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大阪スポーツ 1981年11月8日発行
1981年11月5日 『'81闘魂シリーズ』最終戦の蔵前国技館大会を報じる新聞紙面です。 第6試合 タイガーマスク vs グラン浜田 はデビューイヤーを代表する試合のひとつです。 また前座カードの顔ぶれを見ると、錚々たるメンバーがそろっています。 https://muuseo.com/yukio/items/103?theme_id=27378 https://muuseo.com/yukio/items/569
新聞 タイガーマスク 大阪スポーツ新聞社TORA
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スポーツニッポン 1997年4月12日発行
1997年4月12日 新日本プロレス 東京ドーム大会において実現した アントニオ猪木 vs タイガー・キング の一戦を報じるスポニチ紙面です。 https://muuseo.com/yukio/items/576?theme_id=33013
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東京スポーツ 1983年8月6日発行
タイガーマスク ラストシリーズとなった'83 サマーファイトシリーズを総括した新聞記事です。 同シリーズはアントニオ猪木欠場にも関わらず、全33戦中26戦で満員。 TV視聴率も7・7大阪決戦(8日放送)が24.8%、7.14札幌決戦(15日放送)が23.5%と高視聴率を記録。 結果だけ見ると大成功のシリーズでした。 しかしこの報道の5日後、まさかあのような運命が待っているとは・・・。
新聞 タイガーマスク 東京スポーツ新聞社TORA
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東京スポーツ 1981年8月9日発行
1981年8月6日 新日本プロレス『蔵前国3大決戦 』を報じる新聞紙面です。 タイガーマスクは第5試合45分1本 でスコルピオと対戦。 5月7日京王プラザホテルでの斎藤弘幸とのエキシビジョンマッチで初公開して以来となる「タイガースープレックス」で勝利を飾っています。 https://muuseo.com/yukio/items/594 https://muuseo.com/yukio/items/75?theme_id=27378
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東京スポーツ 1981年9月24日発行
1981年9月23日 伝説の一戦『アンドレ・ザ・ジャイアント vs スタン・ハンセン』の一戦が行われた田園コロシアム大会を報じる新聞紙面です。 この大会の第6試合 タイガーマスク vs エル・ソラールはタイガーが非情に徹した試合として記憶されています。 紙面中でも【T・マスク強し ソラールの左腕砕く】の見出しで詳細を伝えています。 https://muuseo.com/yukio/items/76?theme_id=27378 https://muuseo.com/yukio/items/680?theme_id=43285
新聞 プロレス 東京スポーツ新聞社TORA
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東京スポーツ 1981年12月9日発行
1981年12月8日 新日本プロレス蔵前4大決戦を報じる新聞紙面です。 第7試合『タイガーマスク vs E・カネック』の一戦は、タイガーにとって「ヘビー級の壁への挑戦」という、デビュー以来最大の試練でした。 この試合中、タイガーは左足首亀裂骨折の重傷を負います。しかし、試合終盤で見せたフェイントからプランチャのムーブなどは圧巻でした。 https://muuseo.com/yukio/items/104?theme_id=27378
新聞 タイガーマスク 東京スポーツ新聞社TORA
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ザ・プロレス 40号
1982年12月7日発行 82年11月4日蔵前国技館大会の詳報が掲載されています。 小林邦昭との第二戦は、2人の抗争の中でも屈指の名勝負と言える内容でした。 しかし残念ながら紙面の中でこの試合について報じられているのは、マスクを引き裂かれた顔のワンカットとわずかなスペース記事のみ。 この日のメインがA・猪vs 国際軍団の1対3変則マッチでは致し方なしか・・・。 センターグラビアの「シリーズベストショット」は、この試合でのタイガーの華麗な空中ダイブのワンショット・・・なのにタイトルが【自爆!】って😅
新聞 タイガーマスク 東京スポーツ新聞社TORA
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ザ・プロレス 35号
1982年9月21日発行 MSG大会の掲載号です。 初めてタイガーの試合を目の当たりにしたニューヨークファンの受けた衝撃を伝えています。 https://muuseo.com/yukio/items/278?theme_id=28636
新聞 タイガーマスク 東京スポーツ新聞社TORA
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週刊ファイト 1981年9月22日号
81年4月のデビュー後、人気沸騰のタイガーマスクを特集した週刊ファイトです。 「50の質問」では、「思い出に残っている名勝負」「マスクはどこで作っているのか」という質問から、「女性の初体験」についてまで突っ込まれています。 当時はまだ正体不明とされていた時期ですが、タイガー自身、正体が知られていること前提で質問に答えている箇所が見られます。 画像6枚目、7枚目 本誌記事を見ると10月8日蔵前国技館での『タイガー・マスク vs マスクド・ハリケーン 』の覆面剥ぎマッチは、10月9日の後楽園ホールで行われる予定だったことが分かります。 8日の蔵前国技館大会では、タイガーはマッハ隼人との対戦が発表されていました。
新聞 タイガーマスク 新大阪新聞社TORA
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東京スポーツ 1983年7月8日発行
タイガーマスク最後のシリーズとなった'83サマーファイトシリーズの7.7 大阪決戦を報じる新聞記事です。 寺西勇との試合後に乱入した小林邦昭により『パルキー』マスクが引き裂かれ、急遽着用した『赤×金ハーフ』マスク姿で反撃するという、今に語り継がれる名場面が誕生しました。 紙面上に、その雄姿(写真)を見ることはできません。 もっとも、モノクロ紙面では興奮を伝えきることはできないでしょうが・・・。 画像3枚目 / 本紙1面です。『藤波 vs 長州 名勝負数え歌 』がこの日のメインを飾りました。 https://muuseo.com/yukio/items/20?theme_id=27378
新聞 タイガーマスク 東京スポーツ新聞社TORA
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東京スポーツ 1983年8月12日発行
8月11日、タイガーマスクからの契約解除の申し入れを受けた新日本プロレスの激動の1日を報じる東京スポーツ紙面です。
新聞 タイガーマスク 東京スポーツ新聞社TORA
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東京スポーツ 1983年9月21日発行
タイガーマスク・佐山聡の素顔が東スポ紙上で公開されたときの紙面です。 8月10日の引退表明後、マスコミとの接触を避けていたタイガーの去就についてと、密かにトレーニングを開始したこと、その場所が「都内目黒区にあるトヨタ系会社の剣道場」と記されています。
新聞 タイガーマスク 東京スポーツ新聞社TORA
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東京スポーツ 1983年8月13日発行
8月11日、新日本プロレスに契約解除を申し入れたタイガーが、12日、新日本プロレス側に、二冠ベルトと虎のマスクを返還したことを報じる東スポ紙面です。 返還のため、都内世田谷区二子玉川の富士観会館に素顔で現れたタイガーを、大塚博美、山本小鉄、望月和治の新日プロ3役員で説得するも、失敗に終わったことが書かれています。
新聞 タイガーマスク 東京スポーツ新聞社TORA
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大阪スポーツ 1985年5月9日発行
佐山聡さんと、功夫の猛者や槍術・キックボクサー・少林拳との「他流試合」を報じる新聞紙面です。 これは1985年5月20日 『凄絶!格闘技大決戦!! スーパー・タイガーvs中国少林拳と嵐の激闘』 としてテレビ東京で放送されました。 その内容はスーパー・タイガーが中国、香港の武術の達人たちと死闘を繰り広げるという、"笑"撃的なドキュメンタリー風「格闘バラエティー」番組でした。(画像4枚目~8枚目) そして、その数々の死闘(?)を、真剣に、これほどの紙面を割いて報道する大スポ・・・もう流石としか言いようがありません^_^;
新聞 佐山聡 大阪スポーツ新聞社TORA
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東京スポーツ 1982年4月2日発行
'82.4.1 蔵前国技館 S・ライトとのWWF Jr.タイトル戦を報じる新聞記事です。 タイガーマスクが5度目のタイトル防衛を果たしたこの試合は、ファンの間でも名勝負として名高い一戦です。 しかし、タイガー本人は全く納得のいかない、ローランクの試合と語っています。 S・ライトは自分勝手な試合運びで、攻撃も受け身も中途半端。そのため、D・キッドや小林邦昭らが抜群だったメリハリや殺気が出せなかったそうです。 この辺りの話しに、プロレスの奥の深さを感じます。 https://muuseo.com/yukio/items/540 https://muuseo.com/yukio/items/600
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