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ロータス 無限ホンダ 107C ペドロ・ラミー
1994年、無限ホンダエンジンを向け入れシーズンを戦ったロータスチームのペドロ・ラミー選手のマシンのミニカーです。 最高位:8位(パシフィックGP) 94年、無限ホンダエンジンを獲得したロータスチーム。だが、チームの運営状況は厳しくなる一方で、シーズン中もドライバー交代が目立つなど、持参金に頼らざるを得ない状況でした。ちーむとしても獲得ポイントは0で、結果ロータスチームはこの年が最後のF1参戦となりました。 ただ、ラミー選手ではないものの、イタリアGPでハーバート選手が予選4位になったのは最後の煌めきという感じだったのかもしれません。 このミニカーはオークションで入手したものでしたね。
ミニカー オニクス ?shogo
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ブリヂストン テストカー(リジェ無限JS41) デイモン・ヒル
1996年にF1参戦に向けてテストを行っていたブリヂストンのF1テストカーのミニカーです。 95年のリジェJS41を使ってテストを行っていたブリヂストン。ドライバーは96年のチャンピオンのヒル選手。マシンはそこそこではありましたが、ドライバーはチャンピオンということもあり、体制としては十分な中でテストを行ってきました。 リジェチーム(プロストグランプリ)、ヒル選手とも97年にはブリヂストンユーザーとなったため、翌年の活躍につながっていきました。 このミニカーはオニクスだけが作っていたので、オークションで見かけたときに購入をしましたね。このミニカーもなかなか見つけられなかった記憶があります。
ミニカー オニクス ?shogo
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ジョーダン 無限ホンダ 199 ハインツ・ハラルド・フレンツェン
1999年、ジョーダンチーム大躍進の主役となったフレンツェン選手のマシンのミニカーです。 最高位:2勝(年間総合3位) 99年、ウィリアムズチームから移籍してきたフレンツェン選手。前年に初優勝をしたジョーダンチームで再起を図るシーズンとなりました。この年は開幕から波乱のレースが続き、大荒れのシーズンに。フレンツェン選手は開幕戦2位で幸先の良いスタートを切ると、フランスGPでついに優勝。その後もイタリアGPで2勝目を飾るなど、年間6回の表彰台を獲得。ギリギリまでチャンピオン争いを繰り広げ、キャリアハイのシーズンを送りました。それだけにヨーロッパGPのリタイヤが悔やまれるシーズンでした。 このミニカーはミニチャンプスでもなく、ホットホイールから販売されてました。確かこの頃からミニチャンプス独占からマテル社も販売権を獲得してましたね。 このミニカーもオークションで見つからず入手に苦労しました。
ミニカー マテル ?shogo
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プロスト 無限ホンダ JS45 中野信治
1997年、F1フル参戦デビューを果たした中野信治選手のマシンのミニカーです。 最高位:6位(カナダGP,ハンガリーGP) 97年に無限ホンダ、ブリヂストンタイヤとバックに日本のメーカーがそろった体制でF1デビューを果たした中野選手。マシンのポテンシャルは高いものの、チームとしてはパニス選手を優先してテストなどをしていたため、なかなか力を出し切れないシーズンを送っていました。それでも、94年の片山選手以来の入賞を記録するなど、成績も残したシーズンとなりました。マシン自体はチームメイトのパニス選手のシーズン前半の活躍が目立ったマシンですね。 このミニカーはオークションで見つけたミニカーです。そもそも流通数が少ないのか、オークションでもなかなか出回らないので、入手までには一苦労しました。 名前のところが黒塗りになっているのは、ヘルメットが中野選手のものではないから、急遽塗りつぶされたとかそんな噂がありますね。
ミニカー ミニチャンプス ?shogo
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リジェ 無限ホンダ JS43 オリビエ・パニス
1996年、無限ホンダとのタッグ2年目を迎えたリジェチームで戦ったパニス選手のマシンのミニカーです。 最高位:1勝(年間総合9位) 前年のJS41の発展型マシンとして96年のレギュレーションに合わせられたこのマシン。ハイライトと言えば、この年のモナコGPでしょう。雨で大荒れとなったモナコGPをサバイブし、見事パニス選手自身,無限ホンダに初優勝をもたらし、リジェチームとしても1981年以来の優勝獲得になりました。 ただ、それ以外は入賞2回とやや苦戦した感じもありましたが、やはりモナコGPの優勝の印象が強すぎでしたね。翌年以降はプロストGPと名前が変わるので、チームとしてもこれが最後の優勝マシンとなりました。 このミニカーはオークションで落札したものです。このマシンはちょうど僕がF1を現地観戦し始めたときのマシンなので、ちょっとほしいなと考えていたものですで、数年前にコレクションに追加されました。
ミニカー ミニチャンプス ?shogo
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ロータス ジャッド 101 中嶋悟
1989年、3年目のF1シーズンをロータスチームで戦った中嶋悟選手のマシンのミニカーです。 最高位:4位(オーストラリアGP) 3年目のF1、ホンダエンジンを失ったロータスチームで奮闘した中嶋悟選手。マシンもチームも絶不調で奮わなかったまま、シーズン最終戦を迎えてしまいます。 しかし、この最終戦オーストラリアGP、大雨の中しぶとく生き残りファステストラップを記録。4位入賞を果たし、ここに雨の中嶋伝説が完成しました。 このミニカーはオークションで探しに探してようやく手に入れたミニカーです。中嶋悟選手のマシンをまた一つ揃えられた瞬間でした。ミニカー自体もオーストラリアGP仕様となってます。
ミニカー スパーク ?shogo
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ミナルディ ハート M197 片山右京
1997年、ミナルディに移籍しF1 6シーズン目を戦った片山右京選手のマシンのミニカーです。 最高位:10位(モナコGP,ハンガリーGP) 97年、ティレルを離れミナルディに移籍した片山右京選手。結果的にはこのシーズン限りでF1からは引退することになりラストシーズンとなりました。ただ、苦戦は避けられずポイント獲得はなりませんでした。 このミニカーはネットオークションで落札したのですが、オリジナルの箱ではなく違う箱に入っていたので、個人的にはそこをしっかり見ておけば良かったなと反省してるミニカーです。
ミニカー オニクス ?shogo
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アロウズ ハート FA16 井上隆智穂
1995年、F1フル参戦を果たした井上隆智穂選手のマシンのミニカーです。 最高位:8位(イタリアGP) 前年にF1スポット参戦を果たし、1995年はフル参戦をした井上選手。戦闘力の低いマシンでの戦いで成績は芳しくなく、結果的にはこの年限りでF1を離れることになってしまいました。どちらかというと救急車に撥ねられたりなどレース以外のところで目立っていましたね。 日本人選手のマシンとしてコレクションしておくべく購入したミニカーです。
ミニカー オニクス ?shogo
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レイトンハウス イルモア CG911 イワン•カペリ
1991年、レイトンハウスチーム5年目のイワン•カペリ選手が戦ったマシンのミニカーです。 最高位:6位(ハンガリーGP) これまでのジャッドエンジンからイルモアエンジンに変わりましたが、一方でニューウェイ氏が離脱するなどチーム内の体制が変わった1991年のレイトンハウスチーム。結果的には前年には届かない苦戦ぶりで、終盤にはカペリ選手自身がチームを離れてしまう、チームとの悲しい最後を過ごすマシンでした。 このミニカーもネットオークション落札。気づいた頃には絶版品になっており、オークションで探すのも一苦労しました。
ミニカー スパーク ?shogo
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ティレル ヤマハ 024 片山右京
1996年、ティレルでの4年目を戦った片山右京選手のマシンのミニカーです。 最高位:7位(ハンガリーGP) この年も全体的に苦戦が続きましたね。特に前半戦はチームの資金不足から右京選手の体格とマシンの作りが全く合っておらず、力が発揮されないままシーズンは過ぎていきました。車両規則の変更も影響し、チーム自体も苦戦が続くシーズンとなってしまいましたね。確か、この年のドイツGPにリアにもフロントタイヤを履く奇妙な戦術をフリー走行で試してましたね。チームの苦悩を象徴するシーンではないでしょうか。 このミニカーもネットオークションで落札。片山右京選手のマシンのコンプリートを目指していました。
ミニカー ミニチャンプス ?shogo
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ティレル ヤマハ 023 片山右京
1995年、前年の活躍からさらなる飛躍を期待された片山右京選手のマシンのミニカーです。 最高位:7位(ドイツGP) 前年の活躍で、チームにもスポンサーが増え、更なる飛躍が期待された95年。ただ、その期待とは裏腹に成績は急ブレーキがかかってしまい、入賞0と大苦戦のシーズンとなってしまいました。リタイヤが多く、ポルトガルGPではスタート直後に大クラッシュもあるなど、頑張りが空回りしてしまったシーズンでした。 このミニカーはネットオークションで落札。ちょっと頑張って落札した記憶があります(苦笑)
ミニカー ミニチャンプス ?shogo