追悼 パトリック・タンベイ
初版 2022/12/07 03:05
改訂 2022/12/17 01:37
1970年~1980年代に活躍 F1通算2勝
サーキットの紳士 パトリック・タンベイ氏が
2022年12日4日お亡くなりになりました 享年74歳
ご冥福をお祈り申し上げます
パトリック・タンベイはフランス出身
1977年 28歳でセオドールでデビュー(サーティスは予選落ち)
マクラーレン・リジェなどに所属後G・ビルヌーブ亡きフェラーリで参戦
1982年・1983年にフェラーリで各1勝 通算2勝
F1以外ではCan-Amで1977年・1980年にチャンピオンになっています
タンベイの活躍を所持しているモデルカーで振り返ります
1978年 マクラーレン M26 年間14位 入賞5回
前年セオドールでの活躍(入賞3回)でマクラーレンに移籍
チームメイトのJ・ハントと同じ8ポイント
1979年 マクラーレン M28 年間(23位)
マクラーレン2年目は不運もありノーポイント
北米シリーズ限定のブルーのマクラーレン仕様
1981年 セオドール TY01 年間19位 入賞1回
古巣セオドールで開幕戦6位入賞
途中リジェに移籍も7戦すべてリタイア
1982年 フェラーリ 126 C2 年間7位 1勝 入賞5回
友人でもあったG・ビルヌーブ死後 フェラーリより参戦
TMのD・ピロー二の大怪我をしたR12ドイツGPで初勝利
フェラーリのコンストラクターチャンピオンに貢献
1983年 フェラーリ 126C2B 年間4位 1勝 PP4回 FL1回 入賞9回
前年ビルヌーブとピロー二の遺恨のあったR4サンマリノGPで優勝
自身初を含むPP4回 FL1回 年間4位はキャリアベスト
2年連続のコンストラクターチャンピオンに貢献
1984年 ルノー RE50 年間11位 PP1回 FL1回 入賞4回
1984年はルノーに移籍 PP・FL 各1回獲得
R5地元フランスGPで予選PPから決勝2位表彰台
1985年 ルノー RE60B 年間12位 入賞4回
ルノー2年目 R2ポルトガル・R3サンマリノ 連続3位表彰台
後半戦はノーポント チームもこの年で撤退
1986年 ローラ THL2 年間15位 入賞1回
タンベイのキャリア最後はハース ローラ
R12オーストリアGPで自身最後の5位入賞
ジル・ビルヌーブ亡き後フェラーリの救世主
F1通算2勝だけでなく
タンベイの備えた品の良さや礼儀正しさが
サーキットの紳士と呼ばれる所以であった
🏁パトリック・タンベイ (フランス)
【決勝出走回数】114回(入賞32回-表彰台11回)
【予選最高位】 PP(5回)
【決勝最高位】 優勝(2回)
【ファステストLAP】 (2回)
最後までお読みいただきありがとうございました(^^♪