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柳家三亀松「續廓情調」ポリドール 3512
コロムビアの「廓情景」はポリドールでは「廓情調」(画像 1932年2月新譜)のタイトルでレコード化された。ネタの内容は同じ。ほぼ同時期のレコードなので題名の微妙な違いで差別化を図ったのだ。摘発が徹底したのか、コロムビア、ポリドールとも「廓情景」「廓情調」とその続編は手に入れづらい。
ポリドールjazzrou
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柳家三亀松「廓情景」コロムビア 26338
三亀松のお得意ネタ、廓ものはレコード検閲が開始される前に軒並み取り締まられた。コロムビアの「廓情景」(画像 1932年4月新譜)、「続廓情景」はその代表的な例。
コロムビアjazzrou
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Pathé, 12inch
同掲のPathé-artと同時期の汎用スリーブ。Pathé-artが廃止されたあとに採用されたのではないだろうか。灰青色のやや薄めな紙質。アール・デコなレタリングはPathé-artに共通している。
78’s sleeve Pathéjazzrou
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Pahé-art
1930年前後に仏パテ社が発行した高級レコードPathé-artの専用スリーブ。華やかなアール・デコのレーベルと同様、フランソワ=ルイ・シュミエ Francois Louis Schmied (1873-1941) の意匠であろう。通常のパテ盤用スリーブよりもやや厚みのある紙質。色合いは深沈とした灰緑色で、カラフルなレーベルを引き立てている。
78’s sleeve Pathé, c.1930jazzrou
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Emil von Sauer “La Campanella”
この収蔵庫ではお馴染みになってしまったPathé-art盤に新たな一枚を加えた。アントン・ルビンシュタインに師事し、リストより多大な影響を受けたピアニスト、エミル・フォン・ザウアーのパテ録音。それもリスト編曲の「ラ・カンパネラ」という歴史的録音である。彼は師リストのこのアレンジをパテにしか残さなかった。そのエレガント極まりない演奏はリストの速度とペダリングを21世紀の現代に伝えている。美しいタッチ、メカニカルな技巧も完璧である。
piano solo Pathé, 1930jazzrou
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柳家三亀松「廓情緒新宿の巻」ツル 6241/42
柳家三亀松は大量のレコード録音を行なっているのでディスコグラファー泣かせだ。三亀松の売れ筋レコードはけっこう残っているのに禁止処分の下ったレコードにはなかなかお目にかかれないのは、レコード検閲の成果だろう。「廓情緒新宿の巻」(1932年6月新譜)は1936年8月12日に製作停止となった。三亀松ものでは珍しい2枚組である。
ツルjazzrou
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柳家三亀松「海千山千」ニットー 5669
柳家三亀松の「海千山千 (籠絡戦術」(1932年6月新譜)は三亀松お得意の粋客と置き屋の女将とのやり取り芸。同種のネタを何種類もレコード化している。同じネタをタイトルだけ変えて「新作だ」と言って吹き込むとレコード会社が喜ぶからだ。 レコード検閲の初期は、新譜のチェックと並行して検閲開始前に発行された膨大な旧譜の検閲も行われ、問題のあるレコードは製作停止処分となった。三亀松のレコードは全般によく売れたのだが、処分の下ったレコードはやはり現存数が少ない。「海千山千」も三亀松レコードではちょっとしたレア盤だ。
艶話 ニットーjazzrou
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柳家権太楼「いれ眼」太陽 2047
豪放な芸風で人気のあった柳家権太楼の「いれ眼」(1932年)は初出の太陽盤は時代がよかったのか問題なく流通していたが、廉価レーベルのヤヨイで再発する際にネタと表現が下品なあまり、1934年4月24日に発禁となった。権太楼がツルに吹き込んだ「義眼」も同じ理由で製作停止となった。
落語 太陽jazzrou
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リーガル千太・万吉「朗らかな兵隊 (洗濯の巻)」リーガル 66242
リーガル千太・万吉の「朗らかな兵隊 (洗濯の巻)」(1933年11月新譜)はこのコンビの唯一の禁止例。 軍人勅諭「一つ軍人は忠節を尽すを本分とすべし」を「一つ軍人はチュウチュウタコカイナ」などと卑俗な語句で嘲弄した、という理由によって治安警察法で取り締まられた上にレコード検閲で製作停止処分となった。B面の該当箇所を吹き込み直した改訂盤(67488)が作られた。
万才 リーガルjazzrou
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藤村梧朗・丸山夢路「(いやじゃありませんか)ほっときなさい」トンボ 15463
ジャズ漫謡「ほっときなさい」はトンボで上野・浅草篇(15463)、銀座・新宿篇(15479)、系列レーベルのホーオーで東京篇(P82)、大阪篇(P83)、さらにOEMレーベルのフタミやセンターで乱発したのでレコード検閲もそのややこしさに翻弄された。いずれも製作停止処分となった。
ジャズ漫謡 トンボjazzrou
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ハート美人レコードスリーブ
柳家三亀松「箱根の一夜」の専用スリーブ。中身のレコードは稀に出るが、このスリーブが希少品。
ハート美人jazzrou
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柳家三亀松「箱根の一夜」ハート美人
これはレコード検閲制度が始まる前の禁止レコード。コンドームの大手メーカー、ハート美人が新聞紙上で都々逸を懸賞募集して入選作で制作した販促レコードである。三亀松が「人の句」と「十客の句」を折り込んで得意の色っぽい声色で新婚夫婦の夜を演じたが、艶っぽすぎたのが仇となってあえなく1934年7月に禁止された。柳家三亀松はレコード検閲開始とともにレコードの多くが取締られるという発禁ホルダーであった。
音曲漫談 ハート美人jazzrou
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桂孤月・宇野勝「製糸情話」ニットー 5375
初出は画像のレコードで1931年2月新譜(画像)だが、これを1935年に再発する際(ニットー S1002)に恋愛至上主義の歌詞が問題となり発売禁止処分となった。製糸小唄は書生節として複数のレーベルでレコード化されたが、この発禁の煽りをくって画像の初出盤や他社の同曲レコードも製作停止処分となった。
流行歌 ニットーjazzrou
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砂川捨丸・加藤瀧子「男女同権」オリエント 2798
砂川捨丸の鉄板ネタ「男女同権」は捨丸・加藤瀧子のオリエント盤(画像)、捨丸・中村春代のリーガル盤、捨丸の弟子の捨次・歌江のタイヘイ盤がリリースされたが、その全てが1935年に製作停止となった。このオリエント盤は大正期に吹き込まれ昭和期までプレスされ続けた息の長いヒット盤。オリエントは1932年に閉鎖されたが、レコードはその後も出回っていたのだろう。
萬歳 オリエントjazzrou
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日本パルロフォン
日本パルロフォン(パーロホン)は1929年5月新譜から1933年8月新譜までリリースしたレーベル。正式名はイリス商会パルロフォン部。工業機器の輸入会社だったイリス商会が設立した。設立当初は「パルロフォン」表記だったが、1930年にはパーロフォンを経て「パーロホン」表記に変わった。 このスリーブは設立当初の意匠。
1929年jazzrou