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WBC2006 ビジター用ユニフォーム オーセンティック
今回はWBC2006のオーセンティックユニフォーム、ビジター用。 第1回WBCは未知の大会だったためか、みなさん様子見、という感じで、東京ドームでのアジアラウンド韓国戦も超満員ではなく、空席がけっこう目立った。 日本国民がWBC、王ジャパンに目を向けたのはアメリカ・サンディエゴでの2次ラウンドアメリカ戦での審判ボブ・デビッドソンの誤審からである。 このビジター用オーセンティックユニフォームは大会中には販売されず、大会後に急遽、受注販売されたものである。確かそうだった。 ここで遂にイチローを買った。買ってしまった。 哀しい現実として、「JAPAN」レターが刺繍のオーセンティックユニフォームというのは、これが最後である。伝統の縦縞ユニでは2008年に北京五輪でオーセンティックユニが販売されるが、デザインは2004年アテネ五輪と同じである。 やはり刺繍はいいなあ、としみじみ思う。 #侍ジャパン #WBC #イチロー #野球ユニフォーム
野球ユニフォーム ミズノ五郎
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WBC2006 ホーム用
遂にWBCユニの登場です。 記念すべき、2006年開催の第1回WBCのレプリカユニフォームのホーム用。 アテネ五輪で松坂大輔のユニを買ったので、ライオンズファンとしてはWBCでは和田一浩を!ということで和田のユニを買ったのですが、哀しいほどに出番が少なくてへコーっ!となりました。 で、従来の縦縞ユニとはまったく異なるユニフォームが誕生して、当時はかなり驚きました。だってストライプが無い! どうしてこの新たなユニフォームが誕生したのか、少し長くなりますが説明します。 WBC2006の翌年2007年にはアジア選手権、さらに翌年には北京五輪に出場している侍ジャパン、すなわち野球日本代表ですが、そのときのユニフォームは従来の縦縞の代表ユニに戻っています。 なぜ、このWBCユニは着用されなかったのかというと、ざっくり言えば、それぞれの国際大会に代表チームを派遣している組織が異なるからです。 IBAF(現WBSC)主催の大会や、オリンピックに出場する日本代表チームの編成権はBFJ(全日本野球協会)がもっていました(アテネ五輪以降は全日本野球会議に変更された)。 一方、MLB主催のWBCはNPBが日本代表を派遣していました。 このためこの時代のオリンピックとWBCではユニフォームが異なっていたのです。 さらにはWBCではあらゆる収益がMLBに流れ込むシステムになっていて、レプリカユニ販売の収益も同様で、日本代表伝統の縦縞ユニの権利までもっていかれてはたまらん、ということでまったく新たなデザインのユニフォームをつくったとも言われています。 その後2013年にNPBとBFJは国際大会におけるプロとアマの一層の連携を深めるために「野球日本代表マーケティング委員会(JMBC)」の設立を発表し、そこでようやく全世代のユニフォームが統一されることになったわけです。 プロ主導の代表で着用されてきた侍ジャパン仕様に統一されたわけですが、他の競技では当たり前のことを実現するのに、野球界では阿呆みたいな時間を要した、ということになります。 #侍ジャパン #WBC #和田一浩 #野球ユニフォーム
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2004年アテネ五輪 ビジター用
前回につづき、アテネ五輪野球日本代表のレプリカユニフォーム。ビジター用。 2003年のアジア選手権からつづいた長嶋ジャパンのユニフォームもこれがラストになります。まあ、北京五輪のユニフォームが同デザインなので、ふたたびこの縦縞ユニは登場しますが。 野球日本代表のユニフォームで、ビジター用がグレーというのは、ふり返ればこの「JAPAN」ロゴのユニの時だけなんですね。2001年のワールドカップから2008年北京五輪まで。厳密に言うと、オールプロのトップチームが使用したのが北京五輪までで、アマチュアでは高校代表が出場した2012年のAAA野球世界選手権(現U-18ワールドカップ)と、アマ日本代表が出場したアジア野球選手権が最後になります。ちなみにそのときの高校代表には大谷翔平がいました。 基本的に日本代表のビジターユニは紺色。現行ユニもそうです。 小久保ジャパンのときだけ、黒っぽいですけど、あれも紺色。 けっこう長い期間にわたり使用されたユニなので当たり前のようなグレービジターですが、実は異質で貴重なユニなんですね。 #侍ジャパン #松坂大輔 #オリンピック #野球ユニフォーム
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2004年アテネ五輪 ホーム用
2004年アテネ五輪出場の野球日本代表レプリカユニフォーム。ホーム用。 前年のアジア地区予選でオリンピック出場を決めた日本代表だったが、代表監督の長嶋茂雄が病に倒れ、中畑清監督代行で大会に臨んだ。 アテネ五輪日本代表のチーム編成は、シーズン中ということもあり12球団1チーム2選手ずつという限定された選考で、まだまだ最強チーム結成とはいえなかった。 そんな時代の日本代表のエースに君臨していた平成の怪物・松坂大輔のレプリカユニフォーム。 予選リーグの大一番であるキューバ戦に先発した松坂大輔は、日本球界の悲願であったオリンピックでのキューバ戦初勝利を果たした。
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2003年 アジア選手権兼アテネ五輪アジア地区予選 ホーム用オーセンティック その2
2003年アジア野球選手権兼アテネ五輪アジア地区予選のユニフォームも遂に第4弾。最後です。 今回も前回につづき、オーセンティックユニ。 ビジター用ではなくてホーム用が二つ!というのがもどかしいところ。ビジター用は持ってないです。ヤフオクなどでもあまり見ません。まあ、いつか買います。 そして平成の怪物・松坂大輔! 1999年シドニー五輪アジア地区予選から、2009年の第2回WBCまで日本代表の絶対的エースとして活躍。 札幌開催のこのアジア予選では、第2戦の台湾戦に先発して好投した。台湾の先発は西武ライオンズのチームメイト許銘傑。 このオーセンティックユニはレプリカに比べて生地がやや厚めで、少し重厚感があります。 ですがこの先は軽量化こそが至上命令、といった感じで野球のユニフォームは薄く軽くなっていきます。 #侍ジャパン #野球日本代表 #アテネ五輪 #長嶋ジャパン #松坂大輔
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2003年 アジア選手権兼アテネ五輪アジア地区予選 ホーム用オーセンティック
2003年アジア選手権兼アテネ五輪アジア地区予選ユニフォームの第3弾となります。 今回はいつものレプリカユニではなく、プロコレ、オーセンティックです。 基本的にわたしはレプリカユニ収集家なので、オーセンティックは滅多に買いません。お値段次第です。 今回のユニフォームの値段は忘れてしまいましたが、まあそんなに高くはなかったはず。 でもやはり長嶋茂雄です。今はそれなりの価格になっているようです。 三枚目の画像にある、右袖のミズノランバードのロゴの色が金というか黄色ですが、これがアジア選手権ユニである証になります。 翌年の本選となるアテネ五輪ユニは基本的には同じデザインてすが、このミズノランバードのロゴの色が、黄色ではなく紺色になっています。 メルカリやヤフオクなどで購入する際に役立ててください。 #侍ジャパン #長嶋茂雄 #野球日本代表 #アテネ五輪 #ユニフォーム
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2003年 アジア選手権兼アテネ五輪アジア地区予選 ビジター用
2003年のアジア選手権は、翌年のアテネ五輪アジア地区予選を兼ねていて、初めて日本はオールプロで代表チームを結成しオリンピック出場を賭けた戦いに挑みました。 監督はミスタープロ野球、長嶋茂雄。 その長嶋茂雄の日本代表ビジター用ユニフォームです。 まんをじして代表監督に就任したスーパースター長嶋茂雄。 後続するオールプロの代表監督と比較しても、やはり長嶋監督のカリスマ性というか求心力というのは群を抜いていた、ような気がするそれゆえに翌年のあの出来事はショックだった。 まあ、どうしようもないことだが。 #侍ジャパン #長嶋茂雄 #アテネ五輪
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2003年 アジア選手権兼アテネ五輪アジア地区予選 ホーム用
2003年のアジア野球選手権は翌年のアテネ五輪出場を賭けたアジア地区予選を兼ねた大会で、この大会で遂に日本は、ナショナルチームを史上初となるオールプロ選手で結成します。 監督は長嶋茂雄。 メジャーリーガー不在の日本代表トップチームとしては、歴代最強と言っても過言ではないかもしれません。 この日本代表、長嶋ジャパンの特異な点は、内野手登録選手5人のうち、4人が所属チームのショートストップということである。 すなわち宮本慎也(ヤクルトS)、松井稼頭央(西武L)、二岡智宏(読売G)、井端弘和(中日D)が選出されていて、ここから代表ショートの座を奪い取ったのが、今回のユニフォームの松井稼頭央である。 前回のW杯のユニからマイナーチェンジしていて、ストライプの線が少し細くなり、胸のナンバーが赤から黒に変わっています。 長きに渡ってプロ・アマ日本代表のユニフォームとして着用されたので、野球に詳しくなくても見たことがある方は多いのではないでしょうか。 長嶋ジャパンはユニフォームにもスペシャル性があって、最大の特徴は「JAPAN」ロゴが通常のロゴとは異なっていることである。 通常のロゴは「J」と「A」の一部が重なっているのだが、長嶋ジャパンユニのロゴは重なっていない。 画像を見ていただくとわかるとおり、今回のユニフォームも重なってはいない。 そうなのだ、この長嶋ジャパンの「JAPAN」ロゴのスペシャル性は長嶋ジャパンのメンバーが着用する本物のユニだけに適用され、レプリカやオーセンティックには適用されていないのである。残念! また、実使用のユニには背襟に小さな日の丸が着いているのだが、これもまた市販品では省略されている。 ネットオークションに出品されている長嶋ジャパンのユニフォームで、背襟に日の丸が付いていたら後付けだと思っていいでしょう。 #侍ジャパン #野球日本代表 #アテネ五輪 #長嶋ジャパン #松井稼頭央
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2001年ワールドカップ ホーム用
2001年の野球ワールドカップ日本代表のホーム用ユニフォームです。前回に引き続き、プロコレです。 野球ワールドカップというのは、1938年から2011年まで国際野球連盟(IBAF)主催で行われていた野球の国際大会です。 1998年大会よりプロ選手の出場が解禁となり、2001年大会には日本も多くのプロ選手を派遣しました。 現侍ジャパントップチーム監督の井端弘和に阿部慎之助、井口資仁などが出場。 そして今回のユニフォームは、24番でタカハシといえば、高橋由伸です!ウルフです! デザインは、10年くらい日本代表ユニフォームとして使用され、長嶋ジャパンや星野ジャパンでも着用されたデザインの原型となったもので、見覚えのある方も多いと思います。 シドニー五輪とアテネ五輪に挟まれて、短命に終わったまぼろし〜のようなユニですが、後に長い期間日本代表ユニに使用されるWストライプを初めて採用したユニフォームです。 #侍ジャパン #ユニフォーム #高橋由伸 #wbc
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2000年シドニー五輪 ホーム用
3回連続で1999年のアジア選手権兼シドニー五輪アジア地区予選のユニフォームをアップしましたが、今回は本選となるシドニー五輪のユニフォームです。 シドニー五輪は、初めてプロ野球選手がオリンピックに出場した大会となり、アマチュア代表からの派遣要請にプロ側が応じて実現しました。 しかしプロ野球はシーズン中ということもあり、セ・リーグとパ・リーグで足並みが揃わず、パ・リーグは各チーム主力選手を派遣しましたが、セ・リーグは、まあ、その、はい。 予選には出場した古田敦也も、球団が認めなかったので残念ながらオリンピック本選には出場できませんでした。オリンピックで初めて、メダル無しの4位という結果に終わったことを考えると、まあ、なんというか。 さて、肝心のユニフォームですが、これはいつものレプリカではなくミズノプロ、すなわちプロコレのユニフォームです。 背番号は5、中村紀洋。日本代表の4番! これはかなり昔に実使用品として、パンツ、キャップ、スパイクなどと共にネットオークションで購入したのですが、値段は実使用品というほどのプライスではありませんでした。 でもシドニー五輪野球日本代表のプロコレユニは一般販売されていないようなので、もしかすると、などと期待はもてます。ミズノプロのタグの下に手書きで「中村」の文字が意味ありげに書かれていたり。 まあ、どちらでもいいのですが。 #侍ジャパン #シドニー五輪 #レプリカユニフォーム #中村紀洋
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1999年アジア選手権兼シドニー五輪アジア地区予選 ビジター用
1999年アジア選手権兼シドニー五輪アジア地区予選のレプリカユニフォーム、第3弾。 今回はビジター用となります。前回のレプリカユニと同様に左裾のミズノロゴは青のビッグエム! 背番号は18番!平成の怪物! ビジターユニフォームの中では個人的に好きなデザインです。野球のナショナルチームは組織が一本化してなかったりで、JAPANのロゴもコロコロ変わる時代だった。 #侍ジャパン #ユニフォーム #オリンピック
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1999年アジア選手権兼シドニー五輪アジア地区予選 ホーム用その2
前回と同じく、シドニー五輪アジア地区予選となる1999年アジア選手権のレプリカユニフォーム。 ただ、前回とは少し異なる箇所があるのであらためて掲載しました。 相違点というのは、左裾のミズノマーク。いわゆる「ビッグエム」のカラーが赤から青になっている。 この「ビッグエム」というのは、当時のミズノのアマチュア向け最高峰モデルだった「ビューリーグ」のロゴで、赤の次に青になったとのこと。 今回のユニは、「ビッグエム」の下に「JAPAN」と「BFJ」のタグが追加されている。 さて、それではこの大会での背番号「18」は誰だったかというと、もちろん平成の怪物・松坂大輔である。 イエーっ! なお、最後の野球カードの画像のユニフォームは厳密には違うユニです。ほぼ一緒ですが、カードはシドニー五輪のものです。 #侍ジャパン #オリンピック #松坂大輔 #ユニフォーム
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1999年アジア選手権兼シドニー五輪アジア地区予選 ホーム用レプリカユニフォーム
シドニー五輪のアジア地区予選となる1999年アジア選手権の日本代表レプリカユニフォームです。 この大会で初めて、日本代表にプロ選手が招集されました。 この年の怪物ルーキー松坂大輔と、球界ナンバー1捕手の古田敦也がバッテリーを組んだことでも話題となった日本代表です。 この大会での「25」は鷹野史寿で、同年のドラフトで近鉄に入団した選手である。当時は日産に所属していました。 #侍ジャパン #レプリカユニフォーム
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1996年アトランタ五輪 ビジター用
1996年アトランタ五輪野球日本代表のビジター用レプリカユニフォーム。 日本代表がアマチュア選手のみで構成されていた時代のレプリカは詳細が不明なものばかりです。このユニも、デザインはアトランタ五輪の頃のものですが、特徴的な左袖のJAPANマークが省略されています。 また、アトランタ五輪で背番号「1」を付けていたのは、チーム最年少の福留孝介です! #侍ジャパン #福留孝介 #オリンピック #ユニフォーム
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1996年アトランタ五輪 ホーム用
1996年アトランタ五輪の野球日本代表のユニフォームです。 このユニフォームもまた謎が多い一品で、左の裾を見ると五輪ロゴマークが付いているので、アトランタ五輪モデルであることは間違いありません。 問題は背番号「20」に「イソベ」です。おそらくは五輪後に近鉄バファローズに入団する礒部公一選手だと思われますが、磯部選手はアトランタ五輪には選出されていません。 ですが前年の1995年のインターコンチネンタルカップには選出されています。そうなると、磯部選手はアトランタ五輪の日本代表の、不測の事態で招集がかかるかもしれない、バックアップメンバーのような立場だったのではないか。この推察に関して調査はしてますが、解答は得られておりません。 何にせよ、珍しいユニフォームだと思います。 #侍ジャパン #礒部公一 #オリンピック #ユニフォーム
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