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マクラーレン ホンダ MCL32 ジェンソン・バトン
2017年、インディ500に出場するフェルナンド・アロンソ選手の代役としてモナコGP限定でF1に復帰したジェンソン・バトン選手のマシンのミニカーです。 成績:リタイヤ 2016年にF1引退をしていたバトン選手ですが、元チームメイトのアロンソ選手がトリプルクラウン挑戦に向け、インディ500に参戦することにより1戦限りのF1復帰をした時のマシンです。マクラーレンとホンダのタッグがあったからこそ、アロンソ選手のインディ500挑戦ができたわけですが、正直マシンのポテンシャルも低かったということも要因の1つだったかと思いますね。結果アロンソ選手はインディ500は勝てず、バトン選手もモナコGPはリタイヤでマクラーレンとホンダのパートナーシップもこの年限りとなりました。
ミニカー スパーク 10000円位shogo
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トロ・ロッソ ホンダ STR13プロトタイプ
2018年、マクラーレンと決別し、新たにトロ・ロッソとタッグを組んだホンダのシーズンイン前のイベントで展示されたマシンのミニカーです。 2015~2017年はマクラーレンとのタッグが不発に終わったホンダ。2018年の供給先がなくなる危機を救ったのはレッドブルの姉妹チームであるトロ・ロッソ。このパートナーシップはトロ・ロッソにとって初のワークスPU獲得というメリットもありながら、来年以降のレッドブルレーシングへのホンダPU採用も睨んだ契約でした。 この年はそれまでとは違い上位進出も増えたホンダ。この年の結果が翌年以降のレッドブルホンダ誕生につながり、それが2021年の活躍につながるのは言うまでもありませんね。 このミニカーは雑誌F1速報の企画で誕生したミニカーでした。抽選販売でしたが、見事当選し、今の活躍の第1歩となったマシンのミニカーも手に入れられることができました。
ミニカー スパーク 10000円位shogo
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フェラーリ F187 ゲルハルト・ベルガー
1987年、フェラーリに移籍してシーズンを戦ったゲルハルト・ベルガー選手のマシンのミニカーです。 最高位:2勝(年間総合5位) 前年にベネトンで初優勝を果たし、フェラーリに移籍したベルガー選手。序盤は4位入賞もあったりしたが、リタイヤも多く苦戦していました。ポルトガルGPでシーズン初表彰台を獲得し、マシンの戦闘力も上がった中で迎えた鈴鹿 日本GP。ホンダの凱旋レースという完全アウェーの中、ウイリアムズホンダの脱落(ほぼ自滅)で勝機が回ってきたベルガー選手。見事初代鈴鹿F1のウィナーとなり、フェラーリにも久しぶりの勝利をもたらしました。 このミニカーはルックスマートと鈴鹿のコラボ商品で鈴鹿レジェンドロゴが入っています。確か、発売当初は購入しなかったものの、あとからお手頃な時に勝ったような記憶があります。
ミニカー ルックスマート ?shogo
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ブリヂストン テストカー(リジェ無限JS41) デイモン・ヒル
1996年にF1参戦に向けてテストを行っていたブリヂストンのF1テストカーのミニカーです。 95年のリジェJS41を使ってテストを行っていたブリヂストン。ドライバーは96年のチャンピオンのヒル選手。マシンはそこそこではありましたが、ドライバーはチャンピオンということもあり、体制としては十分な中でテストを行ってきました。 リジェチーム(プロストグランプリ)、ヒル選手とも97年にはブリヂストンユーザーとなったため、翌年の活躍につながっていきました。 このミニカーはオニクスだけが作っていたので、オークションで見かけたときに購入をしましたね。このミニカーもなかなか見つけられなかった記憶があります。
ミニカー オニクス ?shogo
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ホンダ RA099 ヨス・フェルスタッペン
1999年、F1復帰に向けてテストを重ねていたホンダのF1マシンのミニカーです。 オールホンダでの復帰に向け、テストを重ねていたホンダ。フェルスタッペン選手を起用してテストを行っていました。当初は無限ホンダエンジンを搭載しているとか、ダラーラとの共作マシンのため"ホンダラーラ"など呼ばれていましたが、トップタイムを記録するなど、これは本気だと回りが警戒していましたね。 ただ結局はBARへのエンジン供給で復帰となり、まさに幻のマシンとなってしまいました。 このミニカーはギフトボックス仕様になっているため、ちょっと他よりも高かったような記憶があります。
ミニカー ミニチャンプス ?shogo
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ジョーダン 無限ホンダ 199 ハインツ・ハラルド・フレンツェン
1999年、ジョーダンチーム大躍進の主役となったフレンツェン選手のマシンのミニカーです。 最高位:2勝(年間総合3位) 99年、ウィリアムズチームから移籍してきたフレンツェン選手。前年に初優勝をしたジョーダンチームで再起を図るシーズンとなりました。この年は開幕から波乱のレースが続き、大荒れのシーズンに。フレンツェン選手は開幕戦2位で幸先の良いスタートを切ると、フランスGPでついに優勝。その後もイタリアGPで2勝目を飾るなど、年間6回の表彰台を獲得。ギリギリまでチャンピオン争いを繰り広げ、キャリアハイのシーズンを送りました。それだけにヨーロッパGPのリタイヤが悔やまれるシーズンでした。 このミニカーはミニチャンプスでもなく、ホットホイールから販売されてました。確かこの頃からミニチャンプス独占からマテル社も販売権を獲得してましたね。 このミニカーもオークションで見つからず入手に苦労しました。
ミニカー マテル ?shogo
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コローニ スバル C3B ベルドラン・ガショー
1990年、スバルがF1挑戦をした時のマシンのミニカーです。 最高位:全戦予備予選落ち 1990年、F1ブームの真っただ中で突如F1チャレンジをしたスバル。パートナーは弱小コローニチームでエンジンも水平対向12気筒とかなり重く大きいエンジンになってしまいました。当然成績は振るわず、シーズン途中でスバルは撤退。バブルの迷車となってしまいました。 このミニカーはレーシングオン30周年の企画で誕生したミニカーで、珍しいものだったので、購入したミニカーです。一応スバルということで日本メーカー枠で買う理由はありましたけどね。
ミニカー スパーク 10000円位shogo
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プロスト 無限ホンダ JS45 中野信治
1997年、F1フル参戦デビューを果たした中野信治選手のマシンのミニカーです。 最高位:6位(カナダGP,ハンガリーGP) 97年に無限ホンダ、ブリヂストンタイヤとバックに日本のメーカーがそろった体制でF1デビューを果たした中野選手。マシンのポテンシャルは高いものの、チームとしてはパニス選手を優先してテストなどをしていたため、なかなか力を出し切れないシーズンを送っていました。それでも、94年の片山選手以来の入賞を記録するなど、成績も残したシーズンとなりました。マシン自体はチームメイトのパニス選手のシーズン前半の活躍が目立ったマシンですね。 このミニカーはオークションで見つけたミニカーです。そもそも流通数が少ないのか、オークションでもなかなか出回らないので、入手までには一苦労しました。 名前のところが黒塗りになっているのは、ヘルメットが中野選手のものではないから、急遽塗りつぶされたとかそんな噂がありますね。
ミニカー ミニチャンプス ?shogo
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リジェ 無限ホンダ JS43 オリビエ・パニス
1996年、無限ホンダとのタッグ2年目を迎えたリジェチームで戦ったパニス選手のマシンのミニカーです。 最高位:1勝(年間総合9位) 前年のJS41の発展型マシンとして96年のレギュレーションに合わせられたこのマシン。ハイライトと言えば、この年のモナコGPでしょう。雨で大荒れとなったモナコGPをサバイブし、見事パニス選手自身,無限ホンダに初優勝をもたらし、リジェチームとしても1981年以来の優勝獲得になりました。 ただ、それ以外は入賞2回とやや苦戦した感じもありましたが、やはりモナコGPの優勝の印象が強すぎでしたね。翌年以降はプロストGPと名前が変わるので、チームとしてもこれが最後の優勝マシンとなりました。 このミニカーはオークションで落札したものです。このマシンはちょうど僕がF1を現地観戦し始めたときのマシンなので、ちょっとほしいなと考えていたものですで、数年前にコレクションに追加されました。
ミニカー ミニチャンプス ?shogo
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リジェ 無限ホンダ JS41 鈴木亜久里
1995年、2年ぶりにF1フル参戦(となるはずだった)シーズンを戦った鈴木亜久里選手のマシンのミニカーです。 最高位:6位(ドイツGP) 94年はシートを失い1年F1浪人だった亜久里選手。95年は無限ホンダを積むリジェチームから走ることになり、再び活躍が期待されました。ところがチームの実権を握ったTWRのトム・ウォーキンショウの横やりが入ったせいで、わずか6戦しか出走ができない事態に。ドイツGPでは意地の6位入賞を果たしたもののその後はパシフィックGP(岡山)と日本GPまで待つことになってしまいました。そして、日本GPの予選2日目のS字でクラッシュ。そのまま欠場となり、結果これが亜久里選手のF1ラストランとなってしまいました。 このミニカーは鈴鹿サーキットの駐車場入り口の正面にあるF1グッズショップで偶然にも発見したミニカーです。ネットオークションでもなかなか出品されていなかったので迷わず購入しました。F1開催時期だったので即決でしたね(笑)
ミニカー ミニチャンプス 5000円位shogo
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BAR ホンダ 005 佐藤琢磨
2003年、BARのテストドライバーを1年勤め最終戦日本GPで急遽レースカムバックを果たした佐藤琢磨選手のマシンのミニカーです。 最高位:6位(日本GP) 前年から一転、1年間をサードドライバーとしてテストで走りこみながらグランプリに帯同し続けた琢磨選手。日本GPを前にレギュラー復帰が発表されると、日本GPウィークの木曜日に急遽ビルヌーヴ選手が出走を取りやめたことで代役参戦を果たしました。琢磨選手は奮闘し6位入賞。チームのコンストラクターズ5位に貢献し、その活躍にファンは再び盛り上がるのでした。当然、私も盛り上がった内の1人です。 このミニカーはすでにサーキットとミニチャンプスのコラボで販売されていたBARホンダ005の通常箱仕様ですが、この仕様は日本GP仕様とありCarNo.16がついています。この仕様も当然ほしかったので迷わず購入しました。
ミニカー ミニチャンプス 4410円shogo
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ロータス ホンダ 99T 中嶋悟(ブラジルGP仕様)
1987年、日本人初のフルタイムF1ドライバーとしてデビューした中嶋悟選手のブラジルGPでのマシンのミニカーです。 ブラジルGP成績:7位 国内トップフォーミュラで実績を上げ、F1デビューを果たした中嶋選手。ブラジルGPではきっちりと完走し、その次のレースでは早くも入賞するなど、その活躍に注目が集まりました。F1ブームのきっかけになりました。 このミニカーは今は無いFORZAさん別注のモデルカーとして販売されたものでした。
ミニカー スパーク 10000円位shogo
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ロータス ホンダ 100T ネルソン•ピケ
1988年、ロータスチームに移籍したネルソン•ピケ選手のマシンのミニカーです。 最高位:3位(ブラジルGP,サンマリノGP,オーストラリアGP) 前年3度目のチャンピオンを獲得し、ホンダエンジンを求めロータスに移籍したピケ選手。しかし、ロータスのマシンの戦闘力は低く、最高位が3位と不振に陥ってしまいました。かろうじて年間総合6位となったものの苦戦を象徴する結果でした。 このミニカーも鈴鹿レジェンド ホンダコレクションとして販売され、なかなか埋まらなかった88年のロータスがようやく埋まった形になりました。
ミニカー 京商 ?shogo
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ロータス ホンダ 100T 佐藤琢磨(鈴鹿デモラン仕様)
2010年の鈴鹿F1でデモランをした佐藤琢磨選手がドライブしたロータス100Tのマシンのミニカーです。 こちらも鈴鹿レジェンド ホンダコレクションとして販売されたミニカーで、佐藤琢磨選手のミニカーということもあり購入しました。 鈴鹿サーキット50周年のシールもあるので、あえて包装は剥がさずに保管してあります。そのため見えにくくなってます。
ミニカー 京商 ?shogo
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ホンダ RA106 ジェンソン•バトン
2006年、オールホンダ体制でシーズンを戦ったバトン選手のマシンのミニカーです。 最高位:1勝(ハンガリーGP) 2006年、BARを買収したホンダが38年ぶりにオールホンダとして戦ったシーズン。雨から晴れに変わる大荒れのハンガリーGPを制し、第3期ホンダF1に唯一の優勝をもたらしました。 このミニカーはどこのメーカーかわからないですが、購入時は初優勝記念パッケージとして売られていたので購入したと記憶してます。
ミニカー ? ?shogo