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1974 9TH SPARK TYRRELL 007 P.DEPAILLER
パトリック・デパイユ 初のフル参戦 キャリア唯一のPP TYRRELL 007 1974年前年度の最終戦F・セーベルが他界 哀しみのチャンピオン ジャッキー・シチュワートが引退 ティレルは1972年に自チームで スポット参戦したパトリック・デパイユ起用 チームメイトはジョディー・シェクター デパイユは旧車のティレル005で 開幕戦のアルゼンチンGPで6位初入賞 デパイユの生涯入賞は36回 R3南アフリカGP予選15位→決勝4位 R7スウェーデンGPではニューマシンの ティレル007で予選PPを獲得 デパイユのPPはキャリア唯一 決勝は2位 シェクターと1・2フィニッシュ デパイユの通算表彰台は19回 フル参戦初年度の入賞6回で年間9位 チャンピオン争いに絡んだシェクターとは 約3倍のポイント差がついた F1と並行して参戦したヨーロッパF2は 年間4勝をあげてチャンピオンを獲得 モデルはスパーク R7スウェーデンGP仕様 デパイユ生涯唯一のPPと2位初表彰台 さらに自身初のファステストラップも記録 デパイユのFLは生涯4回
231217 P.DEPAILLER 1974 1回FW12C
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1986 9TH IXO FERRARI F186 M.ALBORETO
フェラーリ3年目の不振 アルボレート FERRARI F186 1986年フェラーリは前年の156/85を基に 修正を加えたF186を開幕戦から投入 設計にコンピューター支援設計CADを導入 コックピット内をデジタルメーターに変更 頭上のロールバーをエンジンカウルで覆い リアウィングへの整流などを実施 前年度チャンピオン争い最終年間2位の アルボレートは一転不振のシーズン 表彰台はR12オーストリアの2位のみ 入賞も4回で14P 年間順位は9位 チームメイトのステファン・ヨハンソン (23P 年間順位5位)にも敗れた マシンに失望したアルボレートは 当時N・ピケとN・マンセルの不仲が 表面化したウイリアムズ・ホンダに 移籍を企て2人のどちらかが移籍の場合 ウイリアムズに加入が決まっていたが 最終的にどちらも移籍せずに 翌1987年もフェラーリに残留 F186のアルボレート車は量販化が無い為 HACHETTE(IXO)フェラーリF1コレクションの ヨハンソン車→アルボレート車に修正 PMAのチェッカー台紙に載せ替え実施
230616 M.ALBORETO 27 1/43FW12C
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1980 7TH PMA LOTUS FORD 81 E.DE.ANGELIS
アンジェリス ロータスシート獲得 自身初の表彰台LOTUS FORD 81 1980年アンジェリスは前年末のロータスの テスト走行にてN・マンセル E・チーバーなど シート争に勝ちロータスのシートを手に入れる チームメイトはマリオ・アンドレッティ モデル仕様のR2ブラジルGP 予選7位より決勝2位表彰台獲得 当時は弱冠21歳 アンジェリスの生涯表彰台回数は9回 その後ロータスのマシンの不振もあり 中盤戦は苦戦 後半戦で4位2回 6位1回 年間で4度の入賞で年間8位 チームメイトのマリオは入賞1回と大不振 翌1981年マリオはアルファロメオに移籍 アンジェリスは1985年までの6年間 チームロータスのエースとして君臨する
230602 E.DE.ANGELIS 12 1/43FW12C
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1998 10TH PMA JORDAN MUGEN HONDA 198 R.SCHUMACHER
ラルフ・シューマッハ ジョーダン2年目 ジョーダンチーム史上唯一1・2フィニッシュ 1998年ラルフはジョーダン2年目 チームメイトはデーモン・ヒル 前年度はジャンカルロ・フィジケラと 同士討ちするなど不仲とされたが ヒルとは本人がチームメイトに 切望するほど良好な関係だった模様 前半はまさかのノーポイント デザイナーのゲイリー・アンダーソン離脱 後任のマイク・ガスコインに代わり フロントウイング周辺中心に修正 R9イギリスGPから3戦連続入賞 R13ベルギーでは特有のスパ ウエザーで 荒れたレースを2位表彰台獲得 ヒルと共に1・2フィニッシュを決めた ジョーダンの1・2フィニッシュは このGPがチーム史上唯一の出来事 続くR14イタリアも3位で連続表彰台 この後翌1999年シーズンの ウイリアムズへの移籍が発表された ラルフ・シューマッハ コレクションの 黄色いオリジナル台紙のモデルで タバコブランドBENSON&HEDGES仕様
230309 R.SCHUMACHER 10 1/43FW12C
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1998 10TH PMA JORDAN MUGEN HONDA 198 "TOWER WING″ R.SCHUMACHER
ジョーダンが投入した"TOWER WING″ 両サイドを幅広なパーツで支える ジョーダンのみの採用バージョン 前半戦はラルフ・シューマッハ チームメイトのデイモン・ヒルとも ノーポイントで"TOWER WING″の 効果以前の問題でのチームが低迷した 前マシンのJORDAN197で注目を集めた ノーズアートは絵柄がスネークから スズメバチ(イエロー ホーネット)に変更 それに合わせタバコ広告禁止GPでは メインスポンサーのBENSON&HEDGES ➡BUZZIN HORNETSに変更された ミニチャンプスの ラルフ・シューマッハ コレクションは 本モデルのNr7で終了し以降の ラルフのモデルは通常台紙となった #F1-1998年
230309 R.SCHUMACHER "TOWER WING″ 3.333FW12C
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1979 12TH IXO LOTUS FORD 80 M.ANDRETTI
野心的グランド・エフェクトカー M・アンドレッティ 3戦限りのLOTUS 80 ロータス79の成功を基にダウンフォースを 全てグラウンド・エフェクトのみで確保 テスト走行の段階では 前後のウィングを完全に排するという 野心的なマシンロータス 80を投入 実際には前後のウイングが付いて登場 R5スペインGPで投入されると 予選4位→決勝3位表彰台獲得 しかしロータス80はベンチュリー効果は 増大したもののマシンの加速時や減速時に 波動的な縦揺れが発生してマシンの姿勢が 安定せず まともに走行できる状態でなかった ロータス80が決勝に投入されたのは アンドレッティ車 決勝は3戦のみ 後半戦は再びロータス79にマシンを戻したが 成績は向上せずに 結果ロータス80での 3位が年間のベストリザルト チームとしても表彰台1回のみ 前年度ワールドチャンピオンが まさかの年間12位となりチームメイトの C・ロイテマン(年間7位)にも敗れた モデルはデアゴスティーニの F1マシンコレクション 106号 主戦マシンだけでなくこのようなモデルを リリースしてくれたのはコスパ的にも このシリーズの魅力的な所 https://muuseo.com/FW12C/items/723
230217 M.ANDRETTI F1マシンコレクション 1FW12C
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1981 8TH PMA LOTUS FORD 88 E.DE.ANGELIS
ロータス2年目 エリオ・デ・アンジェリス 決勝未出走 幻のマシンLOTUS FORD 88 1981年ロータスはニューマシンの モノコックの上に可動式カウルを被せた ツインシャーシという独特の構造を持つ LOTUS FORD 88を投入した 開幕戦のアメリカWEST ロングビーチで 車検をパスしてプラクティスは出走したが 空力性能に関連するボディワークは ばね上に完全に固定されなければならない というレギュレーションに抵触すると 他チームから抗議で実戦の投入を禁止された 結局R2・R3もLOTUS88を持ち込むも 決勝では出走することができず チームは抗議の意味で R4サンマリノGPを欠場した アンジェリスは前半を改良型LOTUS 81B 後半戦をLOTUS 87で参戦するも マシンの熟成不足もあり表彰台は無し 4位1回 5位4回 6位3回の8度の入賞で 年間順位は8位 14ポイント 新規加入のTMのN・マンセル(8P)は上回った MINICHAMPSは1981年のロータスのマシンを 決勝走行した81Bと87は発売せずに 未出走の88のみをリリース 謎のラインナップ #F1-1981年
E.DE.ANGELIS 2.016 11 1/43FW12C
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1996 8TH PMA JORDAN PEUGEOT 196 R.BARRICHELLO
ルーベンス・バリチェロ 4年目シーズン 最後のジョーダン JORDAN PEUGEOT 196 ジョーダンはプジョーエンジン2年目 イギリス大手のタバコメーカー BENSON & HEDGESがスポンサー カンパニーカラーでるゴールドは シーズン途中より色調がリアルになり ミニチャンプスはその後半戦仕様 バリチェロはR2ブラジルGPで 地元の声援の中予選2位獲得も 決勝はスピンでリタイア 1996年はジョーダンはハイノーズを採用 しかしゴールドに輝く車体とは裏腹に 地味なレース運びでバリチェロは 入賞は7回獲得も最高位は4位が2回 チームとしても3年ぶりに表彰台は無し シーズン終了後バリチェロは 4年間過ごしたジョーダンを離れ 新規チームスチュワートグランプに移籍 #F1-1996年 #F1
R.BARRICHELLO 11 1/43 JORDANFW12C
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2011 16TH SPARK SAUBER C30 FERRARI S.PEREZ
2022年 FORMULA 1 第2戦サウジアラビアGP セルジオ・ペレス メキシコ 最遅215戦目のポールポジション獲得 メキシコ人初のポールポジション これまでのPPまでの最遅記録 M・ウエバー(2009年 レッドブル)の 132戦目を大きく上回る215戦目の獲得 2011年ザウバーよりデビュー チームメイトは小林可夢偉 メキシコ通信大手のテルメックス メキシコNEC claro などのスポンサーを 持ち込みシートを獲得 初戦で7位フィニッシュも後に失格 2011年は5回入賞 年間16位 予選最高9位 決勝最高7位 ペレスのF1キャリアは12年目 ザウバー2年 マクラーレン1年 フォースインディア・ レーシングポイントを合わせて7年過ごし 2021年よりレッドブル 優勝2回 FL6回 今回初のPP #F1-2011年 #最遅PP #2011
S.PEREZ 17 1/43 SAUBERFW12C
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1979 11TH SPARK TYRRELL 009 J.P.JARIER
勝てそうで勝てなかったドライバ―の一人 ジャン・ピエール・ジャリエのベストシーズン 1979年ティレルはエルフとシティーバンクの スポンサーを失い資金的にも苦しいシーズン シーズン途中よりイタリアの家電メーカー Candyがメインスポンサーとなり ロゴとトリコロールカラーが ティレルブルーの車体に描かれた ジャリエはR3南アフリカと モデル仕様のR9イギリスで3位表彰台 2戦欠場ながら6度の入賞 年間14PはTMのD・ピロー二と同ポイント 年間11位は生涯のベストリザルト ジャリエは翌年もティレルに残留 ティレルは低迷期に入り 1979年から3年間チーム未勝利 #F1-1979年
J.P.JARIER 4 1/43 TYRRELLFW12C
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1979 12TH PMA LOTUS FORD 79 M.ANDRETTI
前年度のワールドチャピオン マリオ・アンドレッティ LOTUS4年目 1978年グランドグランドエフェクトカーで 圧倒的であったLOTUS79は 1979年に入ると他のチームも追随 優位性は徐々に無くなりLOTUS80を投入 ダウンフォースをウイングではなく グラウンド・エフェクトのみに頼るLOTUS80は 投入初戦のR5スペインで3位獲得したものの マシンの姿勢が安定せず明らかに失敗に終わり 再びLOTUS79に戻すというドタバタ劇 後半戦はLOTUS79のBスペックというべき マイナーチェンジが施されたが モデルのR13イタリアでの5位入賞のみに終わる アンドレッティはまさかの未勝利で年間12位 Bスペックではモノコック前部の延長 ラジエターアウトレットの拡大 リアウィングはセンターマウント式に変更され PMAではイタリアGP仕様として発売 所有している初期に発売された TMのC・ロイテマン車とはカラーリング含め 同じLOTUS79ですがかなり違う形状で発売されました #F1-1979年 https://muuseo.com/FW12C/items/699
M.ANDRETTI 2.808 1 1/43FW12C
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1979 10TH SPARK TYRRELL 009 D.PIRONI
ディディエ・ピロー二 フランス出身 ティレルよりデビューの2年目 TMは新規加入のJ・P・ジャリエ 1979年開幕戦よりニューマシンの ティレル初のグランドエフェクトカー となるTYRRELL 009で戦う R2ブラジルで4位入賞 R6ベルギーでは自身初の3位表彰台 (モデル仕様 予選12位→) 以降中盤戦は苦戦もR14カナダ5位 最終アメリカEで2度目の3位表彰台 3位表彰台2回含む入賞5回 ジャリエとは年間14Pで並んだが 4位獲得際数の差で年間順位は 10位ピロー二 11位ジャリエとなる ピロー二は2年間過ごしたティレルを 離れて次年度はリジェに移籍 #F1-1979年 #TYRRELL
D.PIRONI 3 1/43 TYRRELLFW12C
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1986 10TH LIGIER JS27 R.ARNOUX
#F1-1986年
R.ARNOUX 25 1/43 LIGIERFW12C
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1986 8TH SPARK LIGIER JS27 J.LAFFITE
当時のF1最多出走タイ記録で引退 ジャック・ラフィー JS27 J.LAFFITE 1986年リジェ復帰2年目のラフィー チームメイトはルネ・アルヌー ギ・リジェの望むオールフレンチ体制 開幕戦のブラジルGPで予選5位→決勝3位 前年度最終戦から2戦連続となる表彰台 R7アメリカEAST GPで予選6位→2位 42歳で迎えたシーズンも好調を維持 R9イギリスGPは出走176戦目で 当時の最多出走記録(グラハム・ヒル)に並んだ しかし決勝レースで多重クラッシュに 巻き込まれ両足の複雑骨折を負い 以後リハビリを続けたものF1復帰ならなかった ラフィーのキャリア決勝周回数は丁度8000周 1974年のF1デビュー時は30歳 30歳以降にデビューしたドライバーの中では 現在も176戦出走は最多記録となる モデルはスパーク ラフィー最後の32回目の表彰台 R7アメリカEAST 予選6位→決勝2位 お馴染みリジェのGITANESタバコ仕様 🏁ジャック・ラフィー(フランス) 【決勝出走数】176回 (入賞59回-表彰台32回) 【予選最高位】PP (7回) 1976年 LIGIER R13 イタリア 1979年 LIGIER R01 アルゼンチン 1979年 LIGIER R02 ブラジル 1979年 LIGIER R05 スペイン 1979年 LIGIER R06 ベルギー 1980年 LIGIER R07 フランス 1981年 LIGIER R07 スペイン 【決勝最高位】WIN(6回) 1977年 LIGIER R08 スウェーデン 1979年 LIGIER R01 アルゼンチン 1979年 LIGIER R02 ブラジル 1980年 LIGIER R09 ドイツ 1981年 LIGIER R11 オーストリア 1981年 LIGIER R14 カナダ 【ファステストLAP】7回 1976年 LIGIER R17 日本 1977年 LIGIER R05 スペイン 1979年 LIGIER R01 アルゼンチン 1979年 LIGIER R02 ブラジル 1980年 LIGIER R05 ベルギー 1981年 LIGIER R11 オーストリア 1985年 LIGIER R14 ヨーロッパ
J.LAFFITE 1986 26 1/43FW12C
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1985 10TH PMA McLAREN TAG TURBO MP4/2B N.LAUDA〖🏆1〗
#F1-1985年
N.LAUDA 1回 1 1/43FW12C