-
【昭和八年】大日本帝国貨幣 十銭ニッケル貨
ご覧いただきありがとうございます。 こちらはかつて大日本帝国で流通していた、「十銭ニッケル貨」になります。 【製造年と諸情報】 素材は純ニッケルであり、昭和八年から昭和十二年にかけて製造された貨幣で、こちらはそのうちの昭和八年銘のものです。 【諸元と量目】 直径は22mm、量目は3.97gとなっています。 書類上の量目は4gですので、使用による摩耗の少ない個体になります。 【効力について】 雑銭集めをしていてもあまり見かけない部類に入る貨幣で、現在は貨幣としての効力を有しておりません。 (2025/3月時点での「十銭ニッケル貨-昭和八年製」の収蔵数:2点) (情報参考元:Wikipedia)
硬貨 大日本帝国政府 不明 (中古購入)陽炎
-
【昭和九年】大日本帝国貨幣 十銭ニッケル貨
ご覧いただきありがとうございます。 こちらはかつて大日本帝国で流通していた、「十銭ニッケル貨」になります。 【製造年と諸情報】 素材は純ニッケルであり、昭和八年から昭和十二年にかけて製造された貨幣で、こちらはそのうちの昭和九年銘のものです。 【諸元と量目】 直径は22mm、量目は3.87gとなっています。 書類上の量目は4gですので、使用によりすり減ったものだと考えられます。 【効力について】 雑銭集めをしていてもあまり見かけない部類に入る貨幣で、現在は貨幣としての効力を有しておりません。 (2025/2月時点での「十銭ニッケル貨-昭和十一年製」の収蔵数:1点) (情報参考元:Wikipedia)
硬貨 大日本帝国政府 不明 (中古購入)陽炎
-
【大正八年】大日本帝国貨幣 五厘青銅貨
ご覧いただきありがとうございます。 こちらはかつて大日本帝国で流通していた、「五厘青銅貨」になります。 【製造年と諸情報】 大正五年から大正八年にかけて製造された貨幣で、こちらはそのうちの大正八年のものになります。 図柄は桐一銭青銅貨に似ていますが、桐一銭青銅貨が昭和まで発行され続けたのに対し、こちらはわずか四年のみの製造となっています。 その背景としては貨幣価値が下落したこと(インフレ)によるものだと考えられます。 【諸元と量目】 直径は19mm(公式には18.787mm)、量目は2.08gとなっています。 書類上の量目は2.1gですので、摩耗の少ない個体だと考えられます。 【効力について】 1953年の法律改正によって効力を失っており、現在では効力を有さない貨幣のひとつとなっています。 (2025/2時点での「五厘青銅貨-大正八年」の収蔵数:8点) (情報参考元:Wikipedia)
硬貨 大日本帝国政府 不明 (中古購入)陽炎
-
【大正七年】大日本帝国貨幣 五厘青銅貨
ご覧いただきありがとうございます。 こちらはかつて大日本帝国で流通していた、「五厘青銅貨」になります。 【製造年と諸情報】 大正五年から大正八年にかけて製造された貨幣で、こちらはそのうちの大正七年のものになります。 図柄は桐一銭青銅貨に似ていますが、桐一銭青銅貨が昭和まで発行され続けたのに対し、こちらはわずか四年のみの製造となっています。 その背景としては貨幣価値が下落したこと(インフレ)によるものだと考えられます。 【諸元と量目】 直径は19mm(公式には18.787mm)、量目は2.10gとなっています。 書類上の量目は2.1gですので、摩耗の少ない個体だと考えられます。 【効力について】 1953年の法律改正によって効力を失っており、現在では効力を有さない貨幣のひとつとなっています。 (2025/2時点での「五厘青銅貨-大正七年」の収蔵数:7点) (情報参考元:Wikipedia)
硬貨 大日本帝国政府 不明 (中古購入)陽炎
-
【明治十五年】大日本帝国貨幣 一厘銅貨
ご覧いただきありがとうございます。 こちらはかつて大日本帝国で流通していた、「一厘銅貨」になります。 【製造年と諸情報】 明治六年から明治十七年まで製造された貨幣で、こちらはそのうちの明治十五年のものになります。 明治時代以降、かつての寛永通宝が「一文」から「一厘」として扱われるようになり、新たに「一厘銅貨」が発行されるものの需要はそこまで多くなかったためか、発行枚数はあまり無いようです。 また、非常に小さくて、薄いため(写真五枚目参照)使い勝手が悪く、逆に大きすぎて使いづらかった「二銭銅貨」とともに、他の一銭銅貨などよりも先に製造打ち切りとなりました。 【諸元と量目】 直径は16mm(公式には15.757mm)、量目は0.88gとなっています。 書類上の量目は0.907gですので、使用により摩耗したものと考えられます。 【効力について】 1953年の法律改正によって効力を失っており、現在では効力を有さない貨幣のひとつとなっています。 (2025/2時点での「一厘銅貨-明治十五年」の収蔵数:1点) (情報参考元:Wikipedia)
硬貨 大日本帝国政府 不明 (中古購入)陽炎
-
【1662年〜?】清銭 康煕通宝 大型銭
ご覧いただきありがとうございます。 こちらはかつて清で流通していた、「康煕通宝」になります。 厳密にいうとこちらは渡来銭ではなく、輸入銭という部類に入るそうです。 江戸時代に貿易の支払いなどを通じて、日本に持ち込まれました。 全体的に画数の多い文字が並ぶため字潰れしやすく、判別が難しいかと思います。 そんな時目印になるのが、清銭に特有の背面にある模様です。 こちらの個体でもしっかりと確認できます。 また、こちらの個体は標準的なものに比べて大きく、比較写真でも大きさの違いがわかると思います。 直径は23mm、量目は2.33gとなっています。 (2025/2時点での「康煕通宝」の収蔵数:4点) (情報参考元:Wikipedia)
硬貨 不明 不明 (中古購入)陽炎
-
【1503年〜?】明銭 弘治通宝
ご覧いただきありがとうございます。 こちらはかつて清で流通していた、「弘治通宝」になります。 厳密にいうとこちらは渡来銭ではなく、輸入銭になるそうです。 江戸時代に貿易の支払いなどを通じて、日本に持ち込まれたものと思われます。 背面には何かしらの文字が書かれておりますが、解読できませんでした。 直径は24mm、量目は1.98gとなっています。 (2025/2時点での「弘治通宝」の収蔵数:1点) (情報参考元:Wikipedia)
硬貨 不明 不明 (中古購入)陽炎
-
【1875年〜?】清銭 光緒通宝
ご覧いただきありがとうございます。 こちらはかつて清で流通していた、「光緒通宝」になります。 厳密にいうとこちらは渡来銭ではなく、輸入銭になるそうです。 江戸時代に貿易の支払いなどを通じて、日本に持ち込まれたものと思われます。 背面には何かしらの文字が書かれておりますが、解読できませんでした。 直径は22mm、量目は2.00gとなっています。 (2025/2時点での「光緒通宝」の収蔵数:1点) (情報参考元:Wikipedia)
硬貨 不明 不明 (中古購入)陽炎
-
【1736年〜?】清銭 乾隆通宝 ミニサイズ
ご覧いただきありがとうございます。 こちらはかつて清で流通していた、「乾隆通宝」になります。 厳密にいうとこちらは渡来銭ではなく、輸入銭になるそうです。 江戸時代に貿易の支払いなどを通じて、日本に持ち込まれたものと思われます。 背面には何かしらの文字が書かれておりますが、解読できませんでした。 そしてこちらは「乾隆通宝」の中でもとてもミニサイズなものになっております。 普通サイズの「乾隆通宝」と比較するとよく分かります。 そしてこんなに小さくても、清銭に特有の背字はしっかり描かれています。 直径は17mm、量目は0.93gとなっています。 (2025/2時点での「乾隆通宝」の収蔵数:6点) (情報参考元:Wikipedia)
硬貨 不明 不明 (中古購入)陽炎
-
楽プラスナップキット 1/32 日産 スカイライン 2000GT-R レッド
ご覧いただきありがとうございます。 こちらはアオシマより発売されている、「楽プラ スナップキット」の日産 スカイライン 2000GT-Rのレッドになります。 「楽プラ」は小一時間で組み立てられるものの、細部までこだわった造形がされていて、見ていて飽きません。 また他にも様々なカラーで発売されており、ご自身の好みのカラーを作ることができます。 銀メッキのパーツなんかも綺麗に再現されおり、出来上がりにもしっかり満足のいく商品だと思います。 (別途ナンバープレートを貼り付けることができますが、今回はそちらのシールは使用していません。)
プラモデル カーモデル アオシマ文化教材社 定価陽炎
-
【昭和十二年】大日本帝国貨幣 小型鳳凰五十銭銀貨
ご覧いただきありがとうございます。 こちらはかつて大日本帝国で流通していた、「小型鳳凰五十銭銀貨」になります。 【製造年と諸情報】 銀貨と銘打つだけあって、素材は7割以上が銀でできており、大正十一年から昭和十三年にかけて製造された貨幣です。そして、こちらはそのうちの、昭和十二年製のものです。 【諸元と量目】 直径は23.5mm、量目は4.92gとなっています。 書類上の量目は4.95gであり、摩耗により減目したと考えても、重さ的には本物だろうと思います。 【効力について】 現在は貨幣としての効力を有しておりません。 (2025/2月時点での「小型鳳凰五十銭銀貨-昭和十二年製」の収蔵数:1点) (情報参考元:Wikipedia)
硬貨 大日本帝国政府 不明 (中古購入)陽炎
-
【明治十六年】大日本帝国貨幣 二銭銅貨
ご覧いただきありがとうございます。 こちらはかつて大日本帝国で流通していた、「二銭銅貨」になります。 【製造年と諸情報】 明治六年から明治十七年にかけて製造された貨幣で、こちらはそのうちの明治十六年製のものです。 現代の500円玉を超える大きさが不便と災いし、後年には回収・鋳潰しの対象となりました。 また、その特殊な額面上、前にも後にも二銭硬貨は発行されておりません。 もし後年に別の二銭硬貨が発行されていたのなら、こちらは「大型二銭銅貨」や「特型二銭銅貨」などと呼ばれていたかもしれませんね。 【諸元と量目】 直径は32mm(公式には31.818mm)、量目は13.84gとなっています。 書類上の量目は14.256gですので、使用により摩耗したものだと考えられます。 【効力について】 1953年の法律改正によって効力を失っており、現在では効力を有していない貨幣の一つになります。 (2025/2時点での「二銭銅貨-明治十六年」の収蔵数:1点) (情報参考元:Wikipedia)
硬貨 大日本帝国政府 不明 (中古購入)陽炎
-
【明治十年】大日本帝国貨幣 二銭銅貨
ご覧いただきありがとうございます。 こちらはかつて大日本帝国で流通していた、「二銭銅貨」になります。 【製造年と諸情報】 明治六年から明治十七年にかけて製造された貨幣で、こちらはそのうちの明治十年製のものです。 現代の500円玉を超える大きさが不便と災いし、後年には回収・鋳潰しの対象となりました。 また、その特殊な額面上、前にも後にも二銭硬貨は発行されておりません。 もし後年に別の二銭硬貨が発行されていたのなら、こちらは「大型二銭銅貨」や「特型二銭銅貨」などと呼ばれていたかもしれませんね。 【諸元と量目】 直径は32mm(公式には31.818mm)、量目は12.89gとなっています。 書類上の量目は14.256gですので、使用による摩耗の大きい個体だということが分かります。 【効力について】 1953年の法律改正によって効力を失っており、現在では効力を有していない貨幣の一つになります。 (2025/2時点での「二銭銅貨-明治十年」の収蔵数:1点) (情報参考元:Wikipedia)
硬貨 大日本帝国政府 不明 (中古購入)陽炎
-
大日本帝国政府 支那事変割引国庫債券 貳拾圓 第4回
ご覧いただきありがとうございます。 こちらは支那事変に際し発行された、支那事変割引国庫債券 貳拾圓の第4回となっております。 後の大東亜戦争の国債と比べると幾分かしっかりとした作りになっており、表面の模様が単なる印刷ではなく裏から打ち出したものとなっています。そのためか、裏面にうっすらと打ち出した後が残っています。 また、紙も心なしか分厚く、年月が経っている割にはしっかりとした状態な気がします。 発行価格は十四円で、十年で六円の利子がつくものとなっており、後に発行されたものに比べると比較的利子は低めのように感じます。
戦時、債券 大日本帝国政府内閣印刷 不明 (中古購入)陽炎
-
大日本帝国政府 支那事変割引国庫債券 拾圓 第4回
ご覧いただきありがとうございます。 こちらは支那事変に際し発行された、支那事変割引国庫債券 拾圓の第4回となっております。 後の大東亜戦争の国債と比べると幾分かしっかりとした作りになっており、表面の模様が単なる印刷ではなく裏から打ち出したものとなっています。そのためか、裏面にうっすらと打ち出した後が残っています。 また、紙も心なしか分厚く、年月が経っている割にはしっかりとした状態な気がします。 発行価格は七円で、十年で三円の利子がつくものとなっており、後に発行されたものに比べると比較的利子は低めのように感じます。
戦時、債券 大日本帝国政府内閣印刷 不明 (中古購入)陽炎