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「世界で称賛された、沈没の最後まで職務を全うして殉職した佐久間艇長および乗組員!」日本海軍第六潜水艇(だいろくせんすいてい、後に第六潜水艦と改称)
タカラ 世界の艦船「海上自衛隊潜水艦史」secret日本海軍第六号潜水艇 艦級は改ホランド級で、1906年(明治39年)4月5日竣工、1920年(大正9年)12月1日除籍。その後、沈没の際の乗組員の行為が顕彰されたため、海軍潜水学校で展示されましたが、第二次世界大戦後に進駐軍によって解体されました。 1910年(明治43年)4月15日、広島湾でガソリン潜航実験の訓練中に沈没。乗員14名全員殉職。翌日(17日説あり)引き揚げ。 遺書を紹介します。 「小官の不注意により陛下の艇を沈め部下を殺す、誠に申し訳なし、されど艇員一同、死に至るまで皆よくその職を守り、沈着に事を処せり、我れ等は国家のため職に倒れ死といえども、ただただ遺憾とする所は、天下の士はこの誤りをもって将来潜水艇の発展に打撃を与うるに至らざるやを憂うるにあり」 「願わくば諸君益々勉励もってこの誤解なく、将来潜水艇の発展研究に全力を尽くされん事を。さすれば我れ等一つも遺憾とするところなし」 「沈没の原因。ガソリン潜航の際、過度探入せしため、スルイスバルブを締めんとせしも、途中チエン切れ、よって手にて之を閉めたるも後れ、後部に満水せり。約二十五度の傾斜にて沈降せり」 「沈据後の状況。一、傾斜約仰角十三度位 一、配電盤つかりたるため電灯消え、電纜(でんらん、ケーブルのこと)燃え悪ガスを発生、呼吸に困難を感ぜり。十四日午前十時頃沈没す、この悪ガスの下に手動ポンプにて排水につとむ」 「一、沈下と共にメインタンクを排水せり。灯り消えゲージ見えざるども、メインタンクは排水し終われるものと認む」 「電流は全く使用するにあたわず、電液は漏れるも少々、海水は入らず、クロリンガス発生せず、残気は五百ポンド位なり。ただただ頼むところは、手動ポンプあるのみ。ツリムは安全のためヨビ浮量六百、モーターの時は二百位とせり。右十一時四十五分、司令塔の灯りにて記す」 「溢入の水に侵され、乗員大部衣湿ふ寒冷を感ず、余は常に潜水艇員は沈着細心の注意を要すると共に大胆に行動せざれば、その発展を望むべからず。細心の余り萎縮せざらん事を戒めたり。世の人はこの失敗を以てあるいは嘲笑するものあらん、されど我は前言の誤まりなきを確信す」 「一、司令塔の深度は五十二を示し、排水に努めども十二時までは底止して動かず、この辺深度は十尋(ひろ)位なれば、正しきものならん 一、潜水艇員士卒は、抜群中の抜群者より採用するを要す。かかるときに困る故、幸い本艇員は皆良くその職を尽くせり、満足に思ふ」 「我れは常に家を出ずれば死を期す、されば遺言状は既に『カラサキ』引き出しの中にあり。(これ但し私事に関する事を言う必要なし、田口浅見兄よ、之を愚父に致されよ)」 「公遺言 謹んで陛下に申す。我が部下の遺族をして窮する者無からしめ給わらん事を、我が念頭に懸かるもの、これあるのみ。右の諸君によろしく。一、斎藤大臣 一、島村中将 一、藤井中佐 一、名和少尉 一、山下少将 一、成田少将」 「(気圧たかまり鼓膜破らるる如き感あり)一、小栗大佐 一、井出大佐 一、松村中佐(純一) 一、松村大佐(竜) 一、松村少佐(菊)(小生の兄なり)一、船越大佐、一、成田綱太郎先生 一、生田小金次先生」 「十二時三十分、呼吸非常に苦しい。ガソリンをブローアウトせししつもりなれども、ガソリンにようた。一、中野大佐 十二時四十分なり ……」 事故原因の分析や潜水艇の将来、さらに乗組員の遺族までを慮ったこの遺書は、海軍関係者のみならず、多くの人の心を揺さぶりました。 国内では修身の教科書に取り上げられ、アメリカではセオドア・ルーズベルトによって国立図書館の前に遺言を刻んだ銅板が設置されました。またイギリスの王室海軍潜水史料館には今も佐久間と第六潜水艇が説明されています。
食玩 タカラトミー 400円僕だらえもん(スミ・ミュウ)
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軍神加藤建夫を撃墜した軽爆撃機 ブレニム(Bristol Blenheim )
ブリストル社が開発し、第二次世界大戦初期にイギリス空軍で運用された双発軽爆撃機。
食玩 フルタ 150円僕だらえもん(スミ・ミュウ)
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幻の大和型3番艦 戦艦「信濃」
戦艦として生まれながら途中で空母に転身し、1961(昭和36)年にアメリカ海軍の原子力空母「エンタープライズ」が登場するまでは、史上最大の排水量を誇った空母です。
食玩 タカラトミーアーツ 400円僕だらえもん(スミ・ミュウ)
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異色機、二重反転プロペラ!! 試製水上戦闘機「強風」15試水上戦闘機 強風 プロトタイプ1号機
強風(きょうふう)は川西航空機が太平洋戦争時に開発した日本海軍の水上戦闘機。水上機でありながら空戦を主目的とした機体として設計されたが、開発が難航したことで活躍の時期を失い、性能も期待外れで操縦も難しかったことから、生産数は97機。本機をベースとして局地戦闘機(陸上機)紫電が開発され、さらにその改良発展型である紫電改は大戦末期に日本本土に襲来したB-29や米航空母艦艦載機の邀撃に活躍しました。 帝国海軍要求 最高速力:高度5,000メートルで時速310ノット(574km/h)以上 航続距離(時間):巡航速度で6時間以上 武装:20mm機銃×2及び7.7mm機銃×2 または 13mm機銃×2及び7.7mm機銃×2 または 7.7mm機銃×4 爆装:30kg爆弾×2
プラモデル ハセガワ 500円僕だらえもん(スミ・ミュウ)
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IV号戦車/70(V)(単色塗装ダークイエロー)
Panzer IV/70(V), Sd.Kfz.162/1 IV号駆逐戦車の発展型であり、備砲が7.5cm Pak 42 L / 70に変更され、名称も「Jagdpanzer(駆逐戦車)」ではなく「Panzer(戦車)」に変更された。(V)はフォマーク社製であることを示す頭文字である。当初から前面装甲が80mmに強化された上、長砲身砲の搭載によりノーズヘビーの傾向が更に悪化したため、転輪ゴムタイヤの早い損耗を避けるべく9月の生産車から前部2つを鋼鉄製(ゴムは内部に収納)に変更している。また、履帯も肉抜き部の多い、より軽量の新型となった。 当初、IV号戦車ラング(=長砲身)という名前だったが、通常のIV号戦車の長砲身型と紛らわしいので口径名に変更された。1944年8月から旧来のIV号駆逐戦車との併行生産が始まり、工場の被爆で生産が縮小・停止する1945年4月までに940両が生産された。 シャーシ番号は320651-321000、および329001以降だが、途中に48口径砲搭載型が含まれるため、生産数と一致しない。 生産開始直後から順次部隊配備されているが、戦車駆逐大隊だけでなく通常の戦車隊(例えば、パンターで編成される戦車大隊のうちの1個中隊など)にも多く配備されており、名称の変更のとおり駆逐戦車ではなく、長砲身の戦車扱いであった。
架空戦記4 Projekt Panzer 01 ~第二次世界大戦 装甲戦闘車両コレクション~ 食玩 ポピー僕だらえもん(スミ・ミュウ)
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史上唯一量産に至った5砲塔型の多砲塔戦車 T-35重戦車(T-35じゅうせんしゃ、ロシア語:Тяжелый танк Т-35チジョールィイ・ターンク・テー・トリーッツァチ・ピャーチ)
ソ連の赤軍が1933年に制式化した多砲塔戦車である。ハリコフ機関車工場で生産された。 史上唯一量産に至った5砲塔型の多砲塔戦車で、この形態の車輛としては最多の生産量である試作車2輛を含めた63輛が生産された。 全長 9.72 m 車体長 m 全幅 3.20 m 全高 3.43 m 重量 45 t 懸架方式 コイルスプリング 速度 30 km/h 行動距離 150 km 主砲 16.5口径76.2 mm戦車砲 ×1 副武装 42口径45 mm戦車砲 ×2 7.62 mm機関銃 ×6 装甲 35 mm エンジン M-17M 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン 500 馬力 乗員 11 名
フィギイア フルタ 150円僕だらえもん(スミ・ミュウ)
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幻の高速偵察機・ジェツト化も計画されていた!! 日本海軍十八試追跡偵察機「試製景」雲略符号は「R2Y」
胴体中央部に双子型[1]の発動機を配置し、延長軸で機首のプロペラを起動させるというユニークな形態の偵察機だった。1945年(昭和20年)5月2度の試験飛行を行ったが、エンジンの不調等で所定の性能に達しないまま終戦を迎えた。 景雲は当時の戦闘機を凌ぐ高性能を実現するために、様々な新機軸が盛り込まれた機体となった。エンジンは高出力を確保するため、愛知航空機(愛知)製のアツタ三〇型発動機を並列に組み合わせた「ハ70」である。これを胴体中央部に搭載し、4 m超の延長軸で機首の6翅プロペラを起動させる形とした。これは、ドイツから輸入したHe 119高速爆撃機の構造を参考にしていた。また、排気タービン過給器や気密室を完備し、操縦席は並列複座、降着装置は前輪式とした。その結果、おおよそそれまでの日本機とは異なるユニークな外観の機体となった。 全長:13.05 m 全幅:14.00 m 全高:4.24 m プロペラ:V.D.M.定.6翅 主翼面積:34.00 m2 自重:6,015 kg 全備重量:8,100 kg 発動機:愛知 ハ70-I 液冷倒立V双子型24気筒 離昇3,400 hp × 1基 最大速度:741 km/h 巡航速度:463 km/h 実用上昇限度:11,700 m 航続距離:3,611 km 武装:なし 乗員:2名 略符号:R2Y1
プラモデル ファインモールド 800円僕だらえもん(スミ・ミュウ)
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1942年 ソ連空軍 P40C型トマホーク マーキング描き替え
日本が捕獲した機を更にソ連が捕獲しマーキングを塗装しかえしたもの
フィギィア 不明 600円僕だらえもん(スミ・ミュウ)
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ニホンアマガエル マダラ
すばる堂チョコQ ニホンアマガエル マダラ
食玩 すばる堂 200円僕だらえもん(スミ・ミュウ)
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アメリカ陸軍航空隊最初の近代的戦闘機の1つ P-36 ホーク(Curtiss-Wright P-36 Hawk )P-36A-CU
アメリカ合衆国のカーチス・ライト社が開発し、1930年代後半にアメリカ陸軍航空隊などで運用されたレシプロ戦闘機。 アメリカ陸軍航空隊最初の近代的戦闘機の1つ アメリカ陸軍航空隊のほか、ヨーロッパをはじめ世界各地で運用された。社内名称はモデル75であるが、一部の国では会社が売り込む際につけた愛称のホーク 75、イギリスの同盟国ではモホークという名称。 太平洋戦争開始時にはP-36はやや旧式化していたせいもあり、アメリカでは後継機であるP-40に急速に交代して1942年中には退役していったが、それでもアメリカ陸軍はハワイ上空で日本海軍機と渡り合っています。
プラモデル アオシマ文化教材社 300円僕だらえもん(スミ・ミュウ)
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ダイソー100円 清酒ケース
ダイソー
フィギィア ダイソー 100円僕だらえもん(スミ・ミュウ)
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ダイソー100円 ビールケース
フィギィア ダイソー 100円僕だらえもん(スミ・ミュウ)
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コカコーラ販売促進用グッズ 1970年代 コカコーラ瓶フィギィア プラスチツク製
実家が島根県柿木村でよろず屋を商っておりました。その時のグッズです。
販売促進用フィギィア コカコーラ タダ僕だらえもん(スミ・ミュウ)
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ソ連計画戦闘機、ポリカルポフI-17(И-17イー・スィムナーッツァチ)
I-17(ロシア語:И-17イー・スィムナーッツァチ)は、I-16の後継機としてポリカールポフ設計局が開発したソ連の戦闘機。初飛行は1937年。ロシアでは、同時期に開発された戦闘機としてBf 109やスピットファイアと比較される。I-17には、実際にはTsKB-15やTsKB-19、TsKB-19bisなど複数の開発機が含まれている。これらは近代的な構造をしていたが、しかしながら諸々のトラブルにより開発は中止され、その後ソ連空軍の主力はヤコヴレフ設計局やラーヴォチュキン設計局の開発した戦闘機が担っていくことになった。
プラモデル A Model 18005円僕だらえもん(スミ・ミュウ)
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Me1106戦闘機
第二次世界大戦末期にドイツのメッサーシュミットで計画された戦闘機である。 本機は先に開発の進められていたメッサーシュミット P.1101を元にした改良型として検討が進められていた。
プラモデル HUMA 800円僕だらえもん(スミ・ミュウ)