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桃形稲文
桃形稲文 ボンボニエール 5.1×7.6×2.7 久邇宮紋 銀製、刻印「純銀新城製」
ボンボニエール 久邇宮家 不明kogan2020
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重ね色紙形秋草牡丹文(久邇宮智子女王・大谷光暢御結婚)
久邇宮智子女王は、明治39年(1906) 9月1日、久邇宮邦彦王の第三王女子として御誕生。大正13年(1924)5月3日、浄土真宗の宗祖親鸞の末裔で東本願寺の住職を世襲した大谷家(伯爵家)の大谷光暢(24世法主)と御結婚、大谷家に降嫁した。お印は萩。 重ね色紙形秋草牡丹文 ボンボニエール 久邇宮智子女王・大谷光暢御結婚(大正13年(1924)4月) 5.4×5.4×2.2 銀製、
ボンボニエール 久邇宮家 不明kogan2020
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洋書形(久邇宮邦英王御成年式)
久邇宮邦英王は、明治43年(1910)5月16日、久邇宮邦彦王の第3王子として御誕生。その後、子女がなかった東伏見宮依仁親王の事実上の継承者の立場になるが、旧皇室典範は皇族に養子を認めていなかったため、邦英王は東伏見宮を皇族としては継承することができなかった。邦英王は、昭和5年(1930)5月に成年となられたが、東伏見宮家の祭祀を継承するため、昭和6年(1931)に臣籍降下の願出をし、同年4月に「東伏見」の家名を賜い、華族に列せられ、伯爵を授けられて伯爵東伏見邦英となられた。昭和12年(1937)5月5日、伯爵 亀井茲常の次女・保子さまと御結婚された。その後、1945年(昭和20年)に京都の青蓮院で得度、昭和27年(1952)に善光寺大勧進の住職に就き、昭和28年(1953)に青蓮院門跡の門主となって法名を慈洽と称し、長らく門主の地位にあられた。 洋書形 ボンボニエール 久邇宮邦英王(のち東伏見邦英)御成年式御披露(昭和5年(1930)5月) 6.9×4.9×3.2 銀製、刻印「新城製」
ボンボニエール 久邇宮家 不明kogan2020
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笙形(久邇宮朝融王御成年式)
久邇宮朝融王は、明治34年(1901)2月2日、久邇宮邦彦王の第一皇子として御誕生。大正10年(1921)2月御成年。大正14年(1925)1月、伏見宮博恭王第3王女子の知子女王と御結婚。昭和4(1929)年1月邦彦王の薨去を受けて久邇宮家を継承。海軍に籍を置き海兵卒業(49期)後、海軍中将にまでいたる。昭和22年(1947)10月14日皇籍離脱。 笙形 ボンボニエール 久邇宮朝融王御成年式(大正10年(1921)) 9.7×2.2×1.7 銀製、刻印「純銀」「小林」
ボンボニエール 久邇宮家 不明kogan2020