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東京スポーツ 1983年8月6日発行
タイガーマスク ラストシリーズとなった'83 サマーファイトシリーズを総括した新聞記事です。 同シリーズはアントニオ猪木欠場にも関わらず、全33戦中26戦で満員。 TV視聴率も7・7大阪決戦(8日放送)が24.8%、7.14札幌決戦(15日放送)が23.5%と高視聴率を記録。 結果だけ見ると大成功のシリーズでした。 しかしこの報道の5日後、まさかあのような運命が待っているとは・・・。
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東京スポーツ 1981年8月9日発行
1981年8月6日 新日本プロレス『蔵前国3大決戦 』を報じる新聞紙面です。 タイガーマスクは第5試合45分1本 でスコルピオと対戦。 5月7日京王プラザホテルでの斎藤弘幸とのエキシビジョンマッチで初公開して以来となる「タイガースープレックス」で勝利を飾っています。
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東京スポーツ 1981年9月24日発行
1981年9月23日 伝説の一戦『アンドレ・ザ・ジャイアント vs スタン・ハンセン』の一戦が行われた田園コロシアム大会を報じる新聞紙面です。 この大会の第6試合 タイガーマスク vs エル・ソラールはタイガーが非情に徹した試合として記憶されています。 紙面中でも【T・マスク強し ソラールの左腕砕く】の見出しで詳細を伝えています。 https://muuseo.com/yukio/items/76?theme_id=27378 https://muuseo.com/yukio/items/680?theme_id=43285
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東京スポーツ 1981年12月9日発行
1981年12月8日 新日本プロレス蔵前4大決戦を報じる新聞紙面です。 第7試合『タイガーマスク vs E・カネック』の一戦は、タイガーにとって「ヘビー級の壁への挑戦」という、デビュー以来最大の試練でした。 この試合中、タイガーは左足首亀裂骨折の重傷を負います。しかし、試合終盤で見せたフェイントからプランチャのムーブなどは圧巻でした。 https://muuseo.com/yukio/items/104?theme_id=27378
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ザ・プロレス 40号
1982年12月7日発行 82年11月4日蔵前国技館大会の詳報が掲載されています。 小林邦昭との第二戦は、2人の抗争の中でも屈指の名勝負と言える内容でした。 しかし残念ながら紙面の中でこの試合について報じられているのは、マスクを引き裂かれた顔のワンカットとわずかなスペース記事のみ。 この日のメインがA・猪vs 国際軍団の1対3変則マッチでは致し方なしか・・・。 センターグラビアの「シリーズベストショット」は、この試合でのタイガーの華麗な空中ダイブのワンショット・・・なのにタイトルが【自爆!】って😅
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ザ・プロレス 35号
1982年9月21日発行 MSG大会の掲載号です。 初めてタイガーの試合を目の当たりにしたニューヨークファンの受けた衝撃を伝えています。 https://muuseo.com/yukio/items/278?theme_id=28636
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東京スポーツ 1983年7月8日発行
タイガーマスク最後のシリーズとなった'83サマーファイトシリーズの7.7 大阪決戦を報じる新聞記事です。 寺西勇との試合後に乱入した小林邦昭により『パルキー』マスクが引き裂かれ、急遽着用した『赤×金ハーフ』マスク姿で反撃するという、今に語り継がれる名場面が誕生しました。 紙面上に、その雄姿(写真)を見ることはできません。 もっとも、モノクロ紙面では興奮を伝えきることはできないでしょうが・・・。 画像3枚目 / 本紙1面です。『藤波 vs 長州 名勝負数え歌 』がこの日のメインを飾りました。 https://muuseo.com/yukio/items/20?theme_id=27378
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東京スポーツ 1983年8月12日発行
8月11日、タイガーマスクからの契約解除の申し入れを受けた新日本プロレスの激動の1日を報じる東京スポーツ紙面です。
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東京スポーツ 1983年9月21日発行
タイガーマスク・佐山聡の素顔が東スポ紙上で公開されたときの紙面です。 8月10日の引退表明後、マスコミとの接触を避けていたタイガーの去就についてと、密かにトレーニングを開始したこと、その場所が「都内目黒区にあるトヨタ系会社の剣道場」と記されています。
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東京スポーツ 1983年8月13日発行
8月11日、新日本プロレスに契約解除を申し入れたタイガーが、12日、新日本プロレス側に、二冠ベルトと虎のマスクを返還したことを報じる東スポ紙面です。 返還のため、都内世田谷区二子玉川の富士観会館に素顔で現れたタイガーを、大塚博美、山本小鉄、望月和治の新日プロ3役員で説得するも、失敗に終わったことが書かれています。
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東京スポーツ 1982年4月2日発行
'82.4.1 蔵前国技館 S・ライトとのWWF Jr.タイトル戦を報じる新聞記事です。 タイガーマスクが5度目のタイトル防衛を果たしたこの試合は、ファンの間でも名勝負として名高い一戦です。 しかし、タイガー本人は全く納得のいかない、ローランクの試合と語っています。 S・ライトは自分勝手な試合運びで、攻撃も受け身も中途半端。そのため、D・キッドや小林邦昭らが抜群だったメリハリや殺気が出せなかったそうです。 この辺りの話しに、プロレスの奥の深さを感じます。 https://muuseo.com/yukio/items/540 https://muuseo.com/yukio/items/600
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東京スポーツ 1983年5月24日発行
1983年2月にタイガーマスク引き抜きが画策されたことを伝えるスクープ記事です。 この引き抜き工作の場に立ち会ったというA氏が、「"ある人物"が、1億円を提示して某テレビ局へ引き抜こうと説得を試みた」という事実を明らかにしています。 以下、記事の抜粋です。 ータイガー・マスクはその時、どう返事をしたんですか? A氏「即座に"それは出来ません"とキッパリとした口調で断った。考えるふうは一つもなかった即答だった。私が思わず拍手をしたぐらいだ。」 ーその答えを聞いてタイガーを誘ったその人はどういったですか? A氏「タイガー・マスクに"お前は大バカ者だ"と言っていた」 金に転ばず、義を重んじる・・・どこまでもカッコいいヒーローですね。
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ザ・プロレス 号外 81/7/14
発行 / 東京スポーツ新聞社 発行日 / 81年7月14日 1981年6月24日 『新日本プロレス創立10周年記念 3大スーパーファイト』蔵前国技館大会の詳報が掲載されています。 タイガーマスク vs ビジャノ3号の試合を1ページ割いて特集しています。 2人の試合を「蔵前国技館に"幻想の世界"を作った」として「これこそ第3次元のプロレスといえるものだった」と評しています。 まだ「4次元殺法」の名称が生まれる前のようです。 https://muuseo.com/yukio/items/503?theme_id=27378 https://muuseo.com/yukio/items/504?theme_id=27378
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東京スポーツ 1983年7月2日発行
'83.7.1 後楽園ホール大会、タイガーマスク最後のシリーズとなった'83サマーファイトシリーズ開幕戦を報じる新聞記事です。 この日のカードはタイガー&星野勘太郎 vs 寺西勇& P・ロバーツ。 フィニッシュとなった技について「空中一回転半 新宇宙殺法」と見出しになっています。 でもこの日のフィニッシュ技は正回転のムーンサルト・プレスであって、何をもって「一回転半」と言っているのか疑問です。
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東京スポーツ 1983年8月2日発行
蔵前ラストマッチ直前の'83.8.1 岐阜大会の新聞記事です。 タイガーは木戸修と組んで 小林邦昭&寺西勇 組と対戦。二人がかりのマスク剥ぎに苦しみながらも、最後は小林邦昭からフォールを奪っています。 しかしマスク剥ぎよりも、この試合で寺西勇がタイガーに見舞ったジャーマンスープレックスが強烈な印象として残っています。
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