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西鉄ライオンズ(1960年)サイン色紙
西鉄ライオンズ(1960年)サイン色紙 1960年の成績 川崎徳次監督 1960年70勝60敗6分(3位) 1961年81勝56敗3分(3位) 畑 隆幸(11勝15敗 防御率298)ムツゴロウさん(畑正憲)は従兄にあたる。 田中 喜八郎(3勝5敗 防御率246) 若生 忠男(13勝7敗 防御率249) 豊田 泰光(打率287本塁打23打点87) 田中 久寿男(打率265本塁打15打点44) 中西 太(打率362本塁打1打点10)故障のため出場は32試合 稲尾 和久(20勝7敗 防御率259) 井上 忠行(打率174本塁打1打点12)1964年引退、セ・リーグ審判員に転職 田辺 義三(打率244本塁打3打点13) 和田 博実(打率295本塁打4打点30) (6時方向時計回り) 川崎徳次(1940-57(17年)) NPB通算成績 188勝156敗 防御率253 1949年4月26日対大映スターズ戦の日本記録 完投勝利投手の最多失点(13失点) 1試合の被本塁打数(8本塁打) 自身もこの試合で4安打(3本塁打)9打点で完投勝利 投手の1試合9打点 投手の1試合3本塁打(のちに堀内恒夫も記録) 1試合最多本塁打(両チーム)(13本塁打) 1948年5月29日の対中日ドラゴンズ戦 1点リードの9回無死1塁の場面でリリーフ登板 最初の打者(杉山悟)の初球を逆転サヨナラ本塁打され、史上初の『1球敗戦投手』となる
野球 1960年 西鉄ライオンズふくすけ
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1960年大毎オリオンズ優勝記念レリーフ(作 棟方志功)
1960年大毎オリオンズ優勝記念レリーフ(作 棟方志功) 『VICTORY ORIONS1960 Championship PBL』 棟方志功デザインによるパリーグ優勝記念レリーフ
野球 棟方志功 1960年ふくすけ
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1960年日本シリーズ優勝記念手帳
1960年日本シリーズ優勝記念手帳 大洋漁業株式会社が配布したもの 1960年6年連続最下位の大洋ホエールズを三原脩新監督のもとセ・リーグ優勝、日本シリーズでも日本一に導く。
野球 1960年 大洋ホエールズふくすけ
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柳田利夫 実使用バット(1960年)
柳田利夫 実使用バット?(1960年日本シリーズ~日米野球) 1960年日本シリーズ(10/11~15)終了間もない10月22日から始まった日米野球 当時の資料(週刊ベースボール)よりユニフォームはそれぞれのチームのものを着用する 当時、数少ない背番号4と日米野球出場者から『柳田利夫』と推定される 日本シリーズ第3戦(10/14)で本塁打を放ったバットか?実使用かは不明 1960年(昭和35年)日米野球(10/22~11/13 全16戦) サンフランシスコ・ジャイアンツが来日 E・ブレスー(Eddie Bressoud 28才)内野手(2B・SS)が柳田利夫選手のバット(玉澤)と交換?その後、里帰りしたものと思われる(長さ約86cm・重さ約900g) 柳田利夫 1958年に大毎オリオンズに入団 1959年には一軍に定着、二塁手として14試合に先発出場 1960年は開幕直後から遊撃手として起用され、大毎ミサイル打線のトップバッターとして活躍 シーズン中に榎本喜八のバットが柳田の顎を直撃、欠場を余儀なくされたが、復帰後の7月からは二塁手も兼ね、10年振り2回目のリーグ優勝に貢献 日本シリーズ(対大洋ホエールズ)では11打数2安打2打点 第3戦で鈴木隆から2点本塁打を放つ 背番号4(1960-62) 1960年のシーズン成績 打率249-12HR34打点 日米野球の成績 日本4勝(1分)SG11勝 1960年日米野球成績 E・ブレスー(MLB通算成績AB252HR94RBI365) 65打数21安打5打点3本塁打(7戦金田・10戦堀本・13戦梶本) 柳田利夫 2・3・5・7・16戦出場(第7戦(後楽園球場)は先発出場) 7打数1安打
野球 1960年 MLBふくすけ
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森下仁丹 メダル景品
森下仁丹ガム プロ野球 球団旗デザインメダル(1960年頃) 景品応募カード入り未使用品 何故か?大洋ホエールズの球団旗だけは実在しないデザイン。近鉄バッファローズの猛牛のデザインは岡本太郎の作品。
野球 1960年 NPBふくすけ
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1960年日本シリーズMVP 『ルーキー近藤昭仁』サインボール
大洋ホエールズ 近藤昭仁 サインボール 日本シリーズ優勝(1960/10/15)書込み 『ルーキー近藤昭仁』がMVPを獲得する。
野球 1960年 大洋ホエールズふくすけ
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1960年大洋ホエールズ優勝記念風呂敷+月刊誌
1960年当時、関係者に配布された記念風呂敷。 『大洋ホエールズ』月刊誌、表紙はMVPの近藤昭仁が飾る。
野球 1960年 大洋ホエールズふくすけ
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1960年第11回日本シリーズチケット
1960年日本シリーズチケット(第3戦 後楽園) 三原大洋VS西本大毎 1960年10月14日 W6-5O 3連勝 イラストには横山隆一のフクちゃんも登場。 5-5 9回表 近藤昭の決勝ホームラン。 翌日も勝利し球団創立(1950)初の日本一! 大毎有利の中、全試合1点差勝利の4連勝『完全勝利』となる。
野球 1960年 大毎オリオンズふくすけ
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大毎オリオンズ 優勝(1960年)記念像
大毎オリオンズ(1960年) パ・リーグ優勝トロフィー記念レプリカ(呼び鈴 h=120) 西本幸雄が監督に就任。榎本喜八、山内和弘、田宮謙次郎らを擁す破壊力抜群の「ミサイル打線」で10年ぶり2回目のリーグ優勝!
野球 1960年 大毎オリオンズふくすけ
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週刊ベースボール 昭和35年9月28日号
昭和35年オールスター戦時の両雄(セリーグ水原監督・三原コーチ) この年、三原脩氏がセ・リーグ大洋ホーエルズ監督として戻って来た。 水原巨人との対戦成績はG11(1)14Wであった。 また昭和25年創設以来初のリーグ優勝・日本シリーズ優勝となる。 水原巨人監督はこの年をもって退任、東映フライヤーズ監督へ・・・ この時、どんな会話が交わされたか聞いてみたいものである。
野球 1960年 大洋ホエールズ 読売ジャイアンツふくすけ