-
1984年 トールマンTG 184 S.ヨハンソン
1984年 イタリアGP 決勝4位 1983年にスピリット.ホンダにてF1デビューするも、1984年は全日本F2に参戦、ランキング2位に。F1には、M.ブランドル負傷のティレルチームから第10戦イギリスGPから参戦、イタリアGPを欠場したA.セナの代役でトールマンから出走した。
1984年 sparkWataru Okabe
-
1988年 ウイリアムズFW12 R.パトレーゼ
1988年 モナコGP 6位 此の年ホンダエンジンを失ったウイリアムズは、市販のジャッドエンジンで戦うが、低迷する。
1988年 sparkWataru Okabe
-
1980年 ティレル010 D.デイリー
1980年 イギリスGP 4位 低迷の続くティレルティーム、デイリーはドライバーズランキング6ポイントで10位。
1980年 sparkWataru Okabe
-
1973年 マクラーレンM23 P.レヴソン
1973年 イギリスGP 優勝 ピーター·レヴソンは、此の年のドライバーズランキング5位と活躍。翌年シャドウチームに移籍、南アフリカでのテスト中に事故死してしまう。
1973年 sparkWataru Okabe
-
1968年 マートラMS10 J.スチュワート
1968年 アメリカGP 優勝 J.スチュワートはこの年からK.ティレルのマネージメントするマートラ.インターナショナルで出走。3勝あげてシーズン2位になる。
1968年 sparkWataru Okabe
-
1967年 イーグルT1G D.ガーニー
1967年 ノンタイトル戦 レースオブチャンピオンズ優勝 ウェスレイクV12エンジンの、軽量化と熟成が進み最速マシーンのひとつに迄成長。アメリカ製のマシーンとアメリカ人オーナードライバー D.ガーニーは、1967年ベルギーGPで勝利する。
1967年 sparkWataru Okabe
-
1977年 ペンスキーPC4 H.ヘイヤー
1977年 ドイツGP 決勝リタイヤ 前年限りでワークス活動を中止したペンスキーに代わって、ATSレーシングが、PC4を走らせた。 ドイツGPでは、ツーリングカーで、活躍していたH.ヘイヤーが2台目でエントリー。
1984年 sparkWataru Okabe
-
1984年 アルファロメオ184T R.パトレーゼ
1984年 イタリアGP 決勝3位 前年までのマルボロカラーからベネトングリーンに。だが、イタリアで3位になったが、3回の入賞にとどまりドライバーズランクは、13位と伸び悩む。シーズンを通して燃費に苦しんだ。
1984年 sparkWataru Okabe
-
1984年 アルファロメオ184T E.チーバー
1984年 ブラジルGP 決勝4位 開幕戦のブラジルGPで4位に、このシーズン唯一のポイントとなってしまった。ドライバーズランクは、16位
1984年 sparkWataru Okabe
-
1976年 マクラーレンM23 J.ハント
1976年 南アフリカGP 決勝2位 エンジンの上にそびえるインダクションポッドが目を引くが、第4戦から規定が変更となり、大きなインダクションポッドは低くなる。
1976年あ sparkWataru Okabe
-
1979年 シャドウDN9 J.ラマース
1979年 モナコGP 予選不通過 ボディに描かれたライオンは、手書きであった。時代を超えて最も美しいマシーンの一つである。
1979年 sparkWataru Okabe
-
1979年 エンサインN179 D.デイリー
1979年 南アフリカGP プラクティス コックピット前の巨大なラジエーターが異様。醜いデザインとして記憶に残る1台。
1979年 sparkWataru Okabe
-
1983年 マクラーレンMP4/1C N.ラウダ
1983年 ロングビーチGP 決勝2位 アメリカ ロングビーチでマクラーレンは1ー2フィニッシュをおさめる。シーズン終盤にはTAGターボV6エンジンを投入、時代はマクラーレンの時代に傾いていくこととなる。
1983年 sparkWataru Okabe
-
1982年 リジェJS19 E.チーバー
1982年 ラスベガスGP 決勝3位 ティレルから移籍してきたチーバー、3位2回など15ポイント挙げ、ランキングは12位に。
1982年 sparkWataru Okabe
-
1982年 リジェJS19 J.ラフィー
1982年 モナコGP リタイヤ マトラエンジンに戻って2シーズン目、結果成績は落ち込む一方となる。
1982年 sparkWataru Okabe