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ザウバー・ペトロナス C19
ディニスのF1デビューは95年のフォルティコルセ。国際F3000の名門チームをスポンサーマネーでF1に押し上げての参戦だった。ディニスはF1では6年目で、この年はノーポイントでF1から去ったが01年はプロストチームの共同経営者になった。お金でF1のシートを買ったと言われ続けたが、リジェ、アロウズ、ザウバーを渡り歩いた4年間はしっかり入賞もしていた。99年のザウバーではアレジが2ポイントに対して3ポイントとリードしてみせた。
P・ディニス ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2003.4.16ゆーじ
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ウィリアムズ・フォード FW08C
カーナンバー1を付けたFW08C。パトリック・ヘッドが設計。当初は6輪車で開発されたFW08Bの血を引いているのでこのような形になった。サイドポンツーンはショート化され、エンジンは上位3チームがターボに対して、フォードDFVの改良型のDFYを使ったがパワーはターボと明らかに差があった。だがケケは輝きを放つ。予選ではチームメイトを圧倒し、ポイントは27とコンストラクターズ4位に大きく貢献した。特に開幕戦のブラジルGPのP•Pや、雨のモナコのスリックスタートのギャンブルからの勝利は奇跡と言ってもいいだろう。
K•ロズベルグ ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2003.4.16ゆーじ
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ジョーダン・プジョー 197
ラルフのF1デビューマシン。たしかに輝いたシーズンだったが、荒さも目立ってしまった。第3戦アルゼンチンGPでは早くも初ポイントを3位表彰台で飾ったが、チームメイトのフィジケラを押し出したことで二人の対立が始まった。結果、6回の入賞で13ポイント。しかし17戦で10回のリタイアで、その半分の5回はアクシデントによるものだった。197はゲイリー・アンダーソンの設計。セットアップのしやすさとプジョーエンジンの信頼性とパワフルさでバランスのいいマシンに仕上がっていた。
R・シューマッハー ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2003.4.16ゆーじ
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マクラーレン・メルセデス MP4/11
マクラーレンでのフル参戦3年目。前年最終戦のクラッシュの影響があったのか、前半戦は予選でクルサードに後れをとる姿もあった。だが結果はポイントでは31対18とリードし、ランキングは5位だった。完走13回、入賞12回、表彰台4回と安定していた。MP4/11はニール・オートレイとアンリ・デュランの設計。フロントのグリップが不足していて操縦性が過敏だった。中盤戦からはショートホイールベースのMP4/11Bを投入して成績が上向く。だがダウンフォースの必要なコースではセンターウィングを取り付けて走った。またエンジンのトラブルは極端に少なく、信頼性をしっかり確保していた。そして1974年から続いたマルボロの契約が終了。日本をF1熱狂時代に導いた赤白のマルボロカラーはこの96年で終わりを迎えた。
M・ハッキネン ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2003.4.16ゆーじ
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マクラーレン・プジョー MP4/9
94年のハッキネンは26歳。マクラーレンではセナが抜けてファーストドライバーになる。しかしエンジンをフォードからF1ルーキーのプジョーにスイッチしたことで山あり谷ありのシーズンになってしまった。結果は26ポイントでランキング4位で数字的にはまずまず。しかしリタイアは15戦中7回で、エンジントラブルは4回だがドイツGPでは多重クラッシュの原因になったとして1戦出場停止になってしまった。
M・ハッキネン ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2003.4.16ゆーじ