TEAM LOTUS 78 #6 G.NILSSON JAPAN GP FUJI INTERNATIONAL SPEEDWAY 1977
ロータス 78は、チーム・ロータスが開発したフォーミュラ1カーで、1977年・1978年シーズンに使用されました。ピーター・ライト氏、コーリン・チャップマン氏、マーティン・オジルビー(ドイツ語版)、トニー・ラッド氏によって設計され、F1界にグラウンド・エフェクト革命を捲き起こしました。
1977年の開幕戦でデビューした78は5勝を挙げ、そのシーズン最高クラスのマシンであることを証明し、1978年には他のチームも自身のバージョンを設計しようと競い始めました。しかし、このグランドエフェクト効果について、チャップマン氏とロータスの他のメンバーが真の理由を隠すために、数々の言い訳をでっち上げたので、このマシンの何がそれほど特別なのか正確にはわかっていないことでした。加えてマシン下面の外観はスカートに覆い隠されていたので細かいところが分からず、アロウズやシャドウも見よう見まねでマシンをデビューさせましたが、どちらもサイドスカートを持たない複雑なウイング構造のサイドポンツーンで効率が低く、各チームは発生メカニズムを完全に惑わされていたようです。(参照ウィキペディア)
さて、このモデルの1977年日本グランプリは、1977年のF1世界選手権第17戦として、1977年10月23日に富士スピードウェイで決勝レースが開催されました。
スタート
ポールシッターのアンドレッティはスタートシグナルのタイミングを見誤り、加速が鈍って大きく後退し、予選2位のジェームス・ハント選手(マクラーレン)がトップに立ち、8位に落ちたアンドレッティは2周目の100Rでジャック・ラフィット選手(リジェ)と接触し、コースアウトしてクラッシュ、リタイヤとなりました。
観客死傷事故発生
6周目、14位のジル・ヴィルヌーブ選手(フェラーリ)が1コーナー入口のブレーキングでロニー・ピーターソン選手(ティレル)のインを突いたが、右後輪に追突して宙に舞い、フェラーリのマシンはティレルを飛び越えてノーズから逆さまに落下し、側転しながらエスケープゾーンの奥に突っ込んでいきました。ヴィルヌーブは奇跡的に無傷で脱出しましたが、立ち入り禁止区域で観戦していた観客1名と警備員1名が死亡し、7名が重軽傷を負うという惨事となってしまいました。F1での観客死亡事故は1975年第4戦スペインGP以来1年半ぶり、日本の自動車レース界では初めての出来事でした。
実は、私の従兄弟がカメラマンで、出版社の依頼で1コーナーで撮影中、事故に遭遇してしまい、彼は奇跡的に無傷であったものの隣にいた方は亡くなってしまったそうです。。。従兄弟の撮った宙に舞ったヴィルヌーブのマシンが向かってくる映像が、今でも強烈な印象として私の脳裏に残っています。
結果
レースは続行され、独走するハントは全周回ラップリーダーのまま、2位以下を1分近く離して優勝しました。ハントにとってはこれがF1最後の勝利となりました。
ピットでマシンから降りたハントはやおら私服に着替え、「今夜のフライトで帰国する。渋滞にはまりたくない」と言い残して帰ってしまい、2位のロイテマンも同じ行動をとったため、表彰台には3位のドゥパイエとフェラーリのメカニックしか上がらないという締まらない幕引きとなりました。
日本勢最高位は高橋国光選手(ティレル)の9位。星野一義選手(コジマ)はタイヤのマッチングに苦しみ、2周遅れの11位に終わりました。(参照ウィキペディア)
グンナー・ニルソン選手は、63周リタイヤに終わりました。
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sennakazu