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1992 (25TH) SPARK VENTURI LARROUSSE LC92 LAMBORGHINI U.KATAYAMA
大阪ROMU別注モデル #1992年 #F1-1992年
U.KATAYAMA 500 30 1/43FW12C
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1992 (DNQ 36TH) SPARK ANDOREA MODA S921 P.McCARTHY
#1992
P.McCARTHY 35 1/43 ANDOREA MODAFW12C
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1992 (32ND) SPARK MARCH CG911 J.LAMMERS
F1参戦ブランク最長162GP ヤン・ラマース MARCH CG911 1982年R11フランスGP(セオドール)を 最後にF1から遠ざかっていたラマース 1992年10年ぶりにマーチより参戦 この間のブランクは162GPで歴代最長 カール・ベンドリンガーの離脱に伴い スポンサーを持ち込み終盤2戦に出場 モデル仕様のR15日本GPでは予選23位 チームメイトのエマニエル・ナスペッティの 予選26位を上回ったが これは 全日本F3000に出場経験があり 1987年童夢で鈴鹿での優勝経験が役立った 最終R16オーストラリアは予選25位 決勝12位でシーズンベストリザルト 翌1993年もマーチでエントリー 開幕戦にTMのJ・M・グーノンと共に 南アフリカに現れたがチームが資金難で 到着せずラマースのF1参戦も終了した F1以外では1988年にジャガーで J・ダンフリーズ A・ウォレスとともに ルマン24時間で優勝している 🏁ヤン・ラマース (オランダ) 【決勝出走数】 23回 (入賞0回) 【予選最高位】 4位 1980年 ATS R4 アメリカWEST 【決勝最高位】 9位 1979年 シャドウ R14 カナダ #F1-1992年
J.LAMMERS 16 1/43 MARCHFW12C
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1992 (28TH) SPARK MARCH CG911 E.NASPETTI
エマニュエル・ナスペッティ F1デビュー マーチ最後 MARCH CG911 E・ナスペッティ イタリア出身 1988年 イタリアF3 チャンピオン(3勝) 1991年 国際F3000 3位(4勝) 1992年も国際F3000に参戦中 資金難のマーチから声がかかり ポールベルモンドに代わり 複数の小口スポンサーを持ち込み R12ベルギーGPより参戦 5戦のみ出場 予選最高はR12ベルギー 21位 決勝最高はR14ポルトガル 11位 (モデル仕様 レイトンハウス表記は間違い) ナスペツティは翌1993年 フォーミュラー日本に参戦 F1ジョーダンのテストドライバーも務め R13ポルトガルGPのみ出場した 1970年から参戦のマーチ 途中撤退やレイトンハウスに買収され 1992年復活したがこの年限りで F1からは姿を消した
E.NASPETTI 1992 17 1/43FW12C
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1992 (26TH) SPARK MARCH CG911 P.BELMONDO
フランスの名俳優ジャン=ポール・ベルモンドの ご子息 ポール・ベルモンド 下位カテゴリーの最高は1990年の国際F3000の7位 前年度をもってレイトンハウスが撤退 (台座のLEYTON HOUSEの表記は間違い) MARCHとして参戦継続もチームは資金難 ベルモンドの持参金もあり何とか活動継続 ベルモンドは6度の予選落ちも 決勝進出の5回は全て完走 R11ハンガリーGPでは唯一 TMのK・ヴェンドリンガーに 予選17位で勝利→決勝も9位 しかしこのGPをもって解雇 新たなスポンサー持ち込みの E・ナスペッティにシートを奪われます 古館語録では「勝手にしやがれ走行」と表現 ベルモンドは1994年にパシフィックで再参戦 #1992 #ポールベルモンド
P.BELMONDO 17 1/43 MARCHFW12C
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1992 (20TH) SPARK FOOTWORK FA13 A.SUZUKI
#1992
A.SUZUKI 10 1/43 FOOTWORKFW12C
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1992 15TH SPARK LOTUS 102D J.HERBERT
#1992
J.HERBERT 12 1/43 LOTUSFW12C
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1992 10TH SPARK FOOTWORK FA13 M.ALBORETO
#1992
M.ALBORETO 9 1/43 FOOTWORKFW12C
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1992 12TH SPARK MARCH CG911 K.WENDLINGER
#1992 #MARCH #F1
K.WENDLINGER 16 1/43 MARCHFW12C
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1992 8TH SPARK LOTUS 102D M.HAKKINEN
ONYXモデルはMuuseoではおなじみの 【アダムスキー(当時はサイケデリア)】で購入 2010年1月27日 1980円 なかなか手に入らなかった記憶があります #アダムスキー(サイケデリア) #F1-1992年 #F1
M.HAKKINEN 11 1/43 LOTUSFW12C
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1991 (35TH) SPARK FOOTWORK FA12 M.ALBORETO
#1991 #ポルシェ
M.ALBORETO 9 1/43 FOOTWORKFW12C
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1991 (33RD) SPARK FOOTWORK FA12 A.CAFFI
アレックス・カフィ 実質F1最後 失意のシーズン FOOTWORK FA12 1991年アロウズ買収しチーム名を フットワークに変更 更にポルシェエンジンを獲得して 期待されたシーズンとなったカフィ チームメイトはミケーレ・アルボレート しかしこのポルシェV12エンジンは V6エンジンを縦に2基繋いだよう形状で サイズも大きく 重量も重く苦戦 R3サンマリノGPで投入された ポルシェV12用のニューマシンFA12も チームの成績改善にはつながらなかった カフィは4戦連続予選落ちその後 交通事故で両足骨折で4戦欠場 欠場中にポルシェ→フォードに変更 チームは予備予選組にまわり 今度は6戦連続の予備予選落ちと散々 R15鈴鹿でようやくシーズン初の 予備予選2位→予選通過26位ギリギリ通過 10位完走がシーズンベストリザルト カフィは翌1992年新規のアンドレアモーダに 加入するもまともに走行できず離脱 その後F1には戻って来る事は無かった 🏁アレックス・カフィ (イタリア) 【決勝出走回数】56回 (入賞3回) 【予選最高位】 3位 1989年 スクーデリア・イタリア R10 ハンガリー 【決勝最高位】 4位 1989年 スクーデリア・イタリア R3 モナコ
A.CAFFI 10 1/43 FOOTWORKFW12C
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1991 (32ND) SPARK MODENA LAMBORGHINI 291 E.VAN DE POELE
エリック・バン・デ・ポール ベルギー出身 F1デビュー 入賞目前ガス欠 MODENA 291 1987年DTM チャンピオン 1990年国際F3000 3勝 ランキング2位 1991年はF1に参戦 LAMBORGHINのモデナ 予備予選組のE・バン・デ・ポールは R3サンマリノGPで予備予選を4位で通過 予選21位で初の決勝進出 サバイバル戦を生き残り5位走行 しかしラスト1周でまさかのガス欠 ラスト1周で涙をのんだ(9位完走扱い) 奇しくもこの9位がバン・デ・ポールの F1での生涯ベストリザルト 開幕戦のTMのN・ラリーニの7位により モデナは後半戦予備予選免除になったが バン・デ・ポールの決勝進出は1回のみで 予備予選落ち7回 予選落ち8回 マウロ・フォルギエリ作のモデナ291は 三角形のサイドポッドにラジエーターを 斜めに搭載し綺麗なダークブルーのカラー しかし形状は時代遅れでチームは1年限りで撤退した
E.VAN DE POELE 35 1/43 MODENAFW12C
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1991 (27TH) SPARK LOTUS 102B J.HERBERT
1991年J・ハーバートは全日本F3000に出場も 不振のJ・ベイリーに代わりロータスより参戦 復帰のR5カナダは予選落ちも 予選ではTMのM.ハッキネンに5勝3敗 決勝は7位が最高も翌年はレギュラーシート獲得 SPARKからは2種類のモデルが発売 画像1~4は最終戦のオーストラリアGP仕様 (予選21位→決勝11位)レインタイヤ 画像5~7はSPARKにしては珍しく GP仕様が書かれてない前半戦仕様 画像8のONYXはスポンサーで PHENIXが貼られているため 日本GP仕様? J.ハーバートはこの年 V・ヴァイドラー B・ガショーとともに ル・マン24時間にマツダで参戦 レナウン・チャージカラーの ロータリーエンジン車787B 55号車で アンカードライバ―として優勝しています #1991 #LOTUS
J.HERBERT 12 1/43 LOTUSFW12C
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1991 23RD SPARK LOTUS 102B J.BAILEY
#1991 #LOTUS #F1-1991年
J.BAILEY 12 1/43 LOTUSFW12C