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A Certain Ratio “Force”
今回は、英国のA Certain Ratio (以外、ACRと表記)の4枚目のスタジオ・アルバム”Force”を紹介します。まあ、Factory Recordsと共に歩んできたバンドではありますが、ACRはこのアルバムを最後に、Factory Recordsを離れ、A&M Recordsに移ります。ACRのバイオグラフィーについては前回、デビューアルバム”To Each….”までは書きましたが、その後について補足しておきます。デビューアルバムをリリースした時点ではメンバーはDonald Johnson (Drs), Jeremy Kerr (B, Vo), Martha Tilson (Vo), Martin Moscrop (Trumpet, G), Peter Terrell (Electronics, G), Simon Topping (Vo, Trumpet)の6人組で、このメンバーで、セカンドアルバム”Sextet”を1982年1月にリリースします。アシッド・ジャズとファンクとラテン・ミュージックが混ぜ合わさった、このアルバムは、初のセルフ・プロデュースで、かつ英国アルバムチャートで55位まで行きます。同年11月に、ACRは、Tilson抜きで、Andy Connell (Kbd, Perc)を加えて、3度目のBBC Radio 1に出演します。1982年11月に、ACRはサード・アルバム”I'd Like to See You Again”をリリースし、インディーチャートで2位になりますが、この作品は米国のラテン・ディスコやファンクバンドCameoの影響が強く、評論家からは賛否両論でした。この年の末に創設メンバーのToppingとTerrellが脱退しています。しかしながら、翌年10月にACRは、Carol McKenzieをヴォーカルとして、シングル"I Need Someone Tonight"をリリースし、バンドを立て直します。更に、KalimaのTony Quigley (Sax)が1984年後半-1985年まで加入し、3枚のシングルを出しています。1985年に、ACRはセルフ・コンピ・アルバム”The Old And The New”を作製、1986年1月にリリースしています。ただ、1985年にはConnellがSwing Out Sisterを結成する為に脱退しています。そうして、5枚目のアルバムである本作品”Force”が1986年11月にリリースされます。この時のメンバーは、Jeremy Kerr (Vo, B, Tapes), Martin Moscrop (G, G-Synth, Trumpet), Andy Connell (Piano, Vocoder, Synth, Sampler), Anthony Quigley (Sax), Donald Johnson (Drs, Back-Vo)で、ゲストとしてTom Barnish (Trombone), Corinne Drewery (Vo), Paul Harrison (Yamaha DX7 Bass Programming)も参加しています。本作品は批評家受けも良く、翌年1月のChannel 4のTV番組The Tubeに出演して、ライブを披露しています。この後、1987年に、ACRは米国のA&M Recordsと契約し、活動していきます。今回のバイオグラフィーはここまでとします。 それで、本作品ですが、内容からすると、最早ポスト・パンクのカケラもなく、第一印象は、ファンクと言うか乗り乗りのダンス・ミュージックですね(それが良いかどうかは関係なく)。このアルバムからシングルカットされた曲”Bootsy”には、Tom Barnish (Trombone)とSwing Out SisterのCorinne Drewery (Vo)がゲスト参加しています。ACRの音楽ではホーン類がふんだんに使われており、また専属のキーボード奏者もいることで、全体としてゴージャス感に溢れてます。しかしながら、ファースト・アルバム”To Each….”を聴いたリスナーやポストパンクからのリスナーにとっては、この余りにもストレートなダンスミュージック振りはどうかとも思います。と思う反面、A4 “Naked And White”の低音シンセの音はギグっときました。また、シングルカットされたB1 “Mickey Way”のほぼインストな曲の押し寄せるグルーヴ感も堪能できます。B3 “Take Me Down”のデジタル・ファンクへの傾倒なども興味深いです。まあ、陰キャの私には、このアルバムは余り馴染めなかったのも正直な感想ですが、ダンス・ミュージック好きな方にはお勧めしますよ。きっと気にいる曲があると思います! https://youtu.be/1Qh1RKrcVUk #ACurtainRatio #Force #FactoryRecords #5thStudioAlbum #Funk #DanceMusic #JeremyKerr #MartinMoscrop #AndyConnell #AnthonyQuigley #DonaldJohnson #SwingOutSister
Funk / Dance Music Factory Records 不明Dr K2
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Joy Division “Closer”
続いて、Joy Divisionのセカンド・アルバム”Closer”をご紹介します。彼等のバイオグラフィーは続けて書いていきます。 1980年1月に、彼等は欧州ツアーを行い、次の予定を立てようとしますが、Ian Curtisはツアーの最後の2ヶ月に2回もてんかん発作を起こしています。しかしながら、彼等は、同年3月に、セカンド・アルバム”Closer”の録音を、ロンドンのBritannia Row Studiosで、Martin Hannettのプロデュースの下、開始します。仏インディーズ・レーベルSordide Sentimentalは、Joy Divisionのシングル"Licht und Blindheit"をリリースしますが、これは、A面に"Atmosphere"が、B面に"Dead Souls"が収録されています。しかしなから、不眠などの為、Curtisのてんかん発作は酷くなり、更に鬱なども引き起こし、度々、ライブの予定が組めなくなったり、ステージ上で発作を起こしたりで、その他のメンバーもCurtisのことを心配するようになります。1980年4月7日に、Curtisはフェノバルビタールの多量服用で自殺を図ろうとします。Curtisは、最早、ステージに立てない程、酷く病んでいました。その為、マネジャーのRob Grettonは、Cripsy AmbulanceとA Certain RatioのSimon Toppingに歌わせようとしますが、観客はステージにビンを投げつけたそうです。その為、Joy Divisionは、ライブのキャンセルが続き、1980年5月2日のバーミンガム大学High Hallでのライブが最後のライブとなります。そんな中で、アルバム”Closer”の方は最終段階になりますが、収録曲”Atrocity Exhibition”の最終ミックスを聴いたBernard Sumner (G)とPeter Hook (B)は、Hannettによるディレイの掛かり過ぎた出来に大いに不満でした。一方で、Joy Divisionは1980年5月に、初の北米ツアーを計画していましたし、Curtisも楽しみにしていましたが、彼の妻Deborahとの愛情は冷めており、Curtisの心はベルギー人ジャーナリスト/プロモーターAnnik Honoréに移っていたらしいです。それで、バンドが渡米するとなった日の前日に、Curtisは家に帰ってきて、Deborahに離婚を迫り、明朝、電車に乗る前までに出て行ってくれと頼みます。それで、Ian Curtisは、1980年5月18日の夜、Stroszekの映画”Werner Herzog”を観て、Iggy Popのアルバム”1977”を聴きながら、キッチンで首吊り自殺をし、Deborahは帰ってきた日に彼の死体を発見します。Ian Curtisの自殺はバンドメンバーやマネジャーに大きなショックとなります。そんな中で、同年6月には、Joy Divisionのシングル”Love Will Tear Us Apart”がリリースされ、翌月にアルバム”Closer”がリリースされました。NME誌のライターCharles Shaar Murrayは「このアルバムは、Ian Curtisにとってだけではなく、Joy Divisionにとっても重要なメモリアルだ」と評しており、本作品”Closer”は、英国アルバムチャートで6位まで行っています。Joy DivisionのドラマーStephan Morrisは、良くも悪くも、Curtisの死がバンドを推し進めたとコメントしています。そうして、残ったメンバーは、MorrisのガールフレンドGillian Gilbert (Kbd, G)を加えて、新たにNew Orderと改名して音楽活動を続けていきます。一方、その後も、Joy Divisionのアウトテイクはリリースされています。 ここまでが、Joy Divisionのバイオグラフィーとなります。それで、セカンド・アルバムでもある”Closer”の内容についてご紹介したいと思います。前回も書きましたが、私が最初に聴いたJoy Divisionのレコードがこれでした。しかし、当時は余り良い印象は無かったです。しかし、今、聴くと、そんなに「途方も無い暗さ」は感じませんが、当時は、B面、特にB1 “Heart And Soul”などの徹底したダークネスに、本作品のイメージが引っ張られたのかも?と思います。寧ろ、Hannettに寄ると思われるシンセが効果的に使われており、これは良いんじゃないかとも思います。あと、これもHannettに寄ると思われるのですが、アルバム全体に感じられる独特のリバーブ効果と言うか、「雰囲気」がジャケ写のイメージと重なって、独特のゴス感を出していますね。また、逆に、メンバーには不評だったA1 “Atrocity Exhibition”なんかのDrsやGのアレンジやA4 “Colony”のGを中心にして「走っている」曲調なんかは結構、ポストパンク的でカッコいいと思いますね。しかしながら、このアルバムを作っている時に、Ian Curtisがてんかん発作と鬱に苦しめられ、妻との離婚に悩み、自死したのだと思うと、ちょっとやり切れない感もあります。まあ、Ian Curtisの自死を”Instant myth (お手軽な神話)”と評した音楽ライターもいたのですが、それは無いだろうと思いますよ。なので、彼の遺作となったアルバムを是非聴いてみて下さい❗️ https://youtu.be/94eBRzLGYYs #JoyDivision #Closer #FactoryRecords #PostPunk #GothRock #Gothic #SecondAlbum #IanCurtis #BernardSumner #PeterHook #StephanMorris #Suicide #NewOrder
Post Punk / Goth Rock Factory Records 不明Dr K2
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Joy Division “Unknown Pleasure”
今更、Joy Divisionですか!なんて言わないで下さい。実は、私のJoy Division初体験は、セカンド・アルバム”Closer”だったんです。当時はこう言うゴスっぽい音が苦手で、その為、一気にJoy Division熱が冷めてしまったんですよ。それならばと思って、今回、リマスタリングされた再発盤のファースト・アルバム”Unknown Pleasure”を聴いてみようと思って、購入したんです。まあ、そう言う経緯もあって、今回はJoy Divisionのアルバム”Unknown Pleasure”を紹介します。私よりも詳しい方はいらっしゃるとは思いますが、先ず、彼等のバイオグラフィーを紹介します。幼馴染のBernard SumnerとPeter Hookは、1976年6月4日に、マンチェスターでSex Pistolsのライブを観て、一発で感化されてしまい、誰だってミュージシャンに成れると思い込みます。翌日、Hookは母親から£35を借りて、ベースを買い、先のライブに一緒に行ったTerry Masonとバンドを組もうとします。また、Sumnerはギターを、Masonはドラムを買います。そして、子供の頃からの友達のMartin Grestyにヴォーカルをやらないかと声を掛けますが、彼は乗り気ではありませんでした。それで、レコード店にメン募の広告を貼ったところ、Ian Curtisが反応してくれたので、オーディション無しにヴォーカリストに抜擢します。BuzzcocksのPete ShelleyとマネージャのRichard Boonは、彼等のバンド名にはStiff Kittensが良いよと助言しましたが、彼等は、バンド名をDavid Bowieの曲”Waszawa”から取って、Warsawと名乗ることにします。デビューライブは1977年5月29日のElectric Circusで、BuzzcocksやPenetrationなどの前座でした。この日の2日前にドラムはTony Tabacに代わっていましたが、音楽ライターの評判は良好でした。そして、Masonはマネジャーになり、同年6月に、ドラムはTabacから、The PanikのドラマーSteve Brotherdaleに交代しています。それで、1977年7月18日に、Warsawは5曲のデモトラックを録音していますが、Brotherdaleが余りにもアグレッシブな性格だったので、セッション後、彼を追い出しています。同年8月に、Warsawは、楽器店にドラム募集の広告を貼り、Curtisと同じ学校のStephan Morrisがドラムになります。Curtisの妻Deborahは、Morrisがドラムをやってくれたことを評価し、「これでWarsawは『完璧な家族』になった」と言っていたらしいです。それで、彼等はWarsaw Paktと言うパンクバンドと紛らわしいので、1978年初頭にバンド名をJoy Divisionに変えます。その意味は、1955年の小説「人形の家」に出てくるナチの強制収容所の性奴隷が働く部屋から取っています。1977年12月14日に、彼等はデビューEP”An Ideal For Living”を録音しており、1978年1月25日に、Joy DivisionとしてのデビューライブをマンチェスターのPip’s Discoで行います。それで、彼等は、Nolan ‘N.F.’ Porterの”Keep On Keepin’ On”のカバーを録音して、RCA Recordsにアプローチしますが、実際に関わってみると、シンセを入れろとかしつこく言われて、居心地が悪かったので、RCAからは離れていきます。その後、1978年6月に、再度、”An Ideal For Living”を録音し、リリースしますが、このEPのジャケ写にHitler Jugendの絵が使われていたり、グループ名から、彼等はファシズムに親和性かあるのでは?と推測されていました。その後、音楽TVの司会者だったTony WilsonがFactory Recordsの運営を開始し、同年10月に、Martin Hammettのプロデュースで、コンピ2枚組EPs ”A Factory Sample”をリリースし、そこにJoy Divisionも2曲収録されています。しかしながら、同年12月27日、Curtisは家からライブ会場に向かう途中で、てんかん発作を起こし、入院しますが、1979年1月13日にはNMEの表紙を飾り、同月には、John PeelがDJのBBC Radio 1の為の録音をしています。それで、Joy Divisionは、1979年4月に、Strawberry Studiosで、彼等のデビュー・アルバム”Unknown Pleasure”の録音を、Martin Hannettのプロデュースの下で行います。Hannettは彼等のライブ・サウンドを大きく変えましたが、この事について、当時、彼等は不満だったそうです(2006年には、HookはこれでJoy Divisionサウンドになって良かったと回想していますが)。1979年6月にこのアルバムはリリースされ、あっと言う間にファースト・プレス10000枚を売り切り、Melody Maker誌も「この年のデビューLPとしてベストだ!」と表しています。Joy Divisionは、同年7月20日に、Gradana TVに出演、また、9月15日にも全国放送のBBC2 “Something Else”に出演しています。同年11月には、彼等は、アルバム未収録のシングル”Transmission”をリリース、彼等の人気は確固たるものになります。ここまでが、本作品をリリースした頃までのJoy Divisionのバイオグラフィーになります。続きは、またセカンド・アルバム”Closer”の項で書く事にします。 それで、Joy Divisionのファースト・アルバム”Unknown Pleasure”の内容について書いていきます。収録曲自体はYouTubeなどで聴いていることもあって、それ程、思いがけない驚きは無かったのですが、改めて、Hannettのプロデュースが、彼等の音楽の特徴を良く捉えて、奇跡的に上手く仕上がったアルバムになったと言うことを感じました。音楽的に、彼等の曲は、ベース・ラインがほぼほぼ基本になっており、ギターも割と引っ込み気味です。それに、バリトン様の気怠いCurtisのVoが乗ると、曲が活き活きしてくると言うマジックを成していると思われます。ただし、彼等の演奏は決して上手くはありません、寧ろ下手です。しかし、そうだとしても、曲を「音楽」たらしめているのは、Hannettの手腕によると思えます。そう言う意味で、A1 “Disorder”からB5 “I Remember Nothing”まで、一種の「Joy Divisionサウンド」が完成されているのではないでしょうか? 私も、このアルバムから聴いていれば、かなりハマったのではないかとも思えますね。またこの頃のバンドに有り勝ちな、ベースを中心にしたロックと言うスタイルは、彼等が最初だったのでは?とも思えます。なので、「1979年のJoy Divisionサウンド」は当時、本当に世の中に出回っていたのだと思いますが、それをヒット曲まで練り上げた彼等とHannettのコンビは唯一無比です❗️ https://youtu.be/oo7lt0lLOvg #JoyDivision #UnknownPleasure #FactoryRecords #Remastering #Reissued #FirstAlbum #PostPunk #IanCurtis #BernardSumner #PeterHook #StephanMorris #MartinHannett #Produce
Post Punk Factory Records 不明Dr K2
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A Certain Ratio “To Each….”
発掘しました!1981年作のポスト・パンク・バンド, A Certain Ratioのファースト・アルバム”To Each….”です。今回、発掘してみて気づいたのですが、アートワークのデザインはT.G.のPeter “Sleezy” Christophersonなんですね。ビックリです。それで先ず、彼等のバイオグラフィーを紹介したいと思います。A Certain Ratio (以下ACRと表記)は1977年に英国Fixtonで、Peter Terrell (G, Electronics)とSimon Topping (Vo, Trumpet)に、Jez Kerr (B, Vo), Martin Moscrop (Trumpet, G), Donald Johnson (Drs)とMartha Tilson (Vo)が加わって、結成されたポスト・パンク・バンドです。元々は、DiscoやLatin percussionと同様にFunkからも影響を受けていました。先述のように、最初はToppingとRerrellのデュオでしたが、直ぐに、KerrとMoscropが加入し、最初の1年間はドラムレスで活動していました。ACRと言うグループ名は、1974年にリリースされたBrian Enoのアルバム”Taking Tiger Mountain (By Strategy)”の中の曲”The True Wheel”の歌詞から取られています。ACRはVU, The Pop Group, Pere Ubu, Kraftwerk, Wire, Brian Eno, Parliament, Funkadelic, Earth, Wind & Fireから影響を受けていたそうです。それで、ACRはFactory Recordsから、デビューシングル”All Night Party"を1979年9月にリリースします。そして「New Sex Pistols」として売り出し、あっと言う間に5000枚をソールドアウトしてしまいます。1979年10月1日に、彼等はJohn PeelのBBC Radio 1の為に録音をしますが、その時に、Donald Johnsonがドラムで加入しています。また、その時期にTalking HeadsのUKツアーのサポートをしており、David Byrneらにも影響を与えたそうです。1980年1日に、彼等は、カセット作品”The Graveyard and the Ballroom”をリリースしますが、これにはデモトラックとライブトラックから成るものでした。同年7月にセカンドシングルとして、Banbarraのカバー曲"Shack Up"をリリース、更に同年11月には12㌅シングル”Fight”をリリースして、英国インディーチャートで7位まで食い込みます。その後、ACRは、Occult ChemistryのMartha TilsonをVoに迎え、ToppingはTrumpetとPercussionsに専念します。6人組になって、ACRは、1981年5月に、Factory RecordsのMartin Hannettのプロデュースでデビューアルバムでもある本作品”To Each…”をリリースします。このアルバムは英国インディーチャートで1位となります。その後、セルフ・プロデュースで、シングル”Waterline”をリリースしており、本人達は満足していたようです。まあ、その後も、ACRはメンバーチェンジなどを経て、現在まで、活動を続けています(この先の活動については省略します)。 それで、本作品の内容ですが、確かにファンクのリズムやトランペットの旋律は使っていますし、ダンサブルであることは明白なのですが、それに始終せず、ぼんやりしたヴォーカルというかヴォイス、それに全体を覆うダークな雰囲気(多分、エレクトロニクスやプロデュースによるものなのでしようか?)が異様なポスト・パンクの音を体現しているように感じます。それと比較的短い曲とやや長尺な曲が入り組んでおり、長尺な曲では、特に異様な実験性すら感じますね。特にB面では、熱病に侵された頭で、意味もなく踊っているような、一種、病的なほどのダークネスを感じます。その意味では、まだThe Pop Groupとかの方が健全に聴こえますね。多分、それは、プロデューサーのMartin Hannetteが「第二のJoy Division」にしたかったのでは?と思います。ただ、異様なファンクと言うかポストパンクなので、聴く際にはお気をつけて❗️ https://youtu.be/ojR8yiKwRfA #ACertainRatio #ToEach…. #FactoryRecords #FirstAlbum #StudioRecording #PostPunk #Funk #Experimental #Darkness #Disco #LatinPercussion #PeterTerrell #SimonTopping #JezKerr #MartinMoscrop #DonaldJohnson #MarthaTilson #MatinHannett
Funk / Post Punk Factory Records 1800円?Dr K2