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マツダ K360 ② 1969 サッポロビール配達
マツダ・K360の第2弾。 今回は、ミゼット MP5でも展示しましたサッポロビール配達仕様です。さほど多くの商品を積めない荷台ですが、そこにちょこんと商品が積んであるのを見ると、それこそミニカーって感じで凄くいいですね。他の方の展示同様に荷台のケースにロープラッシングなど手を加えればもっと感じが出るんでしょうが、不器用なもので勘弁してください。 また、「tomica-loco」さんに教えていただいたムック本によるとピンクカラーのモデルもあったようで、このモデルのホワイト/イエローもそうですが、明度の高い色であればなんでも似合いそうな感じがします。 このモデルの1969年は、生産終了した年です。ただ1960年中期頃からミャンマーに輸出が開始され、そして日本国内で生産が終了した後も1990年代中期頃まで現地生産が行われていたため、ミャンマー国内では現在でも現役の車両が多数見られるようです。見てみたいものですね。 #hachette #mazda #マツダ #東洋工業 #truck #トラック ##
懐かしの商用車 1/43 K360 HACHETTEsennakazu
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ダイハツ ミゼット MP5 ③ 1962 サッポロビール配達
ミゼット、展示第3弾。 ミゼットは、ダイハツ工業が1957年(昭和32年)から1972年(昭和47年)まで生産・販売していた軽自動車規格の三輪自動車であり、Midgetは英語で「超小型のもの」という意味の単語で、小型な車という想いを込めて名付けられました。 ダイハツは戦前から長くオート三輪業界の上位メーカーであり、戦後は当時の小型自動車規格枠に収まる750 cc-1,000 ccクラスのオート三輪を製造していました。1949年(昭和24年)制定の軽自動車規格枠に収まる、より小型のオート三輪が、1952年(昭和27年)頃から新興の中小零細メーカーで製造され始めました。 ダイハツは軽オート三輪に着目していなかったわけではありませんが、1950年代初頭は朝鮮戦争による特需景気で通常クラスのオート三輪需要が高く、ダイハツ等既存メーカーはそちらの増産に重点を置いていたため、当初の軽オート三輪の市場は中小メーカーに占有されていました。 1953年(昭和28年)の朝鮮戦争休戦で日本における特需景気が減退し、不況期の需要低下でオート三輪業界でも「くろがね」車の日本内燃機、「アキツ」車の明和自動車工業(後の旭工業を経て現在のダイハツ西宮部品センターとなる)といった中堅・下位メーカーが経営難に陥り、上位メーカーも厳しい状況に直面しました。その一方で、1954年(昭和29年)にはトヨタ自動車工業が廉価型の1,000 cc、1t積み四輪トラック「トヨペット・SKB」(後のトヨエース)を発売し、1956年(昭和31年)以降は同系列のトヨタ自動車販売との協力による大幅値下げなどの拡販戦略で既存のオート三輪を圧迫するようになり、小型貨物車業界における三輪トラックのシェア低下が始まりました。結果、1957年には小型トラック市場において、四輪トラックが三輪トラックのシェアを上回るまでに至ってしまいました。 このため、ダイハツを含めオート三輪メーカー各社は四輪トラック市場への参入を試みるようになりましたが、一方でダイハツは、これまでオート三輪でも高価で手が届かず、専ら自転車やオートバイなどを輸送手段としていた零細企業・商店主などの、小口輸送需要を満たす廉価貨物車の開発に着想しました。 その結果、車検免除(当時)や安い税額などのメリットを持つ軽自動車枠に目をつけ、当時存在した軽自動車免許(現在は普通自動車免許に統合され、未済条件として存続)で運転できる軽オート三輪トラックを開発しました。 1957年8月に発売されたミゼットは、既存の中小零細メーカー製の軽オート三輪のような「既存車両のパーツ流用によるアッセンブリー生産」という安易な策を採らず、当初から自社一貫生産による大量生産と低価格販売を目途として開発されており、小径タイヤに代表される合理的な簡易性と、車両全体を一から専用設計した高い完成度とを兼ね備えており、実用上も高い信頼性・実用性を備えていました。免許制度や維持費のハードルが低いため、大きなオート三輪導入が資金的に苦しかった自転車・小型オートバイユーザーの零細事業者たちにも手の届く、初めての大手メーカー製オート三輪となりました。 以後大手・中堅のオート三輪メーカー各社はミゼットに追随して軽オート三輪に続々参入し、この軽オート三輪ブームは1960年(昭和35年)頃まで続きます。ミゼットも対抗して改良され、当初の単座バーハンドルからドア付き2座丸ハンドルへの上級移行を果たしますが、下位メーカーの淘汰・撤退と、二輪車からの進出メーカーも含めた四輪軽トラックへの市場シフト(ダイハツも以後の主力となる四輪軽トラック・ハイゼットを1960年に発売)が急速に進行し、軽三輪ブームは短期間に終わりました。 その中でミゼットは唯一1972年1月まで長期にわたって販売され、本格的な軽オート三輪としては日本で最後まで作られたモデルとなりました。 (参照ウィキペディア) ダイハツ ミゼットの歴史だけを見ても、戦後の各メーカーの熾烈な開発・生産・販売競争や人が欲する車を作り上げていく先人たちの努力と苦労が、ひしひしと伝わってきました。凄いなぁ。 一昨年亡くなった私の父も昭和30年代の高度経済成長を支えたひとりであり、当時、土日祝の休みもなく、残業残業…で家に帰れない日も続いて、仕事はとても忙しくて苦労も多かったけど、なんだかんだやりがいがあって楽しかったよ、と生前話していたのを思い出します。親父も凄いなぁ。 #hachette #daihatsu #ダイハツ ###
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