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オートボルタ/1979 野生動物保護シリーズ(2)【Wild Animals of the World Stamp Collection】
●カラカル(ネコ科) アフリカからインドにかけて分布する。サバンナにすむ大型の山猫で、頭胴長は80cmにもなる。尾は30cmほど。斑紋はほとんどなく、わずかに四肢に見られる・夜行性で、小型のレイヨウから鳥類を捕食する。耳の先端に毛のあるのも特徴の一つ。 ●ニシハーテビースト(ウシ科) サハラ砂漠の南部のサヘル地帯に主にすむ、のっぺりした顔のレイヨウ。普通30頭くらいまでの群を作っているが、年とった雄は群を出て単独で行動する。雄雌とも角はU字型で、尾の先が黒いのが特徴である。 ●ヒョウ(ネコ科) ヒョウはアフリカでもサバンナぁら森林地帯に広く棲息するが、その美しい毛皮をねらわれ、各国とも非常に数が減ってしまい、現在では毛皮の輸出入はワシントン条約で禁止されえいる。主に夜行性。体長1.5mほど。雌は一まわり小さい。 #切手
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オートボルタ/1979 野生動物保護シリーズ(1)【Wild Animals of the World Stamp Collection】
【オートボルタ】 西アフリカの内陸にある本州、四国、九州を合わせたくらいの面積の国。サハラ砂漠の南に位置するので、国土の大半は刺のある低木のまじる乾燥したサバンナ。 南西部は年降水量が1,000ミリ近くあり、サバンナには大木がまじり、川沿いには森林もみられる。160におよぶ種族がすみ、狩猟民やコブウシの牧畜民も少なくなく、大型動物のすみかを圧迫し、数の減少をもたらせた。この国で最も多いほ乳類はコブウシである。 ●コープ(ウシ科) 西アフリカから東アフリカのサバンナの水辺近くにすむレイヨウ。背中の毛は他のレイヨウと違って腰から首の方に向かってはえる。胸から腹が白く、前足の全面が黒いのも特徴。オートボルタの原住民はこのレイヨウに似せた仮面を作る。 ●ローンアンテロープ(ウシ科) サハラ以南のアフリカのサバンナに分布する大型のレイヨウ。リーダーの雄のもとに20~50頭の群を作って行動する。体つきはウマに似るが、雌雄ともつのがある。肩の高さ1.3~16mほど。マスクをしたような顔をと耳の先端の毛が特徴。 ●アフリカゾウ(ゾウ科) オートボルタはかつてこの大群がいた。ところが、オートボルタの南はかつて象牙海岸と呼ばれたコートジボアールで、そこで象牙が取りつくされた後、オートボルタの像も狩りたたれた歴史をもつ。現在は少数が保護されて残るのみ・ #切手
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ウィリー・ポスト-1931年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)(飛行の歴史初日カバーコレクション)
このファースト・デー・カバーには、1931年7月に世界一周飛行のスピード記録をうちたてたアメリカのパイロット、ウイリー・ポストを記念してアフリカのオート・ボルタ共和国が発行した切手が貼付されています。ポストは、旅回りの曲乗り飛行団で翼の上を歩く役として飛行界に入りました。しばらくして、ロッキード・ヴェガという飛行機を買いいれたオクラホマの石油商人F.C.ホールが、彼を操縦士として雇い入れました。この飛行機は「ウィニー・メー」号と名付けられました。それからすぐ、ホールはもう1機のロッキード・ヴェガを購入し、これも「ウィニー・メー」号と名付けて、グラフ・ツッペリンのもつ世界一周飛行記録を破る試みのためポストに借し与えました。 6月23日、ニューヨークのルーズベルト・フィールドから、ポストはナビゲーターのハルロド・ガッティとともに出発しました。この飛行は平穏無事におこなわれたわけではありませんでした。「ウィニー・メー」号は、シベリアでの燃料補給中空港のぬかるみにはまりこみ、アラスカの浜辺での離陸中には転覆してプロペラが曲がってしまいました。しかし、2人は、8日と15時間51分の世界記録をたててルーズヴェルト・フィールドに戻ってきました。ポストは、さらに1933年7月、今度は単独で飛行して、自分の記録を破る7日と18時間49分の2度目の新記録を達成しました。 切手には、ウィリー・ポストが「ウィニー・メー」号をバックにして描かれています。カバーのオリジナル彫刻は、新記録樹立単独飛行から帰ったポストがその単葉機から出て歓迎の人々に手をふっている姿が描かれています。 #切手 #初日カバー #FDC
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アンソニー・フォッカー-1908年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)
このファースト・デー・カバーに貼付されているオート・ボルタ共和国発行の切手は、航空史における偉大な洗駆者のひとりアンソニー・フォッカーを記念するものです。切手には、フォッカーの肖像と、数多くの支柱やワイヤのゆえに「スパイダー」号と呼ばれた彼の最初の飛行機が描かれています。カバーのオリジナル彫刻画には、この小型飛行機の飛行準備をしているフォッカーと助手の姿が描かれています。カバーには、オート・ボルタで発行初日消印が押されました。 ジャワに生まれ、オランダで教育を受けたフォッカーは。第1次世界大戦中にドイツのために制作した戦闘機で知られています。彼は、ライト兄弟がフランスを訪れた1908年以来飛行に関心をもつようになり、間もなく自分の飛行機を作りあげました。彼が戦闘機の技術面において果たした最大の功績のひとつは、プロペラ後方機関銃からプロペラを撃つことなく弾を発射できるようにしたシンクロナイザー(同調機)でした。この装置を取り付けたドイツの戦闘機は、第1次世界大戦初期に連合国側の飛行機をほとんど壊滅させてしまったのです。フォッカーはまたドイツのエース、マンフレット、フォン、リヒトオーフェンが操縦した有名な三葉機と、第1次世界大戦の最も優れた戦闘機と言われた「D-Ⅶ型」機を導入しました。 フォッカーは、戦争後も航空界の進歩に数々の重要な貢献をしました。1920年代に導入された三基の原動機をもつ頑丈で信頼性の高い彼の飛行機は、世界中で広く利用されました。 #切手 #初日カバー #FDC
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オットー・リリエンタール(飛行の歴史初日カバーコレクション)
このファースト・デー・カバーの記念切手は、19世紀末の10年間に航空界において先駆者的業績を果たしたドイツの技術者オットー・リリエンタールをたたえるものです。リリエンタールの業績は、ライト兄弟などによる航空力学のその後の発展の基礎を築いたものでした。アフリカ西部の共和国オート・ボルタが発行したこの切手には、彼が1891年に制作し飛行に成功した最初の固定翼グライダーに乗ったリリエンタールの姿が描かれています。カバーのオリジナル彫刻画には、航空学の規範的文献に数えられる著作『飛行の基礎としての鳥の飛翔』を執筆しているリリエンタールの姿が見られます。1889年出版されたこの本は、鳥のつばさの構造と鳥の飛行の空気力学を人間が空を飛ぶことに応用しようとする詳細な研究でした。 1891年から1896年にかけて、リリエンタールは2,000回以上の飛行に成功しました。彼のグライダーは、操縦者が自分の腕で機体上に体を支えながら下りの斜面を駆け下り離陸し、両足はそのまま下方にさげているという形のものでした。そして、体を動かして重心の位置を移動させることにより方向転換を行いました。リリエンタールは、90メートルから230メートルほどの高度での飛行を行い、非常に高度の操縦に成功しました。彼はその後動力を用いたグライダーの実験もしましたが、これは彼が致命傷を負った1896年8月の墜落事故で悲劇的な中止を見ることになりました。 #切手 #初日カバー #FDC
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