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1984年 トールマンTG 184 S.ヨハンソン
1984年 イタリアGP 決勝4位 1983年にスピリット.ホンダにてF1デビューするも、1984年は全日本F2に参戦、ランキング2位に。F1には、M.ブランドル負傷のティレルチームから第10戦イギリスGPから参戦、イタリアGPを欠場したA.セナの代役でトールマンから出走した。
1984年 sparkWataru Okabe
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1988年 ウイリアムズFW12 R.パトレーゼ
1988年 モナコGP 6位 此の年ホンダエンジンを失ったウイリアムズは、市販のジャッドエンジンで戦うが、低迷する。
1988年 sparkWataru Okabe
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1980年 ティレル010 D.デイリー
1980年 イギリスGP 4位 低迷の続くティレルティーム、デイリーはドライバーズランキング6ポイントで10位。
1980年 sparkWataru Okabe
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1973年 マクラーレンM23 P.レヴソン
1973年 イギリスGP 優勝 ピーター·レヴソンは、此の年のドライバーズランキング5位と活躍。翌年シャドウチームに移籍、南アフリカでのテスト中に事故死してしまう。
1973年 sparkWataru Okabe
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1998年 ベネトンB198 A.ブルツ
1998年 ドライバーズランク 8位 最高位 4位5回 共に2年目のフィジケラをポイントでは上まったが、表彰台に届かなかった。
1998年 MINICHAMPSWataru Okabe
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1998年 ベネトンB198 G.フィジケラ
1998年 ドライバーズランク9位 最高位2位2回 2年目のシーズン、表彰台に2回と奮闘した。
1998年 MINICHAMPSWataru Okabe
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1998年 フェラーリF300 E.アーバイン
1998年 ドライバーズランク4位 セカンドドライバーの役割を果たした。2位3回、3位5回と安定した成績を修める。
1998年 MINICHAMPSWataru Okabe
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1998年 フェラーリF300 M.シューマッハ
1998年 ドライバーズランク2位 優勝6回 シーズン序盤6戦で、1勝と出遅れ(チャンピオンのハッキネンは、4勝)たことが大きかったか。
1998年 MINICHAMPSWataru Okabe
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1987年 ウイリアムズFW11B R.パトレーゼ
1987年 オーストラリアGP 決勝9位 第15戦の鈴鹿で負傷したマンセルの代役として翌年のチーム入りが決まっているパトレーゼが出走。
1987年 MINICHAMPSWataru Okabe
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1982年 ウイリアムズFW08 D.デイリー
1982年 ドライバーズランク13位 C.ロイテマンが、開幕2戦で突然引退したため、急遽第5戦のベルギーGPから加わる。最高位は5位にとどまる。
1982年 MINICHAMPSWataru Okabe
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1974年 ティレル007 P.ドゥパイエ
1974年 ドライバーズランク9位 J.シェクターと共に新加入、最高位はスウェーデンGPの2位。1位は同僚のシェクター。
1974年 MINICHAMPSWataru Okabe
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1968年 マートラMS10 J.スチュワート
1968年 アメリカGP 優勝 J.スチュワートはこの年からK.ティレルのマネージメントするマートラ.インターナショナルで出走。3勝あげてシーズン2位になる。
1968年 sparkWataru Okabe
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1967年 イーグルT1G D.ガーニー
1967年 ノンタイトル戦 レースオブチャンピオンズ優勝 ウェスレイクV12エンジンの、軽量化と熟成が進み最速マシーンのひとつに迄成長。アメリカ製のマシーンとアメリカ人オーナードライバー D.ガーニーは、1967年ベルギーGPで勝利する。
1967年 sparkWataru Okabe
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1977年 ペンスキーPC4 H.ヘイヤー
1977年 ドイツGP 決勝リタイヤ 前年限りでワークス活動を中止したペンスキーに代わって、ATSレーシングが、PC4を走らせた。 ドイツGPでは、ツーリングカーで、活躍していたH.ヘイヤーが2台目でエントリー。
1984年 sparkWataru Okabe
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1984年 アルファロメオ184T R.パトレーゼ
1984年 イタリアGP 決勝3位 前年までのマルボロカラーからベネトングリーンに。だが、イタリアで3位になったが、3回の入賞にとどまりドライバーズランクは、13位と伸び悩む。シーズンを通して燃費に苦しんだ。
1984年 sparkWataru Okabe