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昭和初期頃のパリの絵葉書
昭和初期のパリの風景絵葉書。 パリ(ノートルダム大聖堂)。 海外のこうしたモノクロの絵葉書から、当時の人たちは、海の向こうの異国がどんな所なのかと想像していたのかもしれない。 #歴史、#絵葉書、#外国、#海外
歴史、海外、絵葉書、外国 海外 2023年頃Jpnおいら歴史資料文書等継承博物館
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中1コース手帳(桜田淳子)1975年
1975年の学研中1コース年間予約プレゼントの品。 中1コース手帳とブロマイド、万年筆、写真立てがついていた。 手帳を開くと、中学生憧れのアイドルやスター、選手の写真や学校で話題作りができるような豆知識や遊び等が載っている他、スケジュールを記入したり、メモをしたり、友だちの住所を記入したりするページがある。 当時、コレを持っていた中学生はクラスの人気ものだったのかもしれない。 また、学校に持っていった時点で中にある写真とかを破られ、とられていたかもしれない。 丁度、これくらいの時期から段々と都会の学校が荒れて行くように思う↰(ꏿ﹏ꏿ)↱
雑誌、学習、アイドル、スター、付録 学研 2023年頃Jpnおいら歴史資料文書等継承博物館
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長嶋茂雄サイン色紙
長嶋茂雄のサイン色紙。 2023年.長嶋茂雄ブームが私の中で起こり、ふと立寄ったリサイクルショップで発見したモノ。 ジャンルは雑貨や書、色紙として売られていた。 長嶋茂雄って有名なんだけどなぁと思いながら、色々な額絵に挟まれていたコレを見つけた。 病気にかかる前のサインのように思える。 サインを見ながら、長嶋茂雄の偉大さを感じたアイテムである。 #サイン、#色紙、#巨人
サイン、ブロマイド、レコード 日本 2023年頃Jpnおいら歴史資料文書等継承博物館
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昔のチラシ(明治と昭和)
昔のチラシ。 一つは明治36年10月と記載があるが、もう一つには日付がない。 明治36年10月の方は、漢字だらけであるが、もう一つの方は在郷軍人という言葉とひらがな混じりの文章から昭和のチラシと思われる。 昔の書物は古くなればなるほど漢字だらけ(漢文)になる。 また古文等は古語辞典などないと解読するのが大変である。 昔のように漢文や古文が、今の学校の授業であるかどうかはわからないが、古文書を読み解くためには習わない勉強であっても身につけておくことは必要であると明治のチラシを見ながら思った。 #歴史、戦時、チラシ、広告
歴史、社会、チラシ、ビラ 日本 小嶋洋服店、松葉屋清吾 2021年頃Jpnおいら歴史資料文書等継承博物館
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戦時中の疎開票(マルソ)
戦時中の疎開票(マルソ) 第二次大戦中、疎開の際に用いられた票札と思われる。 色々と調べてはいるが、本票に関しての資料が見当たらない。 引き続き調査中のアイテムである。 分かり次第、更新しますm(_ _)m #歴史、#戦時、#札、#票
歴史、戦時、札、票 日本 2023年頃Jpnおいら歴史資料文書等継承博物館
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プラレールの持ち運び折りたたみレール
プラレールの持ち運び折りたたみレール 狭い家でも、プラレールで遊ばせることができたり、子どもとの旅行の際にも持っていけるサイズの折りたたみレール。 ただ、走っているプラレールを見るだけならばこれで十分であるが、子どもはどうしてもその先を求めてしまう。 子どもの想像を満たすためには、線路購入は必須である。 そんなことを思い出したアイテムである。 色んなタイプのプラレールを走らせて観察するのも面白かったことを思い出したアイテムであった。(SLや新幹線、通勤電車、貨物列車、トーマス列車、100均(ダイソー)の電車など。※ダイソーの電車は車輪を外したり、プラレール線路の幅に合わせたりと加工が必要。)
玩具、電車、プラレール リサイクルショップ、日本 2017年Jpnおいら歴史資料文書等継承博物館
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フィリックスの丸メンコ
フィリックスの丸メンコ。 フィリックスは、黒猫をモチーフにしたアメリカの漫画、アニメーションのキャラクターである。1919年に生み出された。 日本では、戦前は主に「フェリックス」と呼ばれ、また1960年代前半には雑誌『家庭全科』で「黒猫フェリックス」の題で連載されていたが、一般に日本語読みはフィリックスである。 (Wikipediaより文章引用) フィリックスくんといえば駄菓子屋の10円ガムを思い出す。くじ付きの小さなガムで紙の裏にあたりやハズレが書いてあったように記憶している。 ふと、日本の"のらくろ"もどことなく似ているなあと思って調べてみたら、フィリックスを参考に描かれた漫画ということがわかった。 #歴史、#面子、#メンコ、#漫画、#アニメ、#遊び
歴史、遊び、面子 日本 2023年頃Jpnおいら歴史資料文書等継承博物館
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月間グラフ山形 特集猛火十一時間 酒田大火(1976年11月号)
この雑誌は、昭和51年10月29日午後5時50分、酒田市の中心街中町二丁目で起きた火災についての特集。 戦後の火災としては、全国で4番目、山形県下では最大の惨事となる火災であった。 被害状況は、焼失面積22万5千平方メートル、焼失建物数1千59棟、罹災者959世帯(3314人)、被害総額300億円(概算)であった。 酒田市では、明治27年の庄内地震による大火以来、82年ぶりの大火災となった。 この大火では、一軒だけ焼けずに残った家があった。 なぜ、一軒だけ焼けずに残っていたのか? この家は、風上に広い駐車場があって、燃えるものがなく、横の方から移って来た火は倉庫だけ焼いた。 つまり、大きな空き地があると防火になるということを知ることができる。 今の世の中を見ると、隣同士がギリギリのような状態で密に家が建っている。 50年近く経った今、こうした災害の教訓は活かされているのだろうか? 地震等が起きるたびに私は思ってしまう。 起きたことが過去の記憶で消されないようにこうした災害の歴史を学ぶことも必要だと思う。 #歴史、#災害、#昭和
歴史、教科書、教材、雑誌 株式会社東北出版企画 2012年頃Jpnおいら歴史資料文書等継承博物館
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考える子ども二年生5月号(昭和37年5月1日発行)
考える子ども二年生5月号(昭和37年5月1日発行) やくにたつ小学生の教材雑誌とかいてあるので副教材として学校ででたものなのかなあと想像する。 内容は"じょうずにたねまきをしましょう"や"あさがおをまきました"、"どれをまこうかな東京都大向小学校"というページなどがある。 #教科書、#雑誌、#歴史、#昭和、#学校
歴史、教科書、教材、雑誌 暁教育図書株式会社Jpnおいら歴史資料文書等継承博物館
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長島茂雄の丸メンコ
長島茂雄の丸メンコ 長島茂雄は巨人軍の選手。 愛称は「ミスタープロ野球」「ミスタージャイアンツ」「ミスター」「チョーさん」「燃える男」など。 同時代に活躍した王貞治とはともに「ON砲」として称され、2人のバッティングは巨人のV9に貢献した。日本のプロ野球において400本塁打・2000安打の同時達成は大卒では史上初である。 NPB最多記録となる最多安打を10回獲得し、セ・リーグ最多記録となる首位打者を6回獲得した。(Wikipediaより文章引用) 長島茂雄というと、 「我が巨人軍は永久に不滅です」、「ON時代」、「巨人、大鵬、卵焼き」、「セコムしてますか?(警備会社のCM)」「う〜ん、すごいですねぇ〜(モノマネ芸人のセリフ)」が思い浮かぶ。 また、"探検発見ぼくのまち"(たんけんぼくのまち)の「チョーさん」(ながしましげる)と愛称の点では重なる。 1960年頃の昭和は、団地ができ始めたり、共働き家庭が増えたりと、鍵っ子の子どもたちが多くいたように思う。 当時は、駄菓子屋も多くあり、近所にあったり、学校の近くにあったり、自転車をこいで新たな駄菓子屋に欲しいモノを探しにいったりした記憶が浮かぶ。 長島茂雄の丸メンコを見ながら、ふと昭和の時代が思い浮かんでもらえると幸いです。 #メンコ、#面子、#歴史、#巨人、#遊び
歴史、遊び、面子 日本 2023年頃Jpnおいら歴史資料文書等継承博物館
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ベン・ケーシーの丸メンコ
ベン・ケーシーの丸メンコ 「ベン・ケーシー」は、1961年から1966年まで放送されたアメリカのテレビドラマ。 総合病院の脳神経外科に勤務する青年医師ベン・ケーシーを主人公に、病院内での医者と患者との交流を通じて医師としての成長を描き、当時高い評価を得たメディカルドラマである。(Wikipediaより文章引用) ケーシと言えば、ケーシ高峰の医事漫談を思い浮かべてしまう。そんなケーシ高峰は実は医学生だった時があったようだ。 丸メンコを見ながら、何かと何かがパッと関連があって結びついたりすると、とてもおもしろいと感じる。 #歴史、#メンコ、#面子、#ドラマ、#遊び
歴史、遊び、面子 日本 2023年頃Jpnおいら歴史資料文書等継承博物館
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キャンディーズ(スーちゃん)ブロマイド
キャンディーズ(スーちゃん(田中好子))のブロマイド キャンディーズは、1970年代に活躍した日本の女性3人組のアイドルグループ・コメディエンヌである。 所属事務所は渡辺プロダクション。多くの楽曲は、当時渡辺音楽出版の社員だった松崎澄夫のプロデュースによるものであった。(Wikipediaより文章引用) キャンディーズといえば「春一番」が有名である。(◍•↺•◍) お笑い好きの人は春一番と言えばアントニオ猪木のモノマネをしていた芸人を思い浮かべるかもしれない。m(_ _)m この時代は、ピンクレディ、キャンディーズ、野口五郎、郷ひろみ等のアイドル歌手がテレビなどで歌っていたように思う。(☉。☉)! 1980年代以降になると、8時だよ!全員集合!やテレビドラマなどに歌手が出演していてコントの合間に歌を歌ったりしていたという記憶がある。 (※ムー一族というドラマに樹木希林と郷ひろみが出ていたと思う。確かそのドラマの中で、お化けのロックンロール等歌っていた記憶がある。(再放送)) #歴史、#アイドル、#歌手、#ブロマイド、#写真
サイン、ブロマイド、レコード 日本 MARUBERUDO 2012年頃Jpnおいら歴史資料文書等継承博物館
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映画のビラ、チラシ(昭和14年から15年頃)
映画のビラ、チラシ(昭和14年から15年) 東宝のビラ、チラシ 当時は国定忠治、丹下左膳、白蘭の歌、金語楼の親爺三重奏、東遊記、お転婆社長、仇討ちこよみ、光と影大會といった映画が放映されていたようである。 金語楼の三重奏という映画はチラシを見る限りだとコメディーかなぁと想像してしまう。 また、丹下左膳のチラシの主人公と国定忠治のチラシのおんぶされている子どもから、「子連れ狼」が浮かびあがってしまっている。チラシを見ながら、「チャン!」「ダイゴロウ!」「チャーン!」という光景が浮かんでしまった( ゚д゚)! #歴史、#社会、#チラシ、#ビラ、#映画
歴史、社会、チラシ、ビラ 東宝映画 2012年頃Jpnおいら歴史資料文書等継承博物館
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マグマ大使の丸メンコ
マグマ大使の丸メンコ 「マグマ大使」は、手塚治虫作の漫画作品、およびこれを原作にした特撮テレビ番組「マグマ大使」。これらの作品の主人公の名である。(Wikipediaより文章引用) マグマ大使=少年と笛のイメージが私は強い。 笛でマグマ大使を操れるって凄いと思う。 もしかしたら、当時は、笛が子ども達の間でヒットしていた商品だったかもしれない。 また、ピーッと笛をふくことでマグマ大使ごっこなんていう遊びもしていたかもしれない。 はたまた、笛が高価で買えない子どもは草笛や竹笛などを作ってごっこ遊びをしていたかもしれない。 色々と想像が膨らんだマグマ大使の丸メンコであった。 #歴史、#遊び、#面子、#メンコ、#特撮
歴史、遊び、面子 日本 2023年頃Jpnおいら歴史資料文書等継承博物館
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月光仮面の丸メンコ
月光仮面の丸メンコ。 月光仮面は、KRテレビ(現・TBSテレビ)と宣弘社が制作し、「タケダアワー」第1作として1958年2月24日から1959年7月5日まで放送されたテレビ冒険活劇番組。 覆面を被った主人公のヒーローの名前。川内康範原作。(Wikipediaより文章引用) 月光仮面といえば、"どこの誰だか知らないけれど"が有名なフレーズのように思う。 そう、どこの誰だか知らないけれど疾風のように現れて疾風のように去っていく…。 何だか、ウルトラマンにも合いそうなフレーズである。 どこからともなく飛んできて、3分という短い時間で敵と闘い、そしてどこかに"サッ"と飛んでってしまう。 また、マスクで顔を覆い誰だかわからないという姿も当時の子ども達には憧れであり、格好が良かったのかもしれない。 現代の若者が見たら、ターバンに、サングラスをかけて全身白タイツに首にバンダナを巻いた不思議なOSSANに見えるのだろう。 しかし、当時は、今とは違った環境だったため、こうしたヒーローが子どもたちには格好良く光って見えていたのだと思う。 #面子、#メンコ、#特撮、#遊び、#歴史
歴史、遊び、面子 日本 2023年頃Jpnおいら歴史資料文書等継承博物館