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1996 5TH PMA McLAREN MERCEDES MP4/11 M.HAKKINEN
アクシデントからの復活 M・ハッキネン 最後のMarlboro McLAREN MP4/11 1995年最終戦で1か月半におよぶ入院の アクシデントを起こしたミカ・ハッキネン 1996年シーズンは出場さえ危ぶまれ チームは4度のワールドチャンピオン A・プロストをテストドライバーで起用 ハッキネンは2月テストで復帰して M・シューマッハを凌ぐタイム出し 開幕戦も予選5位→決勝5位入賞 その後TMのD・クルーザードにポイントで 先行をゆるすも後半4戦で 3度の3位獲得で最終は年間5位 クルザード(年間7位)を逆転 完走13回はこの年のトップタイ しかしマクラーレンチームは 1996年末で49戦未勝利のワースト更新 23年間に渡ってパートナーシップを 結んできたマールボロとの関係を終了 翌1997年からはドイツのWESTタバコが 新たなスポンサーとなった マクラーレン最後のMarlboro モデルはタバコデカール加工 1970年~1990年のF1の象徴でもあった カラーリングはこの年で終焉を迎えた #F1-1996年 #最後のMarlboro
M.HAKKINEN 7 1/43 MarlboroFW12C
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1976 5TH QUARTZO FERRARI 312T C.REGAZZONI 〖🏆1〗
クレイ・レガッツォーニ フェラーリ最後 自身唯一のグランドスラム達成 312T 1976年は車両規定が改訂されて 当時一般的になっていた背の高い インダクションポッドが R4スペインGP以降禁止となった 改定前最後のR3アメリカWESTで レガッツォーニは自身唯一 PP→全周回TOP→FL→優勝の グランドスラムを達成する グランドスラムは2022年現在までに 僅か25人のドライバ―しか達成していない モデルはそのR3アメリカWEST GP仕様で 前年チャンピオンマシン フェラーリ312Tの最後のレース 車両規定に合わせた312T2を導入し R5戦以降レガッツォーニは 2位表彰台を3回獲得 年間順位は5位 FL3回 ◆R16日本(富士SW) 予選7位→決勝5位入賞◆ R11オーストリアGPの欠場 TMのN・ラウダの炎の大事故もあり ドライバ―タイトルは逃したものの 2年連続のコンストラクター チャンピオンは死守した 翌1977年はカルロス・ロイテマンの加入が 決定しており レガッツォーニは 通算6年間過ごしたフェラーリを離れ エンサインに移籍をします #F1-1976年
C.REGAZZONI 1976 3回 2FW12C
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1995 6TH PMA FERRARI 412 T2 G.BERGER
ゲルハルト・ベルガー 通算6シーズン 最後のフェラーリ ジョン・バーナード作412 T2で迎えた 1995年はJ・アレジとの3年目のシーズン 開幕5戦で3位4回 5連続入賞の好スタート R9・R10も連続3位表彰台 R11ベルギーはこの年唯一のPP そして迎えたR12イタリア モンツア 途中上位陣の接触等もあり アレジ・ベルガーの1.2体制 しかし33週目前を走るアレジの リアウイングのオンボードカメラが ベルガーの左のフロントサスに直撃の 前代未聞のアクシデントでリタイヤ 後半成績は失速して 表彰台6回 年間順位は6位で未勝利 フェラーリ第一期3年 4勝 フェラーリ第二期3年 1勝 通算6年のフェラーリ生活終了させ 翌年はM・シューマッハと アレジ・ベルガーの1対2のトレードの 形で古巣のベネトンに移籍する モデルはPMAとONYX2種類発売されました #1995 #FERRARI
G.BERGER 2回 28 1/43FW12C
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1985 6TH PMA WILLIAMS HONDA FW08 N.MANSELL〖🏆2〗
N.MANSELL 1回 5 1/43FW12C