB WALKERに戻り R7ポルトガル・R8イタリアと2連勝 最終R9アメリカGPで3戦連続PP 逆転チャンピオンの可能性もあったが 5周目にギアボックスが壊れリタイア 最終的に年間3位となりまたしても チャンピオンは逃したがプライベートチームで ワークスチームに挑むモスの姿は ファンから大きな声援を受けた
230601 S.MOSS 1959 4回FW12C
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2021 3RD BBURAGO MERCEDES-AMG F1 W12 E PERFORMANCE V.BOTTAS 〖🏆1〗
バルテリ・ボッタス 最後のメルセデス コンストラクター死守 AMG F1 W1 バルテリ・ボッタス フィンランド出身 フィンランド人5人目のウイナー □ケケ・ロズベルグ □ミカ・ハッキネン □キミ・ライコネン □ヘイキ・コバライネン 2021年はメルセデス5年目 勝利はR16トルコGPのみも表彰台は11回 ワールドチャンピオン争いには絡めなかったが セカンドドライバーとしての役割は果たし チームの9年連続のコンストラクター (自身は5年連続)のチャンピオンに貢献 MERCEDES-AMG F1 W12は前年から継続して ブラックを基調としたカラーリング この年限りでのメルセデスを離脱 同郷のキミ・ライコネンの後任として 翌2022年はアルファロメオに移籍 ボッタスはメルセデスの5年間 優勝 10回 表彰台58回 PP20回 FL19回 ルイス・ハミルトンの4連覇と コンストラクター5連覇に大きく貢献した
230419 V.BOTTAS 4回 77FW12C
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1998 3RD PMA McLAREN MERCEDES MP4-13 D.COULTHARD〖🏆1〗
1991年以来のコンストラクターチャンピオン マクラーレンMP4-13 デビッド・クルザード 1998年クルザードはマクラーレン3年目 開幕戦オーストラリアGPで マクラーレンの2台は3位以下を 全て周回遅れにする圧倒的勝利 この時クルーザードはチームとの〖約束〗で トップをTMのミカ・ハッキネンに譲って2位 後半戦でM・シューマッハ(フェラーリ)に 追い上げられたハッキネンにとっては この勝利によるプラス4P(10-6)が ワールドチャンピオン争いに手助けとなった マクラーレンのあまりの速さにフェラーリより ブレーキ・ステアリング・システムに対する 抗議が入り 事前に確認をとっていた にもかかわらずレギュレーション違反と判定 R2戦目以降は使用中止となった クルザードの勝利はR4サンマリノのみ それでも2位6回 3位2回の安定した走りで マクラーレンの1991年以来の コンストラクターチャンピオン獲得に 大きく貢献し翌1999年もチーム残留 このモデルは台紙に不備があったようで 車名の所に上張りでシールが貼られている 本来は 誤 MP4/13→ 正 4-13であるが こちらは雑誌等でも統一されていない #F1-1998年
230322 D.COULTHARD 3回 7FW12C
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1982 3RD SPARK McLaren MP4/1B J.WATSON〖🏆2〗
1982年11人WINNERSの4人目 キャリアベストシーズン J・ワトソン ジョン・ワトソン マクラーレン4年目 チームメイトはこの年復帰のニキ・ラウダ マシンは前年の改良型MP4/1B (台座のMP4‐1Bの表記は間違い) MP4/1Bはレギュレーションで認められた サイドウイング部分で発生する ダウンフォース量が多いため 高速コースではフロントウイングが省かれた R5ベルギーGP 予選10位→優勝 1982年11人の優勝者の4人目 R7USA EAST GP 予選17位→優勝(モデル仕様) 予選中段~下位ながら2勝をあげて この時点でランキングトップに立った しかしこの後4戦連続リタイア含む 6戦連続ノーポイントが響き脱落 ランキング2位 D・ピロー二(フェラーリ)と 同ポイント39Pながら上位順位差で3位 ワトソンの生涯ベストシーズンとなった 1981年~2016年まで続く マクラーレンMP4シリーズの中で MINICHAMPSが唯一リリースしていないのが 1982年のMP4/1Bであったが 近年ようやくSPARKから発売された #F1-1982年
230210 J.WATSON 1回 7FW12C
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1997 3RD PMA McLAREN MERCEDES MP4-12 D.COULTHARD〖🏆2〗
マクラーレン50戦ぶりの勝利 D・クルーザード MP4-12 1997年マクラーレンは23年間続いた MarlboroからWestにスポンサーを変更 カラーも赤/白→黒/銀に変更された 開幕戦のオーストリアGP クルーザードは予選4位から優勝 マクラーレンは1993年最終戦オーストリア A・セナ以来 50戦ぶりの勝利 その後は苦戦が続いたがR7カナダでFL R13イタリアGPではトップ走行の J・アレジ(ベネトン)と同時ピットインで 逆転して勝利 シーズン2勝目を上げた 2勝 2位2回 年間順位は3位 36ポイント コンストラクターは4年連続4位だったものの E・ニューウェイが8月頃より開発に 携わった事もありマクラーレンは MP4-12が名門復活の足掛りとなった #F1-1997年 https://muuseo.com/FW12C/items/1216
230119 D.COULTHARD 1回 10FW12C
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1978 3RD QUARTZO FERRARI 312 T3 C.REUTEMANN 〖🏆4〗
カルロス・ロイテマンフェラーリ2年目 年間4勝もチーム離脱 FERRARI 312 T3 ロイテマンはフェラーリ2年目 チームメイトはジル・ビルヌーブ 旧型のFERRARI 312 T2でR2ブラジルGPで優勝 これはミシュランタイヤのF1初勝利 ニューマシン312 T3導入後は3勝をあげて 年間4勝はロイテマンの年間最多勝利 しかしグランドエフェクトカーの ロータスには及ばず年間3位 前年まではチームから好待遇であったが 歯に衣きせぬ物言いがエンツォ・フェラーリや チーム首脳陣から敬遠され アグレッシブな走りのジル・ビルヌーブが チーム内で支持された事もあり ロイテマンはフェラーリを離脱し 翌1979年はロータスに移籍
221226 C.REUTEMANN 1978 2回FW12C
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1968 3RD SPARK McLAREN M7A D.HULME〖🏆2〗
前年度チャンピオン デニス・ハルム チーム マクラーレン初の表彰台獲得 1968年D・ハルムはニュージーランドの同胞 ブルース・マクラーレン設立チームに移籍 マクラーレンはこの年より複数台エントリー R2スペインGPより新型M7Aが投入され エンジンもBRM→フォードに変更 そのGPで予選3位→決勝2位表彰台 現在まで続くマクラーレンの初の表彰台 マクラーレンの通算表彰台は490回を超えて フェラーリに続く2位 TMのB・マクラーレンがR4ベルギーで勝利後 ハルムはR9イタリア・R10カナダと2連勝 チームマクラーレンはフル参戦初年度 (スポット含めて3年目)に3勝を記録 ハルムは引退する1974年まで 7年間マクラーレンに在籍 この年の2勝を含めて 通算6勝上げる(F1生涯8勝) 前年度チャンピオン カーナンバー1を纏い マクラーレンのシンボルカラーである パパイヤオレンジが綺麗な1台
221004 D.HULME 1 1/43FW12C
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1984 3RD SPARK LOTUS RENAULT 95T E.DE.ANGELIS
エリオ・デ・アンジェリス キャリアベスト 年間3位 LOTUS RENAULT 95T ロータス5年目のアンジェリス TMは4年連続でナイジェル・マンセル 新車LOTUS 95Tはレギュレーション 変更に合わせ小型化 タイヤを ピレリ→グッドイヤーに変更 開幕戦ブラジルでPP獲得→決勝3位 その後は開幕から10戦連続完走 9戦入賞 4度の表彰台と安定した走り 最高位はモデル仕様のR8アメリカEAST デトロイトGPでの予選5位→決勝2位 優勝は無かったもののマクラーレンの N・ラウダ A・プロストに次ぐ年間3位 アンジェリスのキャリアベスト 翌1985年もアンジェリスはロータスに残留 N・マンセルが移籍でA・セナが加入する こちらのモデルは2022年6月に発売 John Player Specialのタバコデカールが 最初から添付された状態で販売 今後はこれがスタンダードとなるのか?? それも含めてか値段もUPされ SPARK F1モデルは定価が 2009年発売当初に比べて約2400円UP 時代の流れなので仕方ないのでしょうか… #F1-1984年
E.DE.ANGELIS 11 1/43 John Player SpecialFW12C
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1996 3RD PMA FERRARI F310 M.SCHUMACHER〖🏆3〗
ミハエル フェラーリ初年度 PP4回 優勝3回 FERRARI F310 1994・1995年ベネトンで連覇を果たした ミハエル・シューマッハはフェラーリに移籍 ジョン・バーナード作のF310は仕上がりが 遅れて完成度も高くはなかった 初勝利はR7スペインGP他車を圧倒する 雨の中での快走で移籍後初勝利 R8カナダGPからは吊り下げ型のハイノーズ車 F310/2を導入(モデル画像5~8枚目) グスタフ・ブルナーが修正 R13 ベルギー R14イタリアで連勝 地元イタリアでのフェラーリの勝利は 1988年のベルガー以来の8年ぶり PP4回 3勝で年間順位は3位 1対2トレード古巣ベネトンには勝ったものの ウイリアムズには大きく引き離された フェラーリのガソリンは 1973年以来アジップであったが 1996年からはシェルに変更された #F1-1996年 #FERRARI #1996年
M.SCHUMACHER 2回 1 1/43FW12C
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1976 3RD PMA TYRRELL P34 J.SCHECKTER 〖🏆1〗
F1 4輪車以外での唯一の勝利 TYRRELL P34 ジョディー・シェクター 6輪車 TYRRELL P34の根底にあるものは コスワースDFV搭載の従来のマシンでは フェラーリに対抗できないという デザイナー D・ガードナーに考えによるもの シェクターのTYRRELL P34のデビューはR5から R5ベルギー 予選7位→決勝4位入賞 R6モナコ 予選5位→決勝2位表彰台 R7スウェーデン 予選ポールポジション獲得 決勝はM・アンドレティ(ロータス)に先行を許すも エンジントラブルでリタイヤ後 46周目からトップに立ち27周トップ走行し優勝 TMのP・デュパイエと1・2フィニッシュを飾る これはF1史上 4輪車以外での唯一の勝利 R10ドイツ 2位表彰台を6戦連続入賞でかざり このGPはファステストラップも記録している シェクターのTYRRELL P34の成績は 出走12回 PP1回 優勝1回 表彰台5回 6位以内入賞10回 FL1回 完走した10レースすべてで入賞を果たす ◆R16日本(富士SW)予選5位→決勝リタイア◆ シェクターの1976年の年間順位は3位であるが TYRRELL P34の12戦のなかでは2位 しかしサスペンション周辺の剛性不足と それに対応するチームの根本的な対策の欠如で シェクターはTYRRELL P34を好まずに 3年間過ごしたティレルを離脱 翌1976年は新規チームウルフに移籍する #F1-1976年 #F1 https://muuseo.com/FW12C/items/893?theme_id=35914
J.SCHECKTER 1976 1回 3FW12C