-
1999年アジア選手権兼シドニー五輪アジア地区予選 ホーム用その2
前回と同じく、シドニー五輪アジア地区予選となる1999年アジア選手権のレプリカユニフォーム。 ただ、前回とは少し異なる箇所があるのであらためて掲載しました。 相違点というのは、左裾のミズノマーク。いわゆる「ビッグエム」のカラーが赤から青になっている。 この「ビッグエム」というのは、当時のミズノのアマチュア向け最高峰モデルだった「ビューリーグ」のロゴで、赤の次に青になったとのこと。 今回のユニは、「ビッグエム」の下に「JAPAN」と「BFJ」のタグが追加されている。 さて、それではこの大会での背番号「18」は誰だったかというと、もちろん平成の怪物・松坂大輔である。 イエーっ!
野球ユニフォーム ミズノ五郎
-
1999年アジア選手権兼シドニー五輪アジア地区予選 ホーム用レプリカユニフォーム
シドニー五輪のアジア地区予選となる1999年アジア選手権の日本代表レプリカユニフォームです。 この大会で初めて、日本代表にプロ選手が招集されました。 この年の怪物ルーキー松坂大輔と、球界ナンバー1捕手の古田敦也がバッテリーを組んだことでも話題となった日本代表です。 この大会での「25」は鷹野史寿で、同年のドラフトで近鉄に入団した選手である。当時は日産に所属していました。 #侍ジャパン #レプリカユニフォーム
野球ユニフォーム ミズノ五郎
-
1996年アトランタ五輪 ビジター用
1996年アトランタ五輪野球日本代表のビジター用レプリカユニフォーム。 日本代表がアマチュア選手のみで構成されていた時代のレプリカは詳細が不明なものばかりです。このユニも、デザインはアトランタ五輪の頃のものですが、特徴的な左袖のJAPANマークが省略されています。 また、アトランタ五輪で背番号「1」を付けていたのは、チーム最年少の福留孝介です!
野球ユニフォーム ミズノ五郎
-
1996年アトランタ五輪 ホーム用
1996年アトランタ五輪の野球日本代表のユニフォームです。 このユニフォームもまた謎が多い一品で、左の裾を見ると五輪ロゴマークが付いているので、アトランタ五輪モデルであることは間違いありません。 問題は背番号「20」に「イソベ」です。おそらくは五輪後に近鉄バファローズに入団する礒部公一選手だと思われますが、磯部選手はアトランタ五輪には選出されていません。 ですが前年の1995年のインターコンチネンタルカップには選出されています。そうなると、磯部選手はアトランタ五輪の日本代表の、不測の事態で招集がかかるかもしれない、バックアップメンバーのような立場だったのではないか。この推察に関して調査はしてますが、解答は得られておりません。 何にせよ、珍しいユニフォームだと思います。
野球ユニフォーム ミズノ五郎
-
1992年バルセロナ五輪 ホーム用 その2
前回につづき、1992年バルセロナ五輪のホーム用レプリカユニフォームです。 ミズノのタグや、ストライプのラインが前回とは少し異なります。 背番号1は、バルセロナ五輪では大島公一(近鉄、オリックス、楽天)。そのあとは松本尚樹(後に千葉ロッテ)がつけていました。
野球ユニフォーム ミズノ五郎
-
1992年バルセロナ五輪 ホーム用
1992年バルセロナ五輪の頃の野球日本代表のレプリカユニフォーム。 確認できたのは、1992年のバルセロナ五輪から、1995年の岡山アジア野球選手権(アトランタ五輪予選)まで使用されたユニということです。 背番号11番。 残念ながら1992バルセロナ五輪には11番の選手がいない。 では1993アジア選手権パース大会はどうか。残念ながらやはり11番はいない。 こうなったら1995アジア選手権岡山大会はどうか。おう。いた。いました11番。倉野信次選手!
野球ユニフォーム ミズノ五郎
-
1984・88年ロス・ソウル五輪 ビジター用
1984年ロス五輪、もしくは1988年ソウル五輪の野球日本代表ユニフォームのビジター用です。 10数年前にネットオークションで手頃な価格で購入しました。
野球ユニフォーム ミズノ五郎
-
1984・88年ロス・ソウル五輪 ホーム用
1984年ロス五輪、1988年ソウル五輪のときの野球日本代表のレプリカユニフォームです。 どのような経緯で、いつ販売されたか、詳細は不明ですが、デザインはロス・ソウル五輪出場時のユニフォームになります。 アマチュアの日本代表時代のユニフォームなので、レプリカが販売されたとは考えにくく、情報をお持ちの方がいらしたら御教示お願い致します。
野球ユニフォーム ミズノ五郎