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雲の上の道(挿絵原画) 山川勇一郎
雲の上の道(深田久弥署名) 挿入画 原画(1958/1/6) 山川勇一郎 明治42(1909)年4月26日、神戸市生れ 一水会会員・日本山岳画協会会員の洋画家 チリのロ・バルデス・アンデス連峰で遭難(1965/11/12(享年56才))
冒険 山岳 1958年ふくすけ
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『ジュガール・ヒマール探査行』深田久弥 自筆葉書
『ジュガール・ヒマール探査行』 神戸港から出港直前に深田久弥が妻(志げ子)に送った自筆葉書(1958/3/2?投函) 山映商会は同行した風見武秀(山岳写真家)が経営する写真関連会社 富田健一は日本山岳会会員 『氷河への旅 ジュガール・ヒマール探査行』にも同様の様子が記述されている 1955(昭和30)年~世田谷区松原町 居住
冒険 1958年ふくすけ
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ジュガール・ヒマール探査隊記念色紙(深田久弥ほか)
ジュガール・ヒマール探査隊記念 色紙(1958/3~6) 画 チョルテン(仏舎利塔) 深田久弥(隊長・随筆家・登山家)左3人目55才 山川勇一郎(画家)左2人目49才 風見武秀(山岳写真家)右端44才 吉原和美(医師)左端 1958年に探検隊はバレピ.コーラからプルピ.チャチュ氷河、ドルジェラクパ氷河を探査。 この探検隊はジュガールの主峰レンポカンへの登頂ルートを探索することも目的であった。 その後、ガンジャラ峠からランタン谷まで足を延ばし探査活動を終了した。
冒険 1958年ふくすけ
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中西太・小野正一 サイン
『怪童』中西太 西鉄ライオンズ 選手(1952-69) 兼監督(1962-69) 野球殿堂(1999) 1952年 打率281本塁打12本で新人王を獲得。 1953年 トリプルスリー(打率.314、36本塁打、36盗塁)を史上最年少(20才NPB記録)で達成。本塁打王+打点王 首位打者:2回(1955年1958年) 本塁打王:5回(1953-56年1958年) 打点王:3回(1953年1956-57年) 1956年の成績(23才) 打率325本塁打29打点95 本塁打王・打点王・MVP・ベストナイン 小野正一 大毎オリオンズ(1956-64) 1958年の成績 13勝10敗 防御率1.77 特に1960年は下記の活躍によりリーグ優勝に貢献。 最多勝利(33勝) 最優秀防御率(1.98) 最高勝率(.750) 最多完封勝利(5完封) ベストナイン
野球 1956年 1958年 毎日大映オリオンズふくすけ
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三原脩・川上哲治 サインフォト+スポーツ紙(1958/10/22)
第9回日本シリーズ(三原西鉄対水原巨人)西鉄ライオンズが球史初の3連敗からの逆転日本一に輝く! 西鉄ライオンズの3連覇(1956-58)は3度の水原巨人が相手の日本一であった。 第5戦は鉄腕稲尾の延長10回サヨナラホームラン。 翌日の新聞一面には西鉄ライオンズ日本一の報道とは対照的に『打撃の神様』川上哲治(38歳)の現役引退表明の報道でもあった。 写真は当時巨人監督であった三原修(改名脩)監督と川上哲治選手の連名サインフォトである。 筆跡から1951年以降のようである。
野球 1958年 西鉄ライオンズふくすけ
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『球史初の逆転4連勝』西鉄VS読売(1958年)日本シリーズチケット
第9回日本シリーズチケット(1958年10月17日) 3連敗からの第5戦 三原西鉄VS水原巨人(対戦成績2勝3敗) 10回裏 鉄腕稲尾 巨人大友から逆転サヨナラホームランの劇勝(3-4×)! 3連敗からの逆転優勝は史上初。
野球 1958年 西鉄ライオンズ 読売ジャイアンツふくすけ
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『3番は長嶋茂雄 』サイン色紙
野球界に巨星が現る・・・ 1958/4/5対国鉄スワローズ戦に3番サードで先発出場、エース金田正一に4打席連続三振のレジェンドデビュー。 当日4月5日の新聞見出しに長嶋が金田に「ここに一本叩き込む(外野席から)」と発言、その新聞を見た金田は憤慨し4打席連続三振に仕留める。後日、そのような発言はなく新聞社の演出とわかる。なお翌日もリリーフ金田から三振を奪われ5打席連続三振となる。 また9/19広島戦、新人記録となる28号本塁打を放つも一塁ベースを踏み忘れ、幻の本塁打となる。このHRが記録されていればルーキー史上唯一の「トリプルスリー」が記録されていた。 この年の成績は29本塁打92打点二冠を獲得。打率はリーグ2位の305、37盗塁、新人王を獲得。
野球 1958年 読売ジャイアンツふくすけ