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カデシュの戦い
紀元前1285年、オリエントの覇権を賭けてエジプトとヒッタイトの二大帝国が激突した。要衝カデシュを巡る戦いで、ヒッタイト軍は奇襲に成功し、エジプト軍が最大の危機に陥ったその時、エジプト王ラムセス2世は自ら陣頭に立って反撃を開始したのであった…。 「カデシュの戦い」は、公式な軍事記録に残されている中で、人類最古の戦いをシミュレートしたゲームです。オロンテス河沿いに広がる大草原で、両軍合わせて5500輌とも言われる二輪戦車が激突した戦いは、戦局の変転めまぐるしい機動戦となることでしょう。 #人類最古 #二輪戦車戦
ルール(12P) ユニット176個 A1マップ1枚 1本 無し 作戦級ちょこ大佐
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HOUGOUMONT ウーグモン館攻防戦
フランスの英雄ナポレオンが失墜したワーテルローの戦いの始まりは、ワーテルローの丘ではなく、誰もが想像さえもしていなかったちっぽけな館、ウーグモンだった…。 ウーグモンの館とその周辺の果樹園には、少数のイギリス軍歩兵が守っているだけだったが、ナポレオンはイギリス軍の予備兵力を誘引し、削り取るための陽動作戦としてこのちっぽけな館にフランス兵を突撃させた。しかし、予想以上の頑強な抵抗を受け、次々にフランス兵を投入する羽目になり、逆に貴重な戦力を消費してしまっていた。ウーグモンの攻防はその日の午後一杯続き、周辺はフランス兵軽歩兵によって幾重にも包囲され、連携した攻撃が館内部に連続して行われた。それでも館内部に籠っていたイギリス兵は抵抗を続け、結局ナポレオンはこの狭い領域に33個大隊、合計14,000人もの兵士をつぎ込むことになってしまった。これに対しイギリス軍も援軍を送り続け、こちらも何と12,000人もの援軍を送っていた。結局、ウーグモンは最後まで陥落しなかった…。 ワーテルローの戦いに勝利したイギリス軍指揮官ウェリントン公爵は、戦闘後、『会戦の勝利は、ウーグモンの門を閉じ続けていたことだった。』と述べている。 「ウーグモン館攻防戦」は、ナポレオン最後の戦い、ワーテルローの戦いにおけるウーグモン館の攻防戦をシミュレートした戦術級ゲームです。会戦に先立つ2時間の戦闘を再現しています。午前11時30分から午後1時30分までの2時間は、この館の奪取を巡る激戦がワーテルローでの唯一の戦闘でした。この戦いは、要塞化された拠点に対して次々に旅団を投入するような激戦となり、多大なる犠牲者がでた戦いでした。 #ナポレオニック #ワーテルローの戦い
ルール(12P) ユニット200個 A1マップ1枚 1本 無し 戦術級ちょこ大佐
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アレクサンドロスの戦い
「アレクサンドロスの戦い」は、西洋と東洋を繋ぐ巨大な帝国を築き上げた古代の帝王アレクサンダーの東征と、それにまつわる物語を再現したゲームです。マップの範囲はアレクサンダー大王が生まれたマケドニアから、遠征の東端になったインドに至るまでの地域が美しい図柄で描かれており、当時の兵士の姿がカラフルに記されたユニットと共にゲームの雰囲気を盛り上げています。ゲームの内容は、戦略的な機動だけだけでなく、専用の戦術地図を使った戦術戦闘も楽しめるようになっており、マケドニア・ファランクスの威力を実感できます。そして、このゲームは従来のウォーゲームとは違って、単に戦争だけを再現しているのではなく、ゴルディオスの結び目の謎や、アモン神殿への参拝、アレクサンドリア建設などのアレクサンダー伝説を彩る様々な品物や事柄についても描き出しています。勿論、東征中に本国近くで発生したスパルタ王アギスの攻撃や、東方人の登用、ギリシャ同盟兵の本国帰還なども網羅されています。さらに、アレクサンダー大王の死後に発生した後継者戦争や、大王以前に行われたギリシャ人傭兵1万人の逃避行を描くアナバシスも楽しめます。 #アレキサンダー大王 #東方遠征
ルール(40P) ユニット195個 B2マップ1枚 1本 コマンドマガジン別冊#1 戦略級キャンペーンちょこ大佐
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1948:日独最終決戦
1948年11月、第三次大戦勃発! 偽りの平和の時は過ぎ去り、再び全世界が戦火に包まれた。時に西暦1948年。日本軍は中東とアフリカ、そして北米で大規模な攻勢を発動、それに対しドイツは日本本土を狙った「意志の勝利」作戦を敢行する…。 「1948:日独最終決戦」は、XTR社から発売された仮想戦ゲーム「ミシシッピ・バンザイ」と「ブラック・ゴールド」の日本語版です。両者は連結して遊ぶことはできませんが、同時期の日本軍の攻勢を扱った作戦級シミュレーションゲームです。 「ミシシッピバンザイ」 1948年、ついに日独は世界の覇権を賭けて衝突した!先に仕掛けたのは日本軍で、100個師団の兵力をもって北米大陸のハートランドで攻勢を開始した。脆弱な枢軸同盟国軍が守る戦線はたちまち突破され、第6軍はセント・ルイス市に包囲された。日本軍はバーリンデン、フォート・マディソンを占領し、シカゴ、そして東海岸を目指す。しかしドイツ軍はあらゆる予備兵力を動員し、これに立ち向かった…。スターリングラードの戦いをモチーフに、機動戦重視のシステムを用いた作戦級ゲームです。大規模な戦車戦、凄惨な市街戦、そして核兵器の使用と、これまで経験したことのない戦いを楽しむことができるでしょう。 「ブラックゴールド」 ミシシッピバンザイ作戦以上の兵力を投入し、ドイツ第三帝国の生命線を断つ、中東の大油田地帯占領を目的とした「ブラックゴールド」作戦が発動された。同方面司令官のゼップ・ディードリッヒはその無能ぶりをさらけだし、日本軍の攻勢を食い止めることはできなかった。しかし混乱から立ち直ったドイツ軍は、地の利を活かし最新鋭戦闘爆撃機P-1101を投入して日本軍の進撃を阻む…。地形が厳しく、防御側が制空権を握っている戦場…。バルジの戦いをイメージしてデザインされています。民族的、宗教的対立もルールに含まれたユニークな作戦級架空戦です。 #架空戦 #日独最終決戦 #ミシシッピバンザイ #ブラックゴールド
ルール(24P) ユニット695個 マップ2枚 1本 コマンドマガジン別冊#19 作戦級ちょこ大佐
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パリ陥落1940 フランス電撃侵攻戦
1940年5月10日、ドイツ軍は西部戦線で大攻勢を開始した。フランス戦役の始まりである。 当初ドイツ軍は第一次世界大戦で失敗したシュリーフェン・プランを焼き直した作戦を計画していたが、事故により敵国に情報が漏洩したために、40年に入って計画の変更を余儀なくされた。この時、天才的な閃きを見せた一人の人物がいた。その男、エーリッヒ・フォン・マンシュタインは、当時大規模な機械化部隊の移動が不可能とされていたアルデンヌ森林地帯に装甲部隊を集中させ、連合軍が予測していない地帯からの突破を計画したのである。戦いはマンシュタインの思惑通りに進行した。ディール計画に従いベルギーへ進出した連合軍はドイツ軍に捕捉され、アルデンヌを突破したドイツ装甲部隊は大した抵抗を受けることなくミューズ川を渡河、連合軍の背後に回り込んだ。こうして、フランス戦役は事実上の幕を閉じた。しかし、これは歴史の可能性のひとつにすぎない。長年戦われ続けてきたドイツとフランスとの戦争のひとつの終局の形に過ぎないのだ。 1940年の西部戦線で、ドイツ軍は、そして連合軍は何をなしえたのか?そして、やられ役としてしか見なされてこなかった中小国が果たす役割が戦争の推移にどのように影響するのか?詳細な戦史研究記事とシミュレーションゲームとで検証する。 「パリ陥落1940」は、1997年にXTR社から発売された「BLITZKRIEG1940」の日本語版です。オリジナルには1939年シナリオ(連合軍によるドイツ侵攻)とそのためのユニットが収録されていましたが、日本語版では割愛されています。(後にコマンドマガジン日本版に収録) ゲームシステムは移動~戦闘、または戦闘~移動を繰り返すシンプルなものですが、1940年のフランス戦役を再現するための特別ルールが用意されており、当時の雰囲気を感じ取ることができます。ルールが簡単なだけにプレイヤーは作戦立案に没頭することができ、また、史実に囚われない様々な可能性を試してみることができます。同梱冊子が48ページ中ルール部分がたった10ページ、残りは全て戦史研究記事という構成でヒストリカルな出来事を確認しつつ、新たな可能性を試すプレイができるというゲームになっています。 #フランス侵攻 #ファルゲルプ #ファルロート
ルール(本誌48P) ユニット387個 変形マップ4枚 1本 無し 作戦級ちょこ大佐
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モスクワ・オプション
1939年に始まった第二次世界大戦において、電撃的にポーランド、フランスを陥落させ、大勝に湧くドイツが次に狙うのは東の大地、ソ連でした。ドイツは東部方面軍を北方軍集団、中央軍集団、南方軍集団に分け、北方軍集団はバルト海の要衝レニングラードを、南方軍集団は資源の宝庫である南方ウクライナ地方を、そして中央軍集団はソ連の首都モスクワを目標に、1941年6月22日、侵攻を開始しました。北方ではレニングラードを陥落させ、中央ではモスクワまでの中継点であるスモレンスクを包囲していたドイツ軍でしたが、ここでヒトラーは何故か中央軍集団のグデーリアン将軍率いる機械化集団を南方に転戦させ、既に派遣されている南方軍集団と合流させウクライナ地方の攻略に主力を注いだのでした。これにより中央軍集団の進撃は停止し、予定していたモスクワ進撃は1ヵ月以上も遅れたのです。一説には資源地帯であるウクライナ地方を占領しないと今後の戦争維持に支障をきたすからともいわれていますが、真実はわかりません。 「モスクワオプション」は、ヒトラーが中央軍集団の機械化部隊に対し集中して補給を行い、150マイル先のソビエトの首都モスクワに対して進撃をそのまま行わせていたら?という起こる可能性が十分にあったifを基にした8月上旬のスモレンスク~モスクワ間の戦闘を再現したゲームです。 東部戦線を知っているものなら誰もが一度は考える、”もし中央軍集団がそのままモスクワを目指していたら”という妄想を確かめられるゲームです。 あのまま中央軍集団がグデーリアン将軍と共にモスクワ目指して進撃していれば、北の大地が凍結する前にモスクワは陥落し、ソ連は降伏して歴史は変わっていたのではないかという見解と、実際はあのまま進撃しても速度に勝る機械化集団への補給が追い付かず、また、後回しにした南方の占領が、ソ連に十分な防御準備期間を与える結果になって陥落せず、史実通りドイツは敗戦するという見解があります。まあ、歴史は事実が歴史にになるわけで、もし、を言ってもしょうがいないのですが、可能性を探る実験としは面白いですね。 #タイフーン作戦 #グデーリアン #モスクワ
1本 無し 作戦級 1Turn=1日 1へクス=14.4㎞ 1Unit=師団~旅団ちょこ大佐
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ゲティスバーグの戦い Lee's Greatest Gamble
ゲティスバーグの戦いは、アメリカ合衆国軍とアメリカ連合国が双方総力を結集した南北戦争史上最大の決戦である。この戦いが南北戦争での事実上の決戦となり、この戦い以後合衆国軍が有利になった転換点でもある。 ゲティスバーグでの戦いは、両軍決して計画して戦ったわけではない。確かに当時ゲティスバーグは交通の要所であり、ここを抑えた側が補給や輸送において有利に立つことは間違いなかったが、両軍ともそれを知っていたがゆえ、ここに進軍することはすなわち両軍奪い合いの大規模な決戦に発展するということだったからであり、アンタッチャブルの地域であった。 きっかけは両軍の小競り合いだった。1863年6月3日に小部隊同士の戦闘が発生した。これを聞いた南軍リー将軍はただちに町の北西の尾根に騎兵を配置した。リー将軍の意図は、戦闘を仕掛けることではなく、偵察目的の派兵だったと言われている。が、これを知った北軍もまた部隊を派遣し、遂に7月1日、両軍が激突し、その後も周辺に待機していた両軍が次々と派遣され続け、遂には3日間にわたって両軍合わせて16万もの部隊が集結し、南北戦争最大の会戦となるのである。 「ゲティスバーグ リー最大の賭け」は、1863年に南軍リー将軍率いる北部ヴァージニア軍と北軍ミード将軍率いるポトマック軍がゲティスバーグにおいて戦った南北戦争最大の会戦を再現したものです。不利を承知で仕掛けたリー将軍がもし勝利していたら、という可能性をさぐるシミュレーションになっています。 #ゲティスバーグの戦い #リー将軍 #南北戦争
4本 無し 作戦級 1Turn=1.5時間 1へクス=322m 1Unit=旅団ちょこ大佐