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『少年マガジン』の表紙がアートだった時/エッシャー(1)
1970年2月08日・第12巻07号・原画/エッシャー/「Belvedere(物見の塔)」 マウリッツ・コルネリス・エッシャー(Maurits Cornelis Escher,1898年6月 -1972年3月)/リトグラフ、メゾティントなどの版画制作で知られるオランダの版画家。 <Google> https://g.co/kgs/qgN94u 日本に初めてエッシャーを紹介したのは「少年マガジン」。1968年8月11日号から12月15日号まで18週にわたる特集企画「ふしぎ特捜隊」の扉ページや、1970年2月8日から続く7、8、9号の表紙を飾りました。 #雑誌 #少年マガジン #表紙 #エッシャー
雑誌 少年マガジン 講談社 70円横浜黄昏
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『少年マガジン』の表紙がアートだった時/番外編(1)
1970年03月08日・第12巻11号・原画/手塚治虫・「万博怪獣エクスポラ」 ⭐️手塚治虫描き下ろしの表紙絵「万博怪獣エクスポラ」、本誌奥付(写真3)に各エレメントの説明がある。写真4、5はその部分拡大、6枚目は氏のコメント、7枚目が原画。 #雑誌 #少年マガジン #表紙 #手塚治虫 #大阪万博 #エキスポ70 https://youtu.be/_dnFxMsEsAA
雑誌 少年マガジン 講談社 70円横浜黄昏
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『少年マガジン』の表紙がアートだった時/横尾忠則(4)
1970年6月14日・第12巻25号・表紙構成/横尾忠則・原画/石森章太郎・『リュウの道』 #雑誌 #少年マガジン #表紙 #横尾忠則
雑誌 横尾忠則 講談社 70円横浜黄昏
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『少年マガジン』の表紙がアートだった時/横尾忠則(3)
1970年6月07日・第12巻24号・表紙構成/横尾忠則 原画/影丸譲也・原作/真樹日佐夫『ワル』 ⭐️特報記事に『ブームのジョー、舞台公演決まる。東横劇場で主演は石橋正次』とあります。 #雑誌 #少年マガジン #表紙 #横尾忠則
雑誌 少年マガジン 講談社 70円横浜黄昏
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『少年マガジン』の表紙がアートだった時/エッシャー (3)
1970年2月22日・第12巻09号・原画/エッシャー/「Red Ant’s(メビウスの輪)」 メビウスの帯、またはメビウスの輪は、帯状の長方形の片方の端を180°ひねり、他方の端に貼り合わせた形状の図形である。メービウスの帯ともいう。 数学的には向き付け不可能性という特徴を持ち、その形状が化学や工学などに応用されているほか、芸術や文学において題材として取り上げられることもある。( ウィキペディアより) <Google>https://g.co/kgs/frdFZm #雑誌 #少年マガジン #表紙 #エッシャー
雑誌 少年マガジン 講談社 70円横浜黄昏
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『少年マガジン』の表紙がアートだった時/エッシャー(2)
1970年2月15日・第12巻08号・原画/エッシャー/「Bond of union(婚姻の絆)」 昨年はエッシャー生誕120年でもあり、ここ数年エッシャー展が各地で催され会場はどこも賑わっているようです。ところで、日本に初めてエッシャーを紹介したのは「少年マガジン」だった。 そうそう、この号で『力石徹』が死に、寺山修司を中心に前代未聞の告別式が執り行われることになるのだがそれはまたの機会にアップします。 #雑誌 #少年マガジン #表紙 #エッシャー #あしたのジョー #力石徹
雑誌 少年マガジン 講談社 70円横浜黄昏
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『少年マガジン』の表紙がアートだった時/横尾忠則(2)
1970年5月31日・第12巻23号・表紙構成/横尾忠則 原画/川崎のぼる・原作/梶原一騎『 巨人の星』 えと、「少年マガジン」の1970年の表紙絵がワンダーでインタレスティング、前年や翌年とはガラッと変りスゴイ『アート』でヤバイと言うコレクション。 で、「だまし絵」の版画家 エッシャー、シュルレアリスムの画家マグリット、ブラック・ジョークの漫画家 シネ、そして極め付けは美術家の横尾忠則など多彩な才能の作品を表紙にして「もうマガジンは卒業」としていた団塊の世代をも呼び戻したのだった。 ⭐️今回展示第1弾は最もインパクトの強いと思われる横尾忠則氏構成の表紙、連載漫画のタイトルが直筆、なんとアニメ「巨人の星」の主題歌が刻まれ、日付、号数、定価などはまるでゴム印カスレ文字、おまけに表紙全体がモノクロ、販売部はこんなので売れるのかと危惧したが蓋を開けたら150万部完売したという。 ⭐️写真3枚目以降は巻頭グラビヤ「カラー特別企画 横尾忠則の世界」 #雑誌 #少年マガジン #表紙 #横尾忠則 #巨人の星 https://youtu.be/-10trdg06YI
雑誌 少年マガジン 講談社 70円横浜黄昏