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Apocalypse in the East (東方黙示録)
カリフとは、イスラム教における預言者ムハンマドの後継者という意味であり、ムハンマドの後を継ぐイスラム国家の指導者、最高権威者の捷号です。 『アポカリプスインジイースト(東方黙示録)』は、第三代カリフであるウスマーン・イブン・アッファーンの時代の、イスラム帝国とビザンツ帝国の戦いをシミュレートしたゲームです。 西暦636年、第二代カリフのウマル・イブン・アル=ハッターブが指揮するイスラム軍はヤルムークの戦いでビザンツ軍を撃破、その版図をサハラからシンドまで拡大しましたが、644年に内部抗争により暗殺されます。イスラム帝国の混乱に乗じて、ビザンツ帝国は失われた版図を取り戻すべくイスラム帝国への逆襲を仕掛けます。このような状況の中、第三代カリフに就いたウスマーン・イブン・アッファーンは不安定なイスラム帝国をまとめるため、ビザンツ帝国の壊滅を目指し、敵要塞コンスタンチノープル占領を狙います。対するビザンツ帝国のコンスタンス2世は未だ15歳で軍事的にも宗教的にも未熟でしたが、強固なコンスタンチノープル要塞を頼みに、イスラム帝国に対抗します。戦いは双方遠征軍を編成して侵攻、守備隊を配置して遠征軍を撃退するという展開となり、遠征軍同士の野戦、敵遠征軍の侵攻に対しての籠城戦、艦隊同士の海戦が繰り広げられます。果たして当時最強と言われていたコンスタンティノープルの城壁は崩れるのでしょうか? なお、同号にはボーナスゲームとして1942年12月スターリングラードを包囲していたソ連軍の奇襲攻撃に対して、強烈な反撃を試みたドイツ軍第11装甲師団の戦いを再現した、ユニット100個、ルール4ページの『ブラックフライデー』というミニゲームが付いています。 #古代戦 #カリフ #イスラム帝国 #ビザンツ帝国
ルール(12P) ユニット180個 22×34インチマップ1枚 プレイヤーチャート2ページ 6面体ダイス2個 ? 無し 作戦級ちょこ大佐
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Right Fierce & Terrible
百年戦争とは、 フランス王国の王位継承権争いを発端に、フランス王国を治めるヴァロア朝と、イングランド王国を治めるプランタジネット朝及びランカスター朝とが争った戦いである。初めは諸侯の領地争い程度であったが、次第に国内の多数の領主を巻き込んで長期の戦いに発展した。結局争いは休戦期を含めて1337年のエドワード3世によるフランスへの挑戦宣言から、1453年のボルドー陥落まで100年以上続いたことから百年戦争と呼ばれている。 『ライトフィアスアンドテリブル』は、百年戦争における最初の重要な戦い、スロイスの海戦を再現したゲームです。 1340年6月24日、オランダのスロイス港にて、イギリスのキングエドワード3世の意向を汲んだイギリス艦隊と、フィリップ6世の命令によりイギリス侵攻を目指したフランス艦隊が激突しました。百年戦争の始まりを伝えるスロイスの海戦です。この海戦は、百年戦争における重要な3つの海戦のうちのひとつとして数えられています。当時の艦隊戦は、勿論艦砲などは無く、弓による射撃の後、はしごや鍵爪によって接舷、敵戦に乗り込んで剣による白兵戦という戦いが一般的でした。船上での戦いのため、劣勢に立った側に逃げ道は無く、船から落下して溺死するか刀剣によって惨殺されるかしかありませんでした。そのため、Fierce(激烈)でTerrible(恐怖)な戦いが繰り広げられたのです。 結果、イングランド海軍がフランス海軍を壊滅させ、以降のドーバー海峡の制海権を握りました。 LPS社刊行の「Against the Odds」は、流行に左右されず、いきなりこのようなどマイナーがテーマをぶっこんで来るので好きです。先行するライバル誌S&Tとの違いを出すためにこのようなチョイスになっているのかも知れませんが、なかなか目が離せません。 #スロイスの海戦 #百年戦争
ルール(14P) ユニット140個 ラージユニット32個 22×34インチマップ1枚 プレイヤーエイドシート2枚 7本 無し 戦術級ちょこ大佐
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BOUDICCA the warrior queen
あなたはイギリスのヒーロー、「ブーディカ」を知っていますか? A.D.60年、まだイギリスがグレートブリテン島と呼ばれていた頃、ブリテンはその大部分がローマ帝国の植民地と化していました。その当時、ブーディカはケルト人イケニ族の王プラスタグスの妻でした。イケニ族の治める東海岸(現在のノーフォーク地方)は、ローマ帝国の支配が及ぶ範囲ではなく、王はローマ帝国と同盟関係を結び、領主としてその地を治めていました。しかし、その当時のローマ帝国の同盟条約は、「王の称号は本人のみで、本人が死亡すれば消滅し、相続できない」という、その武力を背景にした理不尽な条約でした。そのため、プラスタグス王の死後、ローマ軍は条約を盾にイケニ族の領地を奪い、王の妻であったブーディカ及びその2人の子供に対し鞭打ちの刑に処した後領土より追放しました。国を奪われたブーディカは復讐を誓い、近隣部族を諭してローマ帝国への反撃の狼煙を上げます。 ルネサンス時代に発見された歴史書によると、反乱軍のリーダーに推されたブーディカは、勝利の女神として、2人の子供を脇に立たせ、チャリオットに搭乗し23万もの反乱軍の指揮を執っていたと記録されています。ブーディカ率いる反乱軍は、ブリテン各地のローマ帝国植民地に攻め込み、これを開放し、自由を奪われた復讐を叫びつつ各地を転戦しました。ブーディカ反乱軍により都市ロンディニウム(現在のロンドン)が陥落した時、当時のローマ皇帝ネロはブリテンからの軍の撤退を真剣に考えましたが、ロンディニウムとウィロコニウム(現在のシロップシャー州)の間で行われた会戦によりローマ軍が勝利し、ブーディカ軍が壊滅したため、その後もローマ帝国によるブリテン島支配が続きました。会戦後のブーディカの行方は知れず、現在では敗戦の責任を取った服毒自殺説と病死説があります。 ちなみに、このブーディカ伝説は1928年と2003年の2度映画化されています。 『ブーディカ』は、A.D.60年に発生した、ローマ帝国の植民地であったブリテン島でのケルト人の反乱をシミュレートしたゲームです。 ブーディカという単語は、古代ケルト語で”勝利”を意味する単語に由来し、ヴィクトリア女王のヴィクトリアと同じ意味です。彼女の名前は日本ではあまり馴染みは有りませんが、イギリスでは、フランスのジャンヌダルクに比する勝利の女神として知られています。このゲーム自体は1984年にウエストエンドゲームズから発売された『ドルイド:ブーディカズリベリオン61AD』(デザイナーはリチャードバーグ先生)のリメイクとなっています。 #ブーディカ #ケルト #グレードブリテン
ルール(8P) ユニット240個 22×34インチマップ1枚 カード36枚 プレイヤーエイドチャート2枚 ? 無し 作戦級ちょこ大佐