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1998 アジアクラブ選手権アウェイ長袖♯6中田浩二選手
レジェンドのお一人、現CROの中田浩二選手の支給品。当時リーグ戦の背番号は26でしたが、当時6番だった本田選手の負傷とアジアの大会レギュレーションの関係で6番で出場されました。 このデザインのユニフォーム、通常のリーグ戦用は光沢のある波型のシャドー柄が入っていたのですが、この大会支給品のみ、エネーレがジャージ等に使用した、やや厚手の雪の結晶型のシャドー柄が入った素材が使用されました。 アジアのどこかで、使用されたのでしょうか。 思いを馳せながら。
ennerre 1998 日本Sachio
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1998 練習試合用♯18熊谷浩二選手
非売品の練習試合用ユニフォームです。こちらの白と、他に青のモデルがあったと記憶しています。どちらがホーム用か、忘れました。 当時18番だった、レジェンドの1人である熊谷浩二選手のサイン入りです。
enerre XO 1998Sachio
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1998 ホーム長袖
リーグ戦では、ヴィッセル神戸を圧倒して、磐田とのチャンピオンシップに駒を進めました。 第1戦は、磐田のホームだったのですが、何故か中立地である国立での開催となり、スタジアムは鹿島サポーターの方が多かったように思います。 試合は、負傷の奥野選手の代わりの大舞台での出場となり序盤にやや落ち着きを欠いた室井選手のハンドによりPKを献上、早々に先制点を許します。 次第に守備に落ち付きを取り戻し、次第にカウンターが決まるようになります。後半、右サイドで受けた柳沢選手が敵陣に切り込みフワッとしたセンタリング。相手の死角から猛スピードでゴール前に駆け上がった長谷川選手の頭にピンポイントで合い、滞空時間の長いヘディングは、見事相手ゴールに吸い込まれました。 同点ゴールに、鳴り止まない長谷コール。高校生だった筆者は感激で泣きました。 延長までもつれたこの試合、コーナーからのこぼれ球を、室井選手が決めるという。ドラマティックな試合でありました。 第2戦はカシマにて、秋田、ビスマルクとセットプレーにより前半で試合をほぼ決めて連覇。カシマの収容15000のところ、17000ぐらい入ったそうですよ。かなりぎゅうぎゅうですよね。 ちなみに、Jリーグ自体は、93年の開幕からひと時のバブルが過ぎ去り、また世の中の不景気が少しずつ日本経済を蝕み、経営が厳しくなるチームもありました。悲しいことでしたが、ライバルチームだったフリューゲルの消滅も、このシーズン後のことでありました。 こちらのユニフォーム、エネーレがアントラーズユニフォームの事業から撤退する前の選手用放出品。当時KAMOで限定販売されました。 他に、2000年モデルや、ACWCなどの蛍光タグ付きの選手用ストックが店頭に並べられていましたが、特にこの1998モデルは、W杯招致のワッペン付きでしたので、人気がありました。
enerre XO 1998Sachio