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2000 (22ND) PMA PROST PEUGEOT AP03 J.ALESI
キャリア初のシーズンノーポイント ジャン・アレジ PROST PEUGEOT AP03 2000年アレジは1991年にフェラーリで チームメイトであったプロストに移籍 パートナーは新人のニック・ハイドフェルド AP03はチーム内のゴタゴタを示すマシンで 戦闘力は低くアレジは予選シングルは R7モナコの7位 1回のみ 決勝もR6ヨーロッパGPの最高位9位 アレジは1989年の参戦以来初のノーポイント ランキングも参戦23台中22位 フル参戦ドライバーの中では最下位 チームもノーポイントで並んだミナルディに 決勝最高位で負けてコンストラクター最下位 散々なシーズンとなってしまった モデルはミニチャンプス GP仕様表記の無いRACE CAR ゴロワーズタバコ広告禁止GPの バーコード仕様 リジェ時代のGITANSから続いた タバコスポンサーがチーム不振もあり この年で終了となった
240323 J.ALESI 2000 14FW12C
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2022 (22TH) SPARK ASTON MARTIN AMR22 N.HULKENBERG
困った時のニコ・ヒュルケンベルグ 代役出場 ASTON MARTIN AMR22 2022年前年に続きアストンマーティンで リサーブドライバーのヒュルケンベルグ レギュラードライバ―の セバスチャン・ベッテルが新型コロナ感染 した為急遽 開幕戦とR2に出場 2020年のレーシングポイント時代に セルジオ・ペレス/ランス・ストロールの 体調不良で代役出場以来のF1レース 開幕戦バーレーンGP決勝17位 R2サウジアラビアGP決勝12位で ポイント獲得ならず これにより実力者ながらF1参戦より 表彰台無し記録が181戦まで伸びた 翌2023年は通算のべ9チーム目となる ハースでレギュラードライバ―復帰する モデルはスパーク 開幕戦バーレーンGP仕様 予選17位→決勝17位 予選ではチームメイト ランス・ストロース(19位)を凌いだが 決勝ではストロールが上回り12位 #2022年
231228 N.HULKENBERG 2022 27FW12C
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1985 (22ND) SPARK OSELLA FA1G H.ROTHENGATTER
ヒューブ・ロッテンガッター キャリアベスト7位 OSELLA FA1G ヒューブ・ロッテンガッター オランダ出身 ヨーロッパF2では1980年7位(1勝) 1980年・81年全日本F2にスポット参戦 ロッテンガッターはオランダの 全国紙に全面広告を掲載 決意と自分自身への信念を アピールしてオランダの家電メーカー フィリップスのスポンサーを獲得する 1984年スピリットでデビュー 1985年オッゼラで2シーズン目 いずれもシーズン途中から資金を 持ち込みシートを獲得する 1985年オッゼラの最終戦 R16オーストラリアで予選25位→決勝7位 ロッテンガッターのキャリアベスト 翌1986年はザグスピード これまた資金持ち込み途中参戦 ロッテンガッターはキャリア 決勝26戦を全て20番台からスタート という珍しいドライバ― ドライバ―引退後はフィリップスの スポンサー関連で1991年に新規参戦 ジョーダンチームの携わり 後に同郷のヨス・フェルスタッペンの マネージャーも務めた モデルはスパーク オランダのGPworld特注 ギフトBOX入り R11オランダGP仕様 予選26位 決勝は56/70周で規定周回不足 個人Marlboro契約ドライバ―で ヘルメット正面に同社のロゴあり
230922 H.ROTHENGATTER 1985 300FW12C
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1973 (22ND) SPARK SURTEES TS14 M.HAILWOOD
マイク・ヘイルウッド 唯一のフル参戦 炎の中の救出劇 SURTEES TS14 1973年マイク・ヘイルウッドは サ―ティス残留 キャリア唯一のフル参戦 チームメイトはカルロス・パーチェ 前年末に投入されたSURTEES TS14が不振で ヘイル・ウッドは前半10戦中リタイア9回 R3南アフリカGP ヘイルウッドはタイヤがパンクし C・レガッツォーニ(BRM)と衝突 車は炎上 レガツォーニは意識不明のまま 車に取り残された中 ヘイルウッドは 炎の中に飛び込みシートベルトを外して レガツォーニを車から引きずり出して救出 この勇敢な行動で関係者から賞賛された 後半戦は4戦連続完走もあったが 決勝最高位は7位でポイント獲得ならず サーティスはこの年で離脱 翌1974年はプライベーター マクラーレンのマシンで参戦 キャリア最後のF1シーズンを迎える #1973年
230805 M.HAILWOOD 1973 23FW12C
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1999 (22ND) PMA BAR 01 SUPERTEC R.ZONTA
リカルド・ゾンタ F1デビュー 新規チーム BAR 01 SUPERTEC リカルド・ゾンタ ブラジル出身 1997年 国際F3000チャンピオン(3勝) 1997年 ジョーダンテストドライバー 1998年 マクラーレンテストドライバー 1999年 ティレルを買収して BATタバコの協力スポンサーのBARでデビュー チームメイトはジャック・ビルヌーブ R2地元ブラジルGPのフリー走行で足負傷 R3~R5まで欠場 代役でミカ・サロが走行 R12ベルギーGPでも大クラッシュをしている 予選最高R7フランスGP10位 決勝最高R14ヨーロッパGP8位 鳴り物入りで登場したBARとゾンタであったが ビルヌーブとともに無得点に終わる 翌2000年もBARに残留
230730 R.ZONTA 1999 23FW12C
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1963 (22ND) SPARK LOLA MK4 M.HAILWOOD
天才ライダー マイク・ザ・バイク 4輪F1初挑戦 LOLA MK4 マイク・へイルウッド イギリス出身 2輪のロードレース世界選手権9度制覇 世界GP 3クラス(250/350/500cc)を 制した初のライダー 1963年 REG PARNELL LOLAから F1に2戦限りのスポット参戦 R5イギリスGPロータス24の車体で 予選17位→決勝8位完走 R7イタリアGPローラの車体で 予選17位→決勝10位完走 1この年は2輪をメインに活動 3クラスすべてのドイツGPで優勝 500㏄では8戦中7勝でチャンピオン 翌1964年も2輪と並行して プライベーターでF1フル参戦 そこから一旦F1活動中止するも 1971年~1974年まで再び参戦する #1963年
230629 M.HAILWOOD 40 1/43FW12C
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1961 (22ND) SPARK (UDT LAYSTALL RACING TEAM) LOTUS 18 C.ALLISON
クリフ・アリソン 最後のGP プライベーター LOTUS18 クリフ・アリソン イギリス出身 1958年ロータスでデビュー 1959・1960年はフェラーリでスポット参戦 1960年開幕アルゼンチン 2位表彰台 最高位2位のドライバ―の1人 1961年はプライベーターUDT LAYSTALLで LOTUS18のマシンを購入して参戦 開幕モナコGP予選15位→決勝8位 R3ベルギーはエントリーするも走行せず アリソンはこの年でF1から引退 この年LOTUSの車は本隊を含めて 22名ものドライバ―が使用 アリソンのマシンはF1では珍しい キレイなライトグリーンカラーリング 🏁クリフ・アリソン (イギリス) 【決勝出走数】11回(入賞3回-表彰台1回) 【予選最高位】 5位 1958年 LOTUS R7イギリス 【決勝最高位】 2位 1961年 FERRARI R1アルゼンチン
230610 C.ALLISON 1961 32FW12C
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2010 (22TH) SPARK HRT F1-10 K.CHANDHOK
走るマハラジャ カルン・チャンドック F1デビューは新規参戦 HRT F1-10 カルン・チャンドック インド出身 同国出身のF1ドライバーは ナレイン・カーティケアンに次ぐ2人目 下位カテゴリーGP2は2008年 年間10位が最高 2010年新規参戦チームHRTよりデビュー チームメイトはÁ・セナの甥 ブルーノ・セナ B・セナとは2008年GP2でもチームメイトで 2014年のフォーミュラEで3度目のコンビ HRTは新規3チームの中でも戦闘力が乏しく 資金難でどのGPにも同じリアウイングを装備 その中で10戦中8戦完走 決勝最高14位2回 ブルーノ・セナの最高位14位1回を上回った しかし持ち込み資金の不足もあり R11ドイツGPよりリザーブドライバーの 山本左近にシートを奪われた 翌2011年はロータス(マレーシア)の リザーブドライバ―となり ヤルノ・トゥルーリの代役で10ドイツGPのみ 1戦限りで出走 自身最後のF1出場となった チャンドックは知的でF1の知識も豊富 名前をもじり カルンペディアとも呼ばれていた #F1-2010年
230520 K.CHANDHOK 2010 20FW12C
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1998 (22ND) PMA PROST PEUGEOT AP01 O.PANIS
プロスト2年目 オリビエ・パニス キャリア唯一のノーポイントPROST AP01 1998年 チームプロスト2年目 車名をJS→APに変更 APはアランプロストの略 オールフレンチを目指しエンジンは 無限→プジョーにスイッチした チームメイトはヤルノ・トゥルーリ パニスはリジェ時代から5シーズン目 開幕戦のオーストラリアの9位が最高 ギアBOXのトラブルが頻繁に発生 完走率は60%でパニスは粘り強く走るも シングルフィニッシュは1回のみ 年間順位は(22位) チームノーポイントの ミナルディ/ティレルの計4人にも負けて パニスより下の順位はは途中参戦した ヨス・フェルスタッペン(スチュワート)のみ 1994年~2004年(2000年は未参戦) 10年間 F1参戦オリビエ・パニスだが 年間ノーポイントで終わった唯一の年 画像1 タバコ GAULOISES仕様 画像2 オリジナル(バーコード)仕様
230224 O.PANIS 11 1/43FW12C
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1998 (22ND) PMA PROST PEUGEOT AP01 "TOWER WING″ O.PANIS
プロストが採用したタワーウイングは 1本の支柱でウイングが外側に付いた 最もオーソドックなタイプで この形状はフェラーリ/ティレルも採用 プロストはタワーウイングが禁止された R5スペインGP以前・以降とも不振の為 タワーウイング禁止の影響は不明 この年プロストにはPlayStationが スポンサーで付いているが これは ソニー・コンピュータエンタテインメントの ヨーロッパが主導しているもので 同社が1996年から発売したプレステ ソフト Formula 1 シリーズの販売促進の一環 1998年に発売されたFormula 1 98の ヨーロッパ版にはプロストAP01が パッケージに使用されているものが有り 他の地域ではフェラーリ/マクラーレンの パッケージ版も存在するが この年の日本版の発売は無かった #F1-1998年 https://muuseo.com/FW12C/items/658?theme_id=30882
230224 O.PANIS "TOWER WING″ 2.222FW12C
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1978 (22ND) PMA LIGGETT GROUP WITH BS FABRICATIONS McLAREN FORD M26 B.LUNGER
デュポン創業者一族の御曹司 ブレット・ランガー ラストイヤー ブレット・ランガー アメリカ出身 メロン財閥・ロックフェラー財閥と並び アメリカ3大財閥とも言われるデュポン財閥 創業一族の御曹司 デュポンは化学メーカー 1976年 R10ドイツGP ニュルブルクリンク 燃え盛るマシンからラウダを救出した 勇気ある英雄ドライバ―4人の1人 (G・エドワーズ H・アートル A・メルツァリオ) 1978年はプライベータ リゲットグループ BS ファブリケーションズで マクラーレンM26のマシンを購入して参戦 R5ベルギーGP 予選25位→決勝7位 これはランガーのF1生涯ベストリザルト この年は決勝8位も2回あり 入賞まであと一歩も生涯入賞無し R15地元アメリカGPはエンサインから参戦 生涯F1ラストGPであった 決勝13位完走
221230 B.LUNGER 1.368 30FW12C
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1984 (22ND) SPARK ATS D7 BMW TURBO F1 G.BERGER
ゲルハルト・ベルガー F1デビュー 2戦目6位入賞 ATS D7 BMW TURBO F1 オーストリア出身のG・ベルガーは 家業のベルガー運送の拡大の為 父の猛反対もあり一度はレース人生を諦めた 同郷のヘルルート・マルコ(現レットブル顧問)の 父への説得もありレース生活を再開 1983年ヨーロッパF3に参戦 マルコのツテもありBMWとのパイプもできた 1984年そのBMWを登載したATSより R12母国オーストリアGPでF1デビュー 予選20位→決勝12位 モデル仕様 ベルガーのF1参戦2戦目となった R14イタリアGPでは早くも6位入賞 生涯の入賞回数は95回 チームがマーカス・ヴィンケルホックの 1台エントリーだった為ポイントは対象外 翌1985年はBMWのアロウズからフル参戦 引退する1997年まですべての年で入賞する #F1-1984年
221124 G.BERGER 400 31FW12C
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1997 (23RD) ONYX SAUBER C16 PETRONAS G.MORBIDELLI
ジャンニ・モルビデリ F1ラスト SAUBER PETRONAS C16 イタリアのオートバイメーカーの モルビデリ社の御曹司のラストイヤー 1997年はフェラーリのテストドライバー フェラーリエンジンの関連で R6スペインGPでサウバー参戦 途中ケガで離脱もR11ハンガリーから復帰 R16日本GP鈴鹿の予選でダンロップコーナーで クラッシュして結果これがF1最後となった 7戦中6戦完走も入賞は無し 決勝最高は9位 🏁ジャンニ・モルビデリ (イタリア) 【決勝出走回数】67回 (入賞5回) 【予選最高位】 6位 1994年 アロウズ R1 ブラジル 【決勝最高位】 3位 1996年 アロウズ R16 オーストラリア
221121 G.MORBIDELLI 17 1/43FW12C
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1997 (22ND) PMA TYRRELL FORD 025 J.VERSTAPPEN
Xウイング装備 TYRRELL FORD 025 ヨス・フェルスタッペン 1997年R3アルゼンチンGP ティレルは マイク ガスコインが発案した小型ウイングを サイドポンツーン上の垂直支持板に取付け SF映画〖スター・ウォーズ〗に登場する 戦闘機になぞらえてXウイングと呼ばれた 低速でダウンフォース必要なGPのみ装備 まさかの翌1998年のトレンドとなった ヨス・フェルスタッペンはアロウズより移籍 ティレルはワークスエンジンを失い フォードV8使用でTMミカ・サロと共に苦しみ 予選はカナダの14位 決勝もモナコの8位が 最高でシングルフィニッシュはこの1回限り フェルスタッペンは1年でティレルを離脱 翌年シートを失うも途中スチュワートに加入 画像①PMA SAN MARINO GP仕様(X WING) 画像②PMA 通常版 画像③ONYX SAN MARINO GP仕様(X WING) 画像④ONYX CANADA GP 仕様 #F1-1997年 #F1 #Xウイング
221115 J.VERSTAPPEN 18 1/43FW12C
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1975 (22ND) SPARK HILL GH1 R.STOMMELEN
チーム ヒル 念願の自製シャーシ導入 初戦R・シュトルメン 観客巻き込む事故 ワールドチャンピオン G・ヒルが立ち上げた チーム ヒルは1975年ローラ製のシャーシから 念願の自製シャーシをR4スペインGPより導入 ロルフ・シュトルメンは予選9位と奮闘 しかし決勝は走行中にリアウイングが ウイングステーの破損により突如脱落 コントロールを失い観客席に飛び込み 観客を巻き込む死亡事故が発生 シュトルメンも重傷で戦線離脱した エマーソン・フィッテパルディ(マクラーレン) このスペインGP コースの安全不備を理由に ドライバ―の中で唯一レースを ボイコットしておりそんな中での事故であった シュトルメンは終盤2戦に復帰も成績は低迷 モデルはR13イタリア予選23位→決勝リタイア シーズン終了後 G・ヒルの事故死により チーム ヒルは残念ながら消滅した #F1-1975年
220927 R.STOMMELEN 1975 22FW12C