-
BBM 2005 横浜ベイスターズ セドリック バワーズ 直筆サイン 20枚限定
2005年に発売された横浜ベイスターズのリミに封入されてたセドリック投手の直筆サインカードです。2004年途中に練習生として来日し、2005年までプレーし、その後は、東北楽天や韓国でプレーしました。球種は、カーブ・チェンジアップ・スライダーと多くない割には、奪三振は多かったんですが、制球力が芳しくないため、野手が守る時間が長かったと言われます。 通算成績 38試合 14勝9敗 投球回217 奪三振186 防御率3.69 #bbm #直筆サイン #横浜ベイスターズ #セドリック
トレーディングカード BBM BBMバッキング
-
BBM 2005 1st 阪急ブレーブス 山口 高志 直筆サイン 50枚限定
2005年のBBMの1stに封入された引退選手・監督・コーチシリーズに封入された山口高志元コーチの直筆サインカードです。この年の1stの直筆サインの中では、1番手に入れるのが難しいため、幻のサインカードと呼ばれます。関大とパナソニックを経てドラフト1位で阪急に入団。1975年の初登板では敗戦投手に、2試合目は、後に名打撃コーチとして有名になる土井正博氏から同僚の福本豊氏に「山口のストレートは打ちにくい。なぜ力があるのに変化球を投げるんだ。」とコメント。この言葉をきっかけにストレート中心の投球に切り替えました。この年は目標の15勝は達成出来なかったが12勝13敗1セーブの成績を残してパリーグ新人王を獲得。広島カープとの日本シリーズでは1勝2セーブを挙げ日本シリーズMVPにも輝きました。次の年からはリリーフでの起用が増え、1978年の日本シリーズ前まで活躍しましたが、ゴルフコンペで腰を怪我をしてしまい、日本シリーズには出れず、日本シリーズも敗退。 これがきっかけで、球威は戻らず、全盛期の力を出せず、1980年には張本勲氏に通算3000本安打となるホームランを打たれました。 1982年32歳の若さで引退。翌年から1998年まで投手コーチを(1983-1988年 2軍)務め、その後は、スカウトを務め、2003-2004年、2009-2015年まで阪神の投手コーチを務めました。 退団後は母校の関西大でアドバイザリースタッフとして指導をしてます。 上田監督に酷使されなければ、もっと凄い成績を残してたと思います。 主な獲得タイトル 1975年 パ・リーグ新人王 1975年 日本シリーズMVP 1978年 パリーグ最優秀救援投手 通算成績 195試合 44完投 50勝43敗44セーブ 投球回787 奪三振600 防御率3.18 #bbm #阪急 #幻 #直筆サイン #山口高志
トレーディングカード BBM BBMバッキング