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the Russian Campaign(独ソ戦)
「ドイツ国防軍は対英戦終了を待たず、ソ連邦を電撃作戦により蹂躙せんがための準備を進めよ。」1940年12月18日、ドイツ国総統アドルフ・ヒトラーは”総統指令第21号”を発令した。暗号名はドイツ救国の伝説的英雄、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒⅠ世のあだ名を取って”バルバロッサ作戦”と命名された。 「ロシアンキャンペーン」は、東部戦線の1940年~45年をキャンペーンレベルでシミュレートするゲームです。1976年のチャールズロバーツ賞を受賞しており、間違いなく東部戦線ゲームでの頂点でありました。AHクラッシックらしく、全然史実通りの展開にはなりませんが。が、「ロシアンフロント」が発売されてからは、その頂点の座を譲ったとまでは言いませんが、東部戦線二大巨頭となりました。この2つのゲームさえプレイしていれば独ソ戦はおなかいっぱいですね。 #独ソ戦 #ロシアンキャンペーン
7本 無し 作戦級 1Turn=2ヵ月 1へクス=? 1Unit=軍団~軍集団ちょこ大佐
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モスクワ電撃戦
1941年6月23日、ヒトラーの200万を数えるドイツ精鋭部隊は国境を越えソ連領内へと踏み込んでいった。ポーランドそしてフランスを瞬く間に崩壊させた新戦術”電撃戦”を駆使したドイツ装甲集団はソ連軍の戦線を突破し各所で包囲網を形成しつつ首都モスクワを目指していた。その中でも第2装甲集団のグデーリアン、第3装甲集団ホト進撃ペースは凄まじく、7月にはモスクワへの中間地点であるスモレンスクを占領していた。「ソビエトは腐った建物と同じだ。ドアを一蹴りすれば建物全体が崩れ落ちる」まさにその通りの状況だった…。 「モスクワ電撃戦」は1941年6月に行われたドイツ軍によるソ連侵攻作戦”バルバロッサ作戦”をテーマとしたシミュレーションゲームです。ウォーゲーム市場が斜陽になってきていたこの時期、ゲーム界のレジェンド、鈴木大佐はその状況を危惧して翔企画を設立しました。そして、初心者でも簡単にプレイできるウォーゲーム、SSシリーズを制作、発売するのです。それは新たなユーザーを増やすための業界全体のことを考えた試みでした。確かにルールは簡単、パッケージもできるだけコストを抑えて商品価格を抑え、初心者でも手に取りやすいようにした販売思想には頭が下がります。が、デザイナーのプロ中のプロである鈴木大佐率いるデザイナー集団が作ったゲームは、ルールは簡単でも勝つためには非常に頭を使う、さすがといわれる仕様となっていたのです。そのため、ヘビーユーザーには物足りず、初心者には難しいシリーズとなってしまい、販売はおせじにもよくなかったようです。ですが、素晴らしいことにルールブックの最後に、このゲームに慣れた人へのガイドとして他社から発売されている同じ東部戦線のゲームを紹介しているのです。ライバル会社の商品を紹介しているなんて普通ではありえません。その志には今でも頭が下がります。 #モスクワ電撃戦 #バルバロッサ作戦 #鈴木銀一郎 #翔企画
1本 SSシリーズ ゲームで読む戦史 作戦級 1Turn=? 1へクス=? 1Unit=?ちょこ大佐
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RUSSIAN FRONT
「ロシアンフロント」は、第二次世界大戦における最大規模で決定的な戦役、すなわち1941年半ばから1944年終わりまでのソ連領内における戦闘をシミュレートした戦略級ゲームです。マップはモスクワは勿論、スターリングラードからレニングラードまで、東部戦線全体をプレイできるようになっており、バルバロッサ作戦から攻勢の転機となったクルスク包囲戦までを再現できます。 東部戦線全体を扱うゲームの中で、プレイしやすく、ルールも簡単で繰り返しプレイできる東部戦線の傑作です。当時かなりの人気があり、誰もが一度はプレイしたと思います。流れからいうと、私の周りでは当時は東部戦線全体の戦略級と言えば「独ソ戦(ロシアンキャンペーン)」一択で、これが発売されてからロシアンフロント一択にシフトした感じだったでしょうか。 #ロシアンフロント #東部戦線 #独ソ戦
3本 無し 戦略級東部戦線 1Turn=1ヵ月 1へクス=40㎞ 1Unit=師団~軍ちょこ大佐