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THE WRESTLER VOL.6 - '82.2.5 札幌大会パンフレット
『'82新春黄金シリーズ』1982年2月5日 札幌中島体育館大会 / 「本日の試合」スタンプ付き WWFジュニアタイトルの防衛戦 vs ブレット・ハート戦のパンフレットです。 フィニッシュ直前に繰り出されたトップロープに跳び乗ってからのミサイルキックは、プロレス史に残る伝説の一撃です。 https://muuseo.com/yukio/items/545?theme_id=43285
パンフレット タイガーマスク A4TORA
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'76 闘魂シリーズ 第二弾 パンフレット
1976年の掉尾を飾った『闘魂シリーズ第二弾』。 その最終戦、蔵前国技館大会パンフレットです。 本大会のメインはA・猪木 vs W・ルスカ。 この年の2月6日に行われた初の異種格闘技戦の再戦でした。 第一試合は 佐山サトル vs 小林邦昭。 "ストロング・スタイル"を体現した2人の闘いは、佐山さんがデビューしてからメキシコに立つまでの2年間に、実に72回に渡り行われました。 佐山さんは本シリーズ全34戦中23戦に出場、また当時の若手の登竜門『第3回カール・ゴッチ杯争奪リーグ戦』に参加しています。 https://muuseo.com/yukio/diaries/41
パンフレット 佐山聡 A3TORA
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'81.6 イギリスプロレス大会対戦表
本コレクションはイギリスで開催されたレスリング大会の対戦力ード表です。開催時期は裏面の記載事項から考えて1981年6月上旬〜中旬と考えられます。 当日の対戦カード中に『ミック・マクマナス vs サミー・リー』の表記が見られますが、この時期に佐山サトルさんはサミー・リーとして渡英してはいません。 サミー・リー出場の告知はされたものの不出場だった大会はいくつもあり、その中の一つであろうこの大会の開催日は不明です。 この対戦カード表の裏面に印刷された同月18日開催のウェンブリー・アリーナ大会の予告には『世界ヘビーミドル級王座決定戦 サミー・リー vs マーク・ロコ』のカードが記されています。 しかし、4月にタイガーマスクとしてデビューを果たしていた佐山サトルさんはこちらの大会も欠場、王座決定戦は消滅していまいました。 後のタイガーマスク vs ブラック・タイガー -WWF Jr.タイトルをめぐり激闘を展開することとなる2人- その前夜に予定されていた "幻の一戦" に関する貴重な資料です。 https://muuseo.com/yukio/items/306
パンフレット サミー・リー A4TORA
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『格闘技世界一決定戦 ザ・モンスターマン vs A・猪木』パンフレット
1977年8月2日 日本武道館にて行われた『格闘技世界一決定戦』ザ・モンスターマン vs アントニオ猪木 戦のパンフレットです。 この大会で、佐山聡さんは挑戦者を募り、他流試合を行うことが発表されていました。 そのため、対戦カード表の相手は空欄になっています(画像6、7枚目)。 結局調印式までに挑戦者は現れず、この他流試合は流れましたが、そもそも佐山さんは大会3日前の猪木さんとの公開練習で右肩を脱臼しており、仮に挑戦者がいたとしても、出場は厳しかったでしょう。 本大会には、全米プロ空手ライト級王者 ベニー・ユキーデが初参戦を果たしています(全日本キック ライト級1位 鈴木勝幸に6R KO勝利)。 この時のユキーデのインパクトが、同年11月14日の『格闘技大戦争』に繋がることとなります。 本大会後には新日本プロレスが「発足した世界格闘技連合(WMA)の所属選手候補1号として佐山を目白ジムに預ける」と発表。 この時点で、すでに佐山さんは打撃技の修得を目指してキックの名門 目白ジムでトレーニングを積んでいましたが、11月の『格闘技大戦争』出場に向け、本格的な打撃特訓に入ることとなります。
パンフレット 佐山聡 A3TORA
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佐山聡デビュー戦パンフレット
'76 ゴールデンファイトシリーズ 5月28日後楽園ホール大会パンフレット 「本日の試合」スタンプ付き 『プロレスラー 佐山聡』のデビュー戦が行われた大会のパンフレットです。 本誌中にご本人の紹介記事は一切ありません。 またネームスタンプも用意されていなかったため、「本日の試合」の対戦表にすら名前は出ていません。 しかし本コレクションは、後のプロレス界、格闘技界に絶大な影響を及ぼすこととなる『佐山聡』が、その輝かしい歴史の第一歩を踏み出した日の超貴重な資料です。 当日の記録は以下の通りです。 1976年5月28日 ゴールデン・ファイトシリーズ第1戦(TV生中継) 後楽園ホール 観客2300人 第一試合15分1本勝負 魁勝司(9分44秒エビ固め)佐山聡 対戦相手は魁勝司(画像4枚目)。大ベテランの先輩のリードもあり、佐山さんご自身も納得のいくデビュー戦だったようです。 また、デビューを果たした本シリーズ、佐山さんは全17戦中13試合に出場しました。 画像7枚目 / この時期、新日本プロレスでは、世紀の一戦「A・猪木 vs M・アリ」が1ヶ月後(6月26日)に迫っていました。
パンフレット 佐山聡 1976年TORA
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Wrestling Revew - サミー・リー時代のプログラム
タイガーマスク前夜となるイギリス『SAMMY LEE』時代のプログラム。 " New Sensation - SAMMY LEE " と題したサミー・リー特集のプログラムとなっています。 このパンフレットは1980年10月30日 LEED TOWN HALL での大会プログラムです。 サミー・リーのイギリスデビューは1980年10月8日-まさに"Sensational"なデビュー直後に組まれた特集記事です。 記事中興味深いのは、本名が「サトル・サヤマ」でなく「Ricki Kawaski」と記されている部分です。 これは師匠カール・ゴッチにより用意されたリングネームでした(「イギリス人が発音しやすい」との理由で考案)」。 しかし、佐山さんの動きを目の当たりにしたプロモーターのマックス・クラブトリーにより「ブルース・リーの従兄弟」というギミックが考えられ、『サミー・リー』が誕生しました。 尚、本プログラムの大会に、サミー・リー自身は出場していません。 同日はディグベスでラッキー・ゴードンと対戦した記録が残っています。
パンフレット サミー・リー B5TORA
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シューティングバイブル vol.2
1988年9月11日 シューティング 第6クールのパンフレットです。 佐山サトルさんは、巻頭エッセイ『打・投・極』の中で、シューティングにおける基本精神の確立について説いています。 また、組織としての新体制の確立、第3クール後、根本的な立て直しを図ったベール期間中の信州合宿の模様など、シューティング創成期の歴史を見ることができる貴重な資料です。
パンフレット 佐山聡 A4TORA
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Wrestling Revew-"Rollerball" ROCCO 資料
ブラック・タイガーことマーク・ロコの特集が掲載されたイギリスの大会プログラムです。 1980年2月5日と1981年1月27日の2枚。 81年1月といえば、サミー・リーとの抗争が大ブレイクしていた時期です。 当時のイギリスマットは、プロモーターの連携組織「ジョイント・プロモーション」が仕切っており、国内でだいたい週30興業程打たれていたそうです。 サミー・リーもマーク・ロコも、このジョイント・プロモーションに上がっていました。 本プログラム大会の日、2人はオクスフォードの別大会に出場し、シングルマッチで対戦した記録が残っています。 サミー・リー最大のライバルであったマーク・ロコの特集記事の隣りには、イギリスマット界の実力者にしてサミー・リーの世話人であったウェイン・ブリッジ の特集も掲載されています。
パンフレット プロレス A5TORA
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'76 アジア・リーグ戦パンフレット
新日本プロレス '76.7.24 島根県出雲市体育館大会パンフレット 1976年7月9日に開幕した『アジア・リーグ戦』パンフレットです。 本シリーズで佐山さんの試合が組まれたのは、全25戦中5戦のみでした。 本誌中には、前シリーズ『ゴールデンファイト・シリーズ』開幕戦(5月28日後楽園ホール大会)でプロデビューした佐山聡さんが、コラム「おれはゆく」で大きく紹介されています。 また、デビューシリーズ終了後の6月26日には、日本武道館において、『A・猪木 vs M・アリ』の世紀の一戦が行われており、その特集記事も掲載されています。 本パンフレットは、後の総合格闘技の創始者のデビューと、後の総合格闘技の礎となった試合を伝える資料となっています。
パンフレット 佐山聡 A3TORA
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'81 ビッグファイトシリーズ 第1弾パンフレット
'81 ビッグファイトシリーズ 第1弾パンフレット このシリーズは、タイガーマスクがデビューした『'81 ビッグファイトシリーズ 第2弾』の前シリーズに当たります。 本誌巻頭のシリーズ展望の中に、「佐山聡凱旋」について触れられています。 またチケットやシリーズの告知、大会ポスターにも「凱旋帰国」の文字と共に顔写真が掲載されています(画像7枚目、8枚目)。 しかし、タイガーマスクデビューの話が持ち上がり、凱旋帰国は急遽取り止めとなったようです。 このシリーズでは新たに新設されたWWFライトヘビー級王座決定トーナメントが行われましたが、佐山さんも出場予定だったようです。 トーナメントを勝ち抜き、初代王者となったのは、ペロ・アグアヨでした。 https://muuseo.com/yukio/items/585?theme_id=43285
パンフレット プロレス A3TORA
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闘魂スペシャル Vol 3
『'83 ブラディファイト・シリーズ』特集号 タイガーマスク引退直後のシリーズパンフレットです。 パンフレットは、タイガーの改名が決定、本シリーズが「さよならタイガーマスク シリーズ」となることを前提とした内容となっています。 シリーズ参加選手の紹介でも、猪木、坂口、藤波と並んで大きく掲載。他、至る所でタイガーの記事や写真を見ることができます。 いかに突然の引退であったかが、よく表れています。
パンフレット タイガーマスク A4TORA
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'82 当時の直筆サイン入りパンフレット- '82.5.6 福岡大会
『'82 ビッグファイト・シリーズ』1982年5月6日 福岡スポーツセンター / 「本日の試合」スタンプ入り 表紙のサインは当日の大会会場にて、負傷欠場中だったご本人により書かれたものです。 4月22日開幕したこのシリーズ、タイガーは25日山形大会で右ヒザの負傷に見舞われ、5月1日から欠場、WWF Jr.ヘビー級王座も返上に追い込まれました。 この福岡大会では、同王座決定戦がB・タイガーとグラン浜田との間で行われています。 試合はB・タイガーが両者リングアウトからの延長戦を制して新王者となりました。 https://muuseo.com/yukio/items/513 https://muuseo.com/yukio/items/516?theme_id=25225
パンフレット タイガーマスク A4TORA
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『U.W.F 無限大記念日』'84.7.24 大会パンフレット
1984年7月23、24日の2日に渡って開催された『U.W.F 無限大記念日』。 その大会2日目のパンフレットです。 タイガーは『ザ・タイガー』として同大会に参戦。 初日は高田信彦と組んで、藤原喜明&前田日明と対戦しました。 そして2日目はマッハ隼人と対戦、9分17秒 タイガースープレックスで勝利しています。 https://muuseo.com/yukio/items/590?theme_id=20092 https://muuseo.com/yukio/items/162
パンフレット ザ・タイガー A4TORA
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『U.W.F 無限大記念日』'84.7.23 大会パンフレット
1984年7月23日『U.W.F 無限大記念日』後楽園ホール大会パンフレット タイガーは引退から1年後の'84年7月23日、旧UWFのリングに『ザ・タイガー』として復帰、高田信彦と組んで、藤原喜明&前田日明と対戦しました。 354日ぶりの復帰戦でしたが、16分24秒高田が藤原に原爆固めで敗れ、勝利を飾ることはできませんでした。 "格闘プロレス"を模索する中で行われたこの試合、タイガーは初めてシューティング・レガースを着用して試合をしています。 https://muuseo.com/yukio/items/590?theme_id=20092 https://muuseo.com/yukio/items/555? https://muuseo.com/yukio/items/162?theme_id=25220
パンフレット ザ・タイガー A4TORA
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『INOKI BOM-BA-YE 2010』パンフレット
2010年12月3日 両国国技館で開催かれた『INOKI BON-BA-YE 2010』大会パンフレットです。 タイガーマスクは本大会第5試合に出場しています。 第5試合 初代タイガーマスク&U・ドラゴン vs 藤波辰爾&紅白仮面 この試合でタイガーとU・ドラゴンが使用したマスクは、奇遇なことに、両方とも私の所有するコレクションとなっています。 画像7枚目がそのマスク、画像8枚目は試合でのショットです。 https://muuseo.com/yukio/items/4?theme_id=20092 https://muuseo.com/yukio/items/156?theme_id=20092 https://muuseo.com/yukio/items/556
パンフレット プロレス A4TORA
