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伊奈波神社
主祭神である五十瓊敷入彦命は、第十一代垂仁天皇と日葉酢姫命の長男であり、第十二代景行天皇の兄にあたります。 『古事記』『日本書紀』によると命は父である垂仁天皇から弓矢を賜り武事をおさめ、また勅命により河内、大和、摂津、美濃などの諸国を開拓され、八百もの池溝をひらかれました。これにより、農事が豊かになり、天下が泰平になったと伝えています。更に、物部十千根命の協力の下、石上神宮に神剣千口を納め有事に備える等、農耕や軍事にご活躍されました。 伊奈波神社古縁起では景行天皇の勅命により、「金石」という鏡を破る不思議な神石が命によって奥州から美濃に運ばれたと記されています。この「金石」が一夜にして山となり、そこへ命と王子達がお隠れになりました。この山が「金石」によってできた事から「金山」と呼ばれ、後に「稲葉山」となりました。命が薨去なされた翌年(景行14年)に、命のご遺徳を偲び、忠臣の竹内宿禰が稲葉山近くの丸山の地に命をお祀りになられ、天文8年に斎藤道三が稲葉山を居城とするにあたり、現在の稲葉山の麓の地に奉遷されました。 当地は揖斐・長良・木曽の三川に囲まれ、水の恩恵に浴していますが、一方では洪水等の水害に悩まされてきました。稔り豊かな土地を願う人々にとって、水を制するには金を以って当てるという陰陽五行説より、周囲には水・金に関する地名が多くあり、当社は水防の神としても信仰されてきました。 #伊奈波神社 #岐阜 #御朱印
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真清田神社
当社は、平安時代、国家から国幣の名神大社と認められ、神階は正四位上に叙せられ、尾張国の一宮として、国司を始め人々の崇敬を集めました。 鎌倉時代には、順徳天皇は当社を崇敬され、多数の舞楽面をご奉納になりました。 その舞楽面は、現在も、重要文化財として当社に保存されています。 江戸時代には、徳川幕府は神領として、朱印領333石を奉りました。また、尾張藩主徳川義直は、寛永8年(1631)当社の大修理を行う等、崇敬を篤くしました。 明治18年には国幣小社、大正3年に国幣中社に列し、皇室国家から厚待遇を受けました。 戦後は、一宮市の氏神として、一宮市民はもちろん、尾張全体及び近隣からも厚い信仰心を寄せられ今日に至っています。 尚「一宮市」の名称も当社が尾張国一宮であることに由来しており、全国で「一宮」の名称を冠する自治体は1市6町に及びますが、市制のひかれている自治体は当社の鎮まります一宮市のみとなります。 #真清田神社 #尾張国一ノ宮 #愛知 #一宮 #御朱印
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平等院 世界遺産
永承7年(1052)、時の関白藤原頼通が、父 道長より譲り受けた別業を仏寺に改め、平等院を開創しました。 この年は末法初年に当たるとされ、末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していました。その翌年の天喜元年(1053)には阿弥陀堂(鳳凰堂)が落慶し、堂内には、平安時代の最高の仏師定朝によって制作された丈六の阿弥陀如来坐像が安置され、華やかさを極めたと言われています。 約1000年前に建立された建造物や仏像が今に伝えられ、世界遺産にも登録されております。 #平等院 #平等院鳳凰堂 #京都 #宇治 #御朱印
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生田神社
伊勢神宮内宮にお祀りされる天照大神あまてらすおおみかみの和魂にぎみたま あるいは妹神と伝えられ、稚くみずみずしい日の女神様であり、 物を生み育て万物の成長をご加護する神様として、ご崇敬を集めています。 #生田神社 #兵庫 #神戸 #御朱印
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日吉大社
比叡山の麓に鎮座する当大社は、およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された、全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮です。平安京遷都の際には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師が比叡山に延暦寺を開かれてよりは天台宗の護法神として多くの方から崇敬を受け、今日に至っています。 #日吉大社 #滋賀 #比叡山 #御朱印
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日光東照宮
日光東照宮は、元和(げんな)3年(1617)徳川初代将軍徳川家康公を御祭神におまつりした神社です。家康公は、天文(てんぶん)11年(1542)12月26日三河国岡崎城(愛知県岡崎市)でご誕生になり、幼少より苦労を重ね戦国乱世を平定され、幕藩体制を確立されました。そして、世の中に秩序と組織を形成し、学問を勧め産業を興し、江戸時代260年間にわたる平和と文化の礎を築き、近代日本の発展に多大な貢献をされました。 宮号宣下(ぐうごうせんげ) 宮号宣下(ぐうごうせんげ) 家康公は、元和2年4月17日駿府城(静岡県静岡市)で75歳の生涯を終えられ、直ちに久能山に神葬されました。そして御遺言により、一年後の元和3年4月15日、久能山より現在の地に移されおまつりされました。正遷宮は、同年4月17日二代将軍秀忠公をはじめ公武参列のもと厳粛に行われ、ここに東照社として鎮座しました。その後正保(しょうほ)2年(1645)宮号を賜り、東照宮と呼ばれるようになりました。 尚、現在のおもな社殿群は、三代将軍家光公によって、寛永(かんえい)13年(1636)に造替されたものです。 #日光東照宮 #栃木 #徳川家康 #御朱印
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八坂神社
平安京遷都(七九四)以前より鎮座する古社で、「祇園さん」と呼ばれ親しまれております。 主祭神の素戔嗚尊(すさのをのみこと)はあらゆる災いを祓う神様として信仰されており、境内には数多くの神様をお祀りしております。 全国約二、三〇〇社鎮座する八坂神社、祇園信仰神社の総本社です。 #八坂神社 #京都 #祇園 #御朱印
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鶴岡八幡宮
ご鎮座八百年余、鎌倉と共に 武家社会が誕生した鎌倉時代。 かつて、鎌倉の地は国の中心でした。 その当時、「鎌倉の守り神」、「武士の守り神」として人々の精神のよりどころとなっていたのが鶴岡八幡宮です。この場所を起点に、鎌倉では今に残る多くの歴史や文化が生まれ、武士の都が栄えていきました。 #鶴岡八幡宮 #神奈川 #鎌倉 #御朱印
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上賀茂神社 世界遺産
通称「上賀茂神社かみがもじんじゃ」「上社かみしゃ」の名で親しまれる神社です。 御祭神は賀茂別雷大神かもわけいかづちおおかみ。 国宝2棟、重要文化財41棟を含む広大な敷地は全てユネスコ世界文化遺産に登録されています。 #上賀茂神社 #京都 #世界遺産 #御朱印
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手力雄神社
社伝には5世紀末期ごろ中里(今の岐阜県各務原市那加地区)を支配していた豪族により、山の中腹に磐座(いわくら)祭祀として神様を祭ったのが始まりとされます。 美濃國神明帳に、真幣明神(みてぐらみょうじん)のご神名が見られお祀りされていたご祭神がそれと見られる。 主祭神手力雄神は、古くは佐良木郷八ヶ村の山中に祀られていたのを、後に現社地に奉還され佐良木郷の産土神として崇敬されたと伝わります。 672年、壬申の乱で功績のあった村国男依が各務を領地として与えられ各務・鵜沼地区を支配したのち、各牟氏がこの地域を支配することとなります。 室町時代、佐良木郷八ヶ村の氏子を中心に崇敬を受け、薄田(すすきだ)源左衛門尉(げんざえもんのじょう)藤原祐貞(ふじわらすけさだ)が※梵鐘 文明7年(1475年)・狛犬 文明9年(1477年)を奉納し厚く崇敬したと伝わっています。(※現在、笠松無動寺所有 県重文指定)戦国時代、永禄10年(1567年)織田信長公が岐阜城攻略のおり当社に戦勝祈願をし、祈願成就の後、各務野原近里(自衛隊岐阜基地、市役所周辺より尾崎団地までの現在の那加地区)1300町歩を社領に付しました。また、宝物等を寄進し社宝また文化財として今日に至ります。 江戸時代に入り旗本坪内氏や徳山氏等諸氏の崇敬も深く数百年来八ヶ村氏子等により神事・祭礼が変わりなく奉仕されてきました。社殿は1674S年以修復・葺替を繰り返し今日まで三百年余前の姿を保っております。 #手力雄神社 #岐阜 #各務ヶ原 #織田信長 #御朱印
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大神神社
ご祭神の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)がお山に鎮まるために、古来本殿は設けずに拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し三輪山を拝するという原初の神祀りの様を伝える我が国最古の神社です。 #大神神社 #奈良 #三輪山 #御朱印
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吉田神社
清和天皇の御代 貞観元年4月(西暦859年)に中納言藤原山蔭ふじわらやまかげ卿が京の都の鎮守神として吉田山に勧請し創建されました。 この鎮座地である吉田山は、古来より「神楽岡」(神が集いし岡)と呼ばれ親しまれている聖地であり、現在でもその秀麗な山容は東山三十六峰の12峰目に数えられております。 以来、皇室の崇敬極めて厚く、特に神職 吉田兼倶が吉田神道を創設してからは、神道界に絶大なる権威を得て隆盛を極めた社です。 旧社領590石 #吉田神社 #京都 #御朱印
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平安神宮
平安神宮は平安遷都1100年を記念して、明治28年に遷都のおや神様である第50代桓武天皇をご祭神として創建されました。 当時、京都の衰退ぶりは目を覆うものがありました。幕末の戦乱で市街地は荒廃し、明治維新によって事実上首都が東京へ遷ったことは人々の心に大きな打撃を与えました。 その状況下で京都を救ったのは、京都復興への市民の「情熱」と全国の人々の京都に対する「思い入れ」でした。数々の復興事業を展開し、教育、文化、産業、生活などすべての面において新しい京都が模索され、同時に古き良き京都の維持継承に力が注がれたのです。 これらの熱意と一連の町おこし事業が見事に結実して、平安神宮が創建されました。 千年以上も栄え続けた雅やかな京都を後世に伝えるために、京都復興にかけた多くの人々の遺志を後世に伝えるために、四海平安の祈りを込めて創建されたのです。 その後、皇紀2600年にあたる昭和15年には、市民の懇意によって平安京有終の天皇、第121代孝明天皇のご神霊が合わせ祀られ、「日本文化のふるさと京都」のおや神様として広く崇敬を集めることとなりました。 #平安神宮 #京都 #御朱印
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朝日神社
朝日神社は、旧記(麻布台懐古碑)によれば旧暦天慶年中(西暦940年)草創と伝えられております。 はじめ、市杵島姫大神(弁財天)を祭り、当地の鎮守の社として広く庶民に尊信されて居りました。 その後、伝うところによれば、大和の武将 筒井順慶の姪で、のちに織田信長の室となりました 朝日姫(清心尼)様が、渋谷から長者ヶ丸(現広尾辺)を過ぎる途中、草むらに光輝くものを見つけ、近づき凝視してみたところ、稲荷の神像と観音の像を見つけました。 草むらより持ち帰った観音像は専称寺に祀り、稲荷の神像は当社に祀られ、弁財天と合祀して【日ヶ窪稲荷】と呼ばれるようになりました。 その後、明和年間に【朝日稲荷】と改称され、益々尊敬する人々多くなり、隆昌を極め、明治28年【朝日神社】と改称し、現在に至ります。 #朝日神社 #東京 #六本木 #御朱印
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紀州東照宮
「和歌の浦には名所がござる、一に権現」とうたわれたのが、この東照宮。古くより「権現さん」の愛称で親しまれ国の重要文化財としても指定されている徳川家ゆかりの神社。 ご本殿は侍(さむらい)坂とよばれる一〇八段の石段の上にあり、精巧な彫刻と狩野、土佐両派の絵に よって荘厳された豪華さは、まさに「関西日光」の名にふさわしいたたずまい。また楼門の朱塗り極彩色は、関西随一といわれています。 #紀州東照宮 #和歌山 #徳川 #御朱印
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