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シューティングバイブル vol.2
1988年9月11日 シューティング 第6クールのパンフレットです。 佐山サトルさんは、巻頭エッセイ『打・投・極』の中で、シューティングにおける基本精神の確立について説いています。 また、組織としての新体制の確立、第3クール後、根本的な立て直しを図ったベール期間中の信州合宿の模様など、シューティング創成期の歴史を見ることができる貴重な資料です。
パンフレット 佐山聡 A4TORA
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Wrestling Revew
ブラック・タイガーことマーク・ロコの特集が掲載されたイギリスの大会プログラムです。 1980年2月5日と1981年1月27日の2枚。 81年1月といえば、サミー・リーとの抗争が大ブレイクしていた時期です。 当時のイギリスマットは、プロモーターの連携組織「ジョイント・プロモーション」が仕切っており、国内でだいたい週30興業程打たれていたそうです。 サミー・リーもマーク・ロコも、このジョイント・プロモーションに上がっていました。 本プログラム大会の日、2人はオクスフォードの別大会に出場し、シングルマッチで対戦した記録が残っています。 サミー・リー最大のライバルであったマーク・ロコの特集記事の隣りには、イギリスマット界の実力者にしてサミー・リーの世話人であったウェイン・ブリッジ の特集も掲載されています。
パンフレット プロレス A5TORA
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'76 アジア・リーグ戦パンフレット
新日本プロレス '76.7.24 島根県出雲市体育館大会パンフレット 1976年7月9日に開幕した『アジア・リーグ戦』パンフレットです。 本誌中には、前シリーズ『ゴールデンファイト・シリーズ』開幕戦(5月28日後楽園ホール大会)でプロデビューした佐山聡さんが、コラム「おれはゆく」で大きく紹介されています。 また、デビューシリーズ終了後の6月26日には、日本武道館において、『A・猪木 vs M・アリ』の世紀の一戦が行われており、その特集記事も掲載されています。 本パンフレットは、後の総合格闘技の創始者のデビューと、後の総合格闘技の礎となった試合を伝える資料となっています。
パンフレット 佐山聡 A3TORA
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'81 ビッグファイトシリーズ 第1弾パンフレット
'81 ビッグファイトシリーズ 第1弾パンフレット このシリーズは、タイガーマスクがデビューした『'81 ビッグファイトシリーズ 第2弾』の前シリーズに当たります。 本誌巻頭のシリーズ展望の中に、「佐山聡凱旋」について触れられています。 またチケットやシリーズの告知、大会ポスターにも「凱旋帰国」の文字と共に顔写真が掲載されています(画像7枚目、8枚目)。 しかし、タイガーマスクデビューの話が持ち上がり、凱旋帰国は急遽取り止めとなったようです。 このシリーズでは新たに新設されたWWFライトヘビー級王座決定トーナメントが行われましたが、佐山さんも出場予定だったようです。 トーナメントを勝ち抜き、初代王者となったのは、ペロ・アグアヨでした。
パンフレット プロレス A3TORA
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闘魂スペシャル Vol 3
『'83 ブラディファイト・シリーズ』特集号 タイガーマスク引退直後のシリーズパンフレットです。 パンフレットは、タイガーの改名が決定、本シリーズが「さよならタイガーマスク シリーズ」となることを前提とした内容となっています。 シリーズ参加選手の紹介でも、猪木、坂口、藤波と並んで大きく掲載。他、至る所でタイガーの記事や写真を見ることができます。 いかに突然の引退であったかが、よく表れています。
パンフレット タイガーマスク A4TORA
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'82 当時の直筆サイン入りパンフレット- '82.5.6 福岡大会
『'82 ビッグファイト・シリーズ』1982年5月6日 福岡スポーツセンター / 「本日の試合」スタンプ入り 表紙のサインは当日の大会会場にて、負傷欠場中だったご本人により書かれたものです。 4月22日開幕したこのシリーズ、タイガーは25日山形大会で右ヒザの負傷に見舞われ、5月1日から欠場、WWF Jr.ヘビー級王座も返上に追い込まれました。 この福岡大会では、同王座決定戦がB・タイガーとグラン浜田との間で行われています。 試合はB・タイガーが両者リングアウトからの延長戦を制して新王者となりました。 https://muuseo.com/yukio/items/513 https://muuseo.com/yukio/items/516?theme_id=25225
パンフレット タイガーマスク A4TORA
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『U.W.F 無限大記念日』'84.7.24 大会パンフレット
1984年7月23、24日の2日に渡って開催された『U.W.F 無限大記念日』。 その大会2日目のパンフレットです。 タイガーは『ザ・タイガー』として同大会に参戦。 初日は高田信彦と組んで、藤原喜明&前田日明と対戦しました。 そして2日目はマッハ隼人と対戦、9分17秒 タイガースープレックスで勝利しています。 https://muuseo.com/yukio/items/590?theme_id=20092 https://muuseo.com/yukio/items/162
パンフレット ザ・タイガー A4TORA
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『U.W.F 無限大記念日』'84.7.23 大会パンフレット
1984年7月23日『U.W.F 無限大記念日』後楽園ホール大会パンフレット タイガーは引退から1年後の'84年7月23日、旧UWFのリングに『ザ・タイガー』として復帰、高田信彦と組んで、藤原喜明&前田日明と対戦しました。 354日ぶりの復帰戦でしたが、16分24秒高田が藤原に原爆固めで敗れ、勝利を飾ることはできませんでした。 "格闘プロレス"を模索する中で行われたこの試合、タイガーは初めてシューティング・レガースを着用して試合をしています。 https://muuseo.com/yukio/items/590?theme_id=20092 https://muuseo.com/yukio/items/555? https://muuseo.com/yukio/items/162?theme_id=25220
パンフレット ザ・タイガー A4TORA
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『INOKI BOM-BA-YE 2010』パンフレット
2010年12月3日 両国国技館で開催かれた『INOKI BON-BA-YE 2010』大会パンフレットです。 タイガーマスクは本大会第5試合に出場しています。 第5試合 初代タイガーマスク&U・ドラゴン vs 藤波辰爾&紅白仮面 この試合でタイガーとU・ドラゴンが使用したマスクは、奇遇なことに、両方とも私の所有するコレクションとなっています。 画像7枚目がそのマスク、画像8枚目は試合でのショットです。 https://muuseo.com/yukio/items/4?theme_id=20092 https://muuseo.com/yukio/items/156?theme_id=20092 https://muuseo.com/yukio/items/556
パンフレット プロレス A4TORA
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THE WRESTLER VOL.7 - '82.4.1 蔵前国技館大会パンフレット
『'82 第5回 MSGシリーズ』1982年4月1日 蔵前国技館大会 / 「本日の試合」スタンプ付き 空欄になっているタイガーマスクの対戦相手は スティーブ・ライト。WWF Jr ヘビー級タイトルマッチでした。 タイガーマスクが5度目のタイトル防衛を果たしたこの試合は、ファンの間でも名勝負として名高い一戦です。 しかし、タイガー本人は全く納得のいかない、ローランクの試合と語っています。 S・ライトは自分勝手な試合運びで、攻撃も受け身も中途半端。そのため、D・キッドや小林邦昭らが抜群だったメリハリや殺気が出せなかったそうです。 この辺りの話しに、プロレスの奥の深さを感じます。 画像6枚目 7枚目 本大会の結果を報じる東京スポーツ紙面です。 https://muuseo.com/yukio/items/541 https://muuseo.com/yukio/items/600?theme_id=43285
パンフレット タイガーマスク 新日本プロレスTORA
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THE WRESTLER VOL.11 - '82.9.21 大阪大会パンフレット
『'82 ブラディファイト・シリーズ 』1982年9月21日 大阪府立体育会館大会 / 「本日の試合」スタンプ付き メインでA・猪木 vs R・木村 のヘアーベンドマッチ(敗者髪切りマッチ)が行われた大会のパンフレットです。 タイガーマスクは第6試合WWF Jr.防衛戦でB・タイガーと対戦。19分8秒エビ固めでタイトルを防衛しています。 このシリーズ中、B・タイガーとは本試合を含め3度シングルで対戦しています。 以下は、他2試合の記録です。 8月29日 田園コロシアム WWF Jr. タイトル戦 ○T・マスク (18分3秒 リングアウト)×B・タイガー *下記リンク参照 9月6日 熊本市体育館 ▲T・マスク(11分22秒 両者リングアウト)▲B・タイガー https://muuseo.com/yukio/items/134?theme_id=27378
パンフレット タイガーマスク 1982年TORA
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『新日本プロレス創立10周年記 3大スーパーファイト』大会パンフレット
1981年6月24日 『新日本プロレス創立10周年記念 3大スーパーファイト』蔵前国技館大会パンフレット / 別紙対戦カード付き 新日創立10周年記念と銘打った大会の第1弾です。 このパンフレットは7月3日から開幕の『サマーファイトシリーズ』のものと同じですが、表紙のデザイン違いで2種あります(下記リンク「THE WRESTLER VOL.2 」参照)。 当日の対戦カードは別刷りで挟み込まれています(画像1、2枚目)。 タイガーマスクは第6試合『東スポ杯争奪戦』 60分1本勝負でビジャノ3号と対戦。 フェイントをかけたポスト最上段からのプランチャーで、ビシャノ3号を 15分55秒 場外KOに葬りました。 この大会は、谷津嘉章の日本デビュー戦となった 【A・猪木&谷津嘉章 vs S・ハンセン&A・ブッチャー】 の一戦でも有名です。 https://muuseo.com/yukio/items/504?theme_id=27378 https://muuseo.com/yukio/items/75?theme_id=27378
パンフレット タイガーマスク 1981年TORA
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'77.11.14 格闘技大戦争 パンフレット
1977年11月14日 日本武道館で行われた『格闘技大戦争』の大会パンフレットです。 「全米プロ空手 対 キックボクシング」と銘打たれたこの大会は、後に総合格闘技の創始者となる佐山聡さんの人生を大きく決定付けた試合【佐山サトル vs マーク・コステロ】が行われた大会として、あまりにも有名です。 全米プロ空手 世界ミドル級1位のM・コステロを相手に、キックボクシングルールで行われたこの試合で、佐山さんは6R中7度のダウンを奪われる大敗を喫しました。 しかし、この戦いの中で、まだ見ぬ総合格闘技への手応えを感じていたのではないでしょうか。 https://muuseo.com/yukio/items/494 https://muuseo.com/yukio/items/489?theme_id=20298
パンフレット 佐山聡 B5TORA
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『シューティング・セカンドクール』大会パンフレット
1987年5月13日 東京世田谷のセントメリー・インターナショナル・スクールで開催された『シューティング・セカンドクール』の大会パンフレットです。 このパンフレットは、ワープロで打った紙を綴じただけの質素な作りです。 前年6月に後楽園ホールで開催され、大きな注目を集めた『第一回プリ・シューティング大会』に対して、佐山聡さんの「とにかく地味に」という方針を反映して開催されました。 この年3月に修斗協会が発足。佐山さんは理事長に、最高顧問には 安倍晋太郎 衆議院議員(当時 自民党総務会長)が就いています。 常任理事には、ビクトル古賀、松浪健四郎らと並んで、師である カール・ゴッチ の名も見られます。
パンフレット 佐山聡 A4TORA
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Wrestling Revew - サミー・リー時代のプログラム
1981年4月6日 ブラッドフォード大会 サミー・リー vs リー・シャンロン タイガーマスクとなる2週間ほど前、イギリス『SAMMY LEE』時代のプログラムです。 表紙も中面もサミーとビッグ・ダディのコンビが掲載されています。 実力はさておき、ビッグ・ダディはイギリスマット界ではヘビー級ベビーフェイスのトップ。この当時で50歳を過ぎていましたが、カリスマ的人気を誇っていました。 80年10月から81年4月と、タイガーデビュー以後の6月から7月の短期遠征というわずかな期間ながら、イギリスマット界に一大センセーションを巻き起こした『SAMMY LEE』の貴重な資料です。
パンフレット サミー・リー A5TORA