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NISSAN R390 GT1 “CALSONIC” #32 星野一義 鈴木亜久里 影山正彦 3rd LE MANS 1998
R390GT1は、日産がル・マン制覇を目標に製作した本格的なGTカーです。初挑戦となった1997年は総合12位でしたが、1998年は、星野一義選手/鈴木亜久里選手/ 影山正彦選手組の32号車が総合3位、30号車が5位、31号車が6位、33号車が10位と、エントリーした4台が全車10位以内で完走する好成績を残しました。 #ixo #nissan #日産 #lemans #ルマン #france #フランス
32 LE MANS 1/43 CALSONIC NISSANsennakazu
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FOOTWORK MUGEN HONDA FA14 1993 JAPANESE GP AGURI SUZUKI
フットワーク・FA14は、フットワーク・アロウズが1993年のF1世界選手権参戦用に開発し投入した無限ホンダエンジンを搭載したF1マシンです。3年ぶりにF1に復帰したデレック・ワーウィック選手とチーム2年目の鈴木亜久里選手がドライブしました。 1993年の序盤2戦は前年の改良型、FA13Bが投入され、FA14は第3戦のヨーロッパグランプリから投入されました。フロントウィングはFA13のトーショナルウイング(ティレルのコルセアウイングなど)から、2点吊り下げ式のウィングへと変更しまし、またリアウィングにはFA13Bで採用したメゾネットウィングを使用しましたが、あまり成果が上がりませんでした。 第9戦イギリスGPからマクラーレン製のアクティブサスペンション(スペックダウン版)が投入された事に加え、無限ホンダエンジンは前年から高回転化や大幅に軽量化が図られた事によりシーズン後半のスピードアップに大きく貢献しました。 アクティブサスの実戦導入以後、ワーウィック、鈴木亜久里両ドライバー共に予選のシングルグリッドの常連となったが、その速さを決勝レースでの結果につなげることはできませんでした。特に鈴木亜久里はマシントラブルも多くシーズン後半には7戦連続リタイアを喫するなど0ポイント。一方のワーウィックは4位、6位を一度ずつ記録し、チームの4ポイントの全てを獲得して、コンストラクターズランキング9位でシーズンを終えました。 そして、1990年から続いた日本の運送会社フットワークインターナショナルは、親会社のフットワークの経営悪化が著しくなり、シーズン終了後にチーム売却を決断する事になりました。 (参照ウィキペディア) このマシンの大きな特徴である吊り下げ式のフロントウイングとスッキリとしたノーズがシンプルながらも安定感があって好きですね。 またシーズン中、フットワークの経営悪化によるチーム売却の話が出てきたのには衝撃的でしたね。同業者だったので数ヶ月前から噂があったのは確かでしたが。。。 #spark #footwork #フットワーク #mugenhonda #無限ホンダ #japan #鈴鹿
10 RACING ON MS-MODELS AGURI SUZUKI COLLECTION FORMULA 1 1/43sennakazu
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ZAKSPEED 891 BRITISH GP 1989 SUZUKI AGURI
鈴木亜久里選手。 前年1988年、F1日本GP鈴鹿でラルースからスポット参戦。 翌年1989年、ザクスピードと契約し初のF1フル参戦を果たした。が、全16戦予備予選不通過の記録を。ちなみに相方のシュナイダーは2戦予備予選通過、決勝へ。 信頼性と非力なYAMAHAエンジンに悩まされたチームでした。 #spark #zakspeed #yamaha #ヤマハ #formula1
35 RACING GEAR FORMULA 1 1/43sennakazu
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LARROUSSE LOLA FORD LC88 #29 AGURI SUZUKI 16th JAPANESE GP 1988
鈴木亜久里選手のデビュー戦モデル。 1989年のF1デビューが決まっていましたが、中耳炎により急遽欠場となったヤニック・ダルマスの代役としてスポット参戦、F1デビューを飾ることになりました。非力なノンターボマシン、セッティングも万全でなく、フィリップ・アリオー選手に急ぎ借りたレーシングスーツ、スピンを何度も繰り返し、結果は16位完走。しかし立派な結果だったと思います。 彼も持ってたんですね。 #spark #larrousse #ラルース #lola #ローラ #ford #フォード #agurisuzuki #鈴木亜久里 #formula1
29 Racing on MS-models FORMULA 1 1/43sennakazu