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日本海軍「92式電池魚雷」
この魚雷は昭和7年、電池魚雷としては異例の大型魚雷として開発、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦等に搭載されました。また、一部は特攻兵器である「回天十型」の母体となりました。 性能・要目 直径・・・・・・・53.3cm 長さ・・・・・・・・7.15m 雷速及び航走距離・・・30kt/5,000m 炸薬量・・・・・319kg
食玩 ボーフォードジャパン 400円 不明僕だらえもん(スミ・ミュウ)
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人間魚雷「回天」十型 試作型
「回天」十型 試作型は潜水艦用の電気推進魚雷である「九二式魚雷」を利用した、本土決戦の近距離用として開発されていましたが、開発途中で終戦を迎え実戦には使用されませんでした。 ●主要寸法:全長:9.0m×操縦室直径0.7m 胴体直径0.53m 総重量2,500kg ●推進装置:九二式魚雷 ●速力:14kt ●航続距離:30000m ●乗員:1名 ●弾頭炸薬量:300kg
食玩 ボーフォードジャパン特別攻撃隊 ボーフォードジャパン 400円僕だらえもん(スミ・ミュウ)
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大日本帝国海軍 回天4型
靖国神社遊就館に中部胴体(操縦室と後部浮室)が展示。 機関に二型と同じ六号機械を使用し、燃料のみ一型と同じ酸素と灯油に変更したタイプ。二型と同じく六号機械の開発難航により量産されなかった。生産台数は6基という。 全没排水量:18.17 t 全長:16.50 m 全幅:1.35 m 速力/射程距離:20kt / 62,000 m、30 kt / 38,000 m、40 kt / 27,000 m、 炸薬:1.8 t
食玩 ボーフォードジャパン 500円 不明僕だらえもん(スミ・ミュウ)
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ロシア帝国海軍の戦艦ガングート(ロシア語:Гангут;英語:Gangut)
1914年10月、「ガングート」はロシア海軍最初の弩級戦艦、ガングート級戦艦の1番艦(ネームシップ)として竣工した。1915年7月、リガ湾に姉妹艦「ペトロパブロフスク」とドイツ艦隊を迎撃に向かうが、実際には前弩級戦艦「スラヴァ」等が矢面に立ち砲戦を行った(バルト海の戦い (第一次世界大戦))。1918年、乗組員たちはバルチック艦隊の反乱に参加し、ボリシェヴィキに加わった。後にソヴィエト連邦海軍の戦艦オクチャブリスカヤ・レヴォリューツィヤ(十月革命の意。ロシア語:Октябрьская революция;英語:Oktyabrskaya Revolutsiya)と改称された。
[分冊百科] 雑誌付録 完成品 ボーフォードジャパン 2086円 明屋書店僕だらえもん(スミ・ミュウ)
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アドリア海の勇者 ローナー L(Lohner L)
第一次世界大戦で使用されたオーストリア=ハンガリーの複葉飛行艇である。戦闘飛行艇、偵察機として使用された。 本機は、前作であるローナー E(英語版)型複座飛行艇を改良した機体である。生産はローナーの他、ウファク、ハンザ・ブランデンブルク、ポーラ海軍工廠が行った。敵対するイタリア海軍には対抗し得る機体がなかったが、1915年5月27日にベネチアを空襲したローナー機のうち、1機がエンジンに被弾、ほぼ無傷のまま鹵獲されニューポール=マッキにてマッキL.1(イタリア語版)としてコピー機が生産され、のちにマッキ M.3に発展する。
食玩 ボーフォードジャパン 385円 不明僕だらえもん(スミ・ミュウ)
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エトリッヒ タウベ(オーストリア) 「武~MONONOFU~外伝 宙~SORA~ 壱」
オーストリアなどでつくられた初期の航空機である。第一次世界大戦初期の軍用機のひとつである。タウベは鳩のことで、主翼と尾翼の形態に由来するが、そもそもは南洋のウリ科の植物アルソミトラ・マクロカルパ(ザノニア・マクロカルパ)の種が10 - 15センチの翅で安定した滑空をすることを知ったオーストリアの設計者イゴ・エトリッヒ(Igo Etrich)博士が、その種子の断面や捩じ下げを取り入れた翼の形の無尾翼グライダーを作ったことにはじまる。
食玩 ボーフォードジャパン 385円 不明僕だらえもん(スミ・ミュウ)
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中国船「ジャンク船」
したことにより衰退した。 現在でも中国の沿岸でよく見られる三本マストで角形の帆が特徴の木造船。中国商人はこのジャンク船で、羅針盤を使い、遠くインド洋まで航海に出た。大きさは約300トン、乗組員5~600という大型から、約120トン、乗組員2~300の中型とがあった。
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昔のパスホートを持つ船 「朱印船」
16世紀末から17世紀初頭にかけて日本の支配者の朱印状(海外渡航許可証)を得て、海外交易を行った船を言う。 朱印状を携帯する日本船は、当時日本と外交関係があったポルトガル、オランダ船や東南アジア諸国の支配者の保護を受けることができた。
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メイフラワー号(メイフラワーごう、Mayflower)
ピルグリム・ファーザーズが1620年、イギリス南西部プリマスから、新天地アメリカの、現在のマサチューセッツ州プリマスに渡ったときの船。 メイフラワー号が出発したのは1620年9月16日(ユリウス暦9月6日)で、病気に苦しめられた66日間の厳しい航海を経て、ケープコッド先端の釣り針のようになっているところ(プロビンスタウン港)に錨をおろしたのは11月21日(11月11日)のことだった。本来の目的地はハドソン川河口で、現在のニューヨーク市付近であり、当時のイングランドのヴァージニア入植地の北端あたりだった。ヴァージニア入植地は全米最初のイギリス人移民地で、これより13年早い1607年に建設されたジェームズタウンから入植が始まった。しかし、メイフラワー号はコースを外れてしまい、冬が来たためにケープコッド湾に留まって越冬することになった。1621年3月31日(3月21日)、冬の間船内で生き延びた乗客らはプリマスの岸まで移動し、メイフラワー号は同年4月15日(4月5日)にイングランドに向かって旅立った。
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動く商社 「北前船」
江戸時代から明治時代にかけて日本海海運で活躍した、主に買積みの北国廻船(かいせん)の名称[1]。買積み廻船とは商品を預かって運送をするのではなく、航行する船主自体が商品を買い、それを売買することで利益を上げる廻船のことを指す。当初は近江商人が主導権を握っていたが、後に船主が主体となって貿易を行うようになる。
食玩 ボーフォードジャパン 400円 不明僕だらえもん(スミ・ミュウ)
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古代エジプト王朝の帆船
壁面ゆ出土品からの推定船 船尾両舵オールに彫り物がある。
食玩 ボーフォードジャパン 400円 不明僕だらえもん(スミ・ミュウ)
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P47Dサンダーボルト レザーバック
サンダーボルトの改良は続き、決定版となるP-47Dが誕生した。D型は12,602機も生産されたが、細かな改良が施されたサブタイプが多く、初期と末期の機体には明らかな違いが見られました。
[分冊百科] 雑誌付録 完成品 ボーフォードジャパン 2086円 明屋書店僕だらえもん(スミ・ミュウ)
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キ115 「剣」特殊攻撃機
悲しき特攻専門機、
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