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月報 キング 1970年代
キング・レコード月報1970年代です。 1971年11月号が「上」と「下」の2冊に分かれています。これは発売日パターンの変更によるものと説明されています。 ●11月上 10/1 , 10/10 , 10/20 発売(従来パターン) ●11月下 10/25 , 11/5 , 11/10 発売(新パターン) 1970年3月号 レット・イット・ブリード/ローリング・ストーンズ 1970年8月号&1971年1月号 ベイビー・ブラザーズ 後にフィンガー5となるグループです。 デビュー曲は「私の恋人さん」。 第3弾のB面曲の「僕たちの秘密」は、デビュー前の谷山浩子さんの作品です。 1970年12月号 カーペンターズの国内デビュー・アルバムです。 シングル盤の「涙の乗車券」,「遙かなる影」は既に発売されていました。 1970年8月号&1971年3月号 ダニエル・ビダル・ゴールデン・プライズ 第1集と第2集 デビュー曲「天使のためいき」の時は、シリアスな路線に行くのかと思いましたが、完全にアイドルとなりました。 もともときちんと歌える人でしたし、優れた作品にも恵まれました。 1971年7月号 さくら貝の歌/倍賞千恵子 日本の叙情歌のアルバムを作るに当たって、最適な人選だったと思います。 1971年11月上 童夢/ムーディー・ブルース 独特のサウンドを持ったユニークなグループでした。 1972年1月号 月報作成を中止する旨の案内が載っています。 #アナログレコード #レコード資料
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月報 キング 1967〜1969年
キング・レコードの月報1967年〜1969年分です。 67年1月号には指揮者クラウディオ・アバドのデビュー盤(ウィーン・フィルとのベートーヴェン第7交響曲)が紹介されていますが、この時点で既に大きな注目を集めていたのが判ります。 67年8月号にはプロコル・ハルムの「青い影」が掲載されています。 この曲については、モノ日記でも音楽的ルーツ等を探っていますので、よろしければ御覧になってください。 https://muuseo.com/chirolin_band/diaries/2 67年10月号には、寺内タケシとバニーズによる「レッツ・ゴー運命」の登場です。先日お亡くなりになられましたが、寺内さんの長いキャリアの中でもひとつの頂点となるアルバムだったのではないかと思います。 ピンキーとキラーズのデビュー曲「恋の季節」は意外とひっそりと登場しています。(68年7月20日臨発) 68年10月号にはA&MのCTIシリーズ(Creed Taylor Incorporated)が大きくとりあげられています。ウェス・モンゴメリーのオクターブ奏法など、かなり話題になりました。 ビリー・バンバンのデビュー盤「白いブランコ」は69年2月号に掲載されています。 69年10月号にはストーンズの「ホンキー・トンク・ウィメン」が紹介されています。(69年8月20日発売) ファンの方には怒られてしまいそうですが、ストーンズはビートルズが「サージェント・ペパーズ〜」を出せば「サタニック・マジェスティーズ」を出す、ビートルズが「All You Need Is Love」を出せば「We Love You」を出す等、いつも後を追っているバンドと思っていました。が、「ホンキー・トンク・ウィメン」が出た時は「完全に負けたな」と感じました。この時代のビートルズは方向性を見失ってヘロヘロ状態(と私は感じていました)だったのに対し、ストーンズは自分たちのアイデンティティをしっかり確立していたからです。何よりも音楽が完璧にロックンロールしていました。ビートルズのことを悪く言いたくはないのですが、隙だらけの「ゲット・バック」などよりずっと良いと認めざるを得なかった1枚でした。実は少し前の「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」辺りから「おっ」とは感じていたのですが…… #アナログレコード #レコード資料
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LP初期のジャケット その8 クーベリックの新世界
ラファエル・クーベリック指揮ウィーン・フィルによるドヴォルザークの「新世界より」です。 国内ロンドン盤で、1957年7月10日に臨時発売されました。 初出時の定価は ¥2,300 でした。 日本語解説が裏ジャケットに印刷されており、見開きの内側に英語解説が掲載されています。 このレコードも帯が残っていました。収録曲の日本語表記と、評論家による演奏評となっています。 #アナログレコード #ラファエル・クーベリック #ウィーン・フィルハーモニー
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LP初期のジャケット その2 ストラヴィンスキー/ペトルーシュカ アンセルメ
ストラヴィンスキーの三大バレエのひとつです。 主人公「ペトルーシュカ」は魔力によって命を与えられたわら人形ですが、最後に殺害されてしまいます。 アンセルメ盤(後のステレオとは別録音のモノラル盤)のジャケットには3体の人形が描かれていますが、中央が「ペトルーシュカ」、右側がペトルーシュカが想いを寄せている「踊り子」、左側がペトルーシュカを殺害する「ムーア人」を現していると思います。 最低限の知識を持ってジャケットを眺めると、ペトルーシュカの無力感や無念さが伝わって来るような気がします。 外観上輸入盤のようですが、見開きジャケットの内側に日本語の解説があります。 LPの取扱い方やカッティング・カーヴに関する説明書きがあるのもこの時代特有のものです。後者に関する深掘りは避けますが、RIAA カーヴに統一される以前のレコードは、各社各様のイコライザーが必要でした。管球式の古いプリ・アンプなどは、何通りものポジションを用意したものがありました。 まぁ、余り神経質にならずに、トーン・コントロールで「自分が心地良い」と感ずるように調整すればいい、という考え方もあります。 私などは、それでいいと思ってます(笑)。 #アナログレコード #ストラヴィンスキー #ペトルーシュカ
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月報 キング 1964〜1966年
1964年5月号には、ローリング・ストーンズの国内初シングルが紹介されています。レノン=マッカートニー作品ですね。 ロンドン・レーベルのメーカー直輸入盤第一弾も1964年からのようです。 1964年9月号にはアップルジャックスの「夢を追って(Like Dreamers Do)」が掲載されていますが、これもレノン=マッカートニー作品です。ベースが女性のグループでしたが、60年代に聴いた記憶は全くありません。 1965年3月号には安田章子さんが「モダンな流行歌でデビューする青春のアイドル」として紹介されています。童謡歌手からいきなり「夜明けのスキャット」になったわけではないということですね。 当時のキング・レコードは、イタリアのリコルディとCGDを抱えており、カンツォーネが大きな強みだったと思います。 1965年4月号には、第15回サンレモ音楽祭の入賞曲がずらりと並べられています。ジリオラ・チンクエッティ,ボビー・ソロ、ウィルマ・ゴイクなどの中に伊東ゆかりさんのレコードも混ざっています。 「ユア・ベイビー」は、スパイダースの「フリフリ」(65.5.10臨発)と共に、日本のロック・バンドの草分け的な楽曲だと思います。ブルー・ジーンズ等のエレキ・バンドは既に存在していましたが、基本はインストでしたし、専属歌手とかでなく、バンドのメンバーだけで歌って演奏する(ビートルズ・スタイル)というのは、珍しかったのです。加瀨邦彦さんのオリジナル曲というのもポイントが高いところ。後にワイルド・ワンズとして再録音しましたが、オリジナルを超えるところまではいきませんでした。(これは個人的な感想です) 1966年12月号には楽劇「ワルキューレ」が紹介されていますが、これにより「ラインの黄金」から始まった「ニーベルングの指環」プロジェクトが完結することになります。 #アナログレコード #レコード資料
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ベンチャーズ・ドラマー 首のすげ替え(!?)
1.The Ventures US DOLTON BLP-2004 1961.6.2 2.霧のカレリア/ベンチャーズ・レア・コレクションズ 日KING K18P-12/13 1980.7.5 1.はアメリカでの 2nd アルバム。国内でも LLP-80762 として 1973.5.20 に発売されています。 2.はキングに移ってからの2枚組コンピレーション盤。 ドラマーの顔が…… もちろん1.がオリジナルでドラマーはハウィー・ジョンソン、2はそれを強引にメル・テイラーにすげ替えたもの。 内容的に見ると2はキング時代に発売されたLPの中で最も重要なもので、「本国ではシングルのB面、日本ではカップリング変更のため未発売」等、文字通りレア・トラックを集めた「編集方針のよく判る」コンピレーション盤。だが、ドラマーすげ替えの「編集方針」は???
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月報 キング 1960〜1963年
1960年に入り、4月号から新レーベル「ヴァンガード」が登場します。 1961年7月号には、邦人ピアニストの田中希代子さんの国内ステレオ盤が紹介されています。この方は1950年代に国際コンクールに入賞し、その後主に海外で活動された方ですが、難病(膠原病)のためキャリアの半ばで引退を余儀なくされてしまいました。大変貴重なレコードです。 1962年2月からウェストミンスター・レーベルが加わります。 指揮者イシュトヴァン・ケルテスのデビュー・レコード(ドヴォルザークの「新世界より」)は、1962年5月号に掲載されています。この時代は、レーベルによる音質の違いが大きく、英デッカの録音は優秀で、高弦がクリアに抜け切っていく様が「ロンドン・ハイ」などと言われていました。ケルテスのレコードも、指揮者の能力はもちろんですが、ウィーン・フィルという最高級のオケを使い、録音が英デッカということで、大変聴き映えのする出来になっていました。 1962年2月10日にザ・ピーナッツの「ふりむかないで」が、翌1963年3月20日には臨発として「恋のバカンス」が発売されています。この辺りが純国産ポップスの草分け的な楽曲になると思います。当時、歌謡曲・演歌系から外れた領域をレパートリーとする場合、どうしても洋楽のカバーが中心となり、独自性を打ち出すのが難しい時代でした。その中でピーナッツの場合は、ご本人たちの歌唱力やセンスはもちろんですが、岩谷時子&宮川泰というコンビによって強力なオリジナル曲が提供されていたこと、これが大変重要な武器になってキャリアを築いて行けたのだと思います。63年11月の「東京たそがれ」は、後に「ウナ・セラ・ディ東京」となる曲です。 1963年7月号では「セブン・シーズ」が新レーベルとして紹介されていますが、それまでキング・インターナショナルとして発売されていた様々なレーベルの窓口を一本化するものでした。これに先立って1963年2月には「ロンドン」以外のレーベル別の規格番号体系を整理し、「HIT」シリーズが登場していました。 クナッパーツブッシュ/ウィーン・フィルによるワーグナー、私が聴いたのはもっと後の時代の再発盤でしたが、正にワーグナー開眼となったレコード。ここに収められている楽劇「ワルキューレ」の大詰めの音楽が正に衝撃的な演奏でした。 #アナログレコード #レコードリスト
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月報 キング 1950年代
1950年代初頭のキングのレーベルは、邦楽の KING と洋楽の CAPITOL のみでした。その後、CAPITOL は東芝に移るのですが(56年12月)、これは米CAPITOL がEMI傘下に入ったことによります。ここだけ切り取ると EMI の成長戦略のように見えますが、実際はそうではありません。その背景として、米コロムビアとEMI(英コロムビア)の契約解消がありました。これは、LPのパイオニアである米コロムビアが、LPに対して極めて消極的で腰の重い EMI に見切りを付けたというのが実態。EMIはやむなくEMI(US)LTD.を設立し、ANGEL レーベルで英コロムビア原盤を発売することになります。更にその後、米RCA が EMI(HMV)との契約を破棄します。EMI のCAPITOL買収はこの対抗措置だったのです。 キングにとって CAPITOL に替わる切札が LONDON(英DECCA)でした。英DECCA は EMI とは対照的に LP に積極的で、録音の良さと相まって急成長していましたので、キングの判断は実に的確だったわけです。1956年はモーツァルトの生誕200年に当たり、56年4月新譜には、モーツァルトの三大オペラの全曲盤がまとめて掲載されています。計画的に準備されていなければできない芸当で、この時点でも度肝を抜かれた方が多かったと思いますが、後にステレオ録音だったことが判って(1955年)もう一度びっくり! 邦楽では、1954年1月新譜として、三橋美智也さんのデビュー曲が掲載されています。(酒の苦さよ) 邦楽のEP盤(45回転の4曲入り)は、江利チエミ,ペギー葉山、高英男さんらの看板スターですが、新たに吹込直したようです。 1957年には MERCURY レーベルの販売を開始し(これはキングにとって喜ばしいことでしたが、移行元メーカーにとっては大打撃でした。その話は何れまた…)、1958年には ABCパラマウントが加わり、第1回新譜として「ダイアナ」(ポール・アンカ)が発売されます。画像はポール・アンカが来日し、日本でのレコーディングを伝える1958年12月号です。 #アナログレコード #レコード資料
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