-
2019年 横浜DeNAベイスターズ 平成最後の日 実使用球
2019年4月30日横浜対ヤクルト戦の実使用球となります。 この日は平成最後の日であり、この試合球は平成最後のプロ野球公式戦実使用球となります。 また2019年は、横浜DeNAベイスターズの前身である大洋ホエールズの球団創立から70周年であるため、この年のみ限定でホーム試合球に70周年ロゴがプリントされました。
プロ野球公式球 ミズノ 横浜DeNAベイスターズauthentic-baseball-collection
-
ダリル・スペンサー 阪急ブレーブス サイン入りハンカチ
ダリル・スペンサー選手のサイン入りハンカチとなります。
サイングッズ 阪急ブレーブスauthentic-baseball-collection
-
小池唯夫 パシフィック・リーグ会長 サイン色紙
小池唯夫パシフィック・リーグ会長のサイン色紙となります。 2001年1月から会長に就任。 日本ハムファイターズ北海道本拠地移転問題の解決や、2004年から始まったプレーオフ制度の導入、オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併に端を発した球界再編問題への対応などに尽力した。 2008年12月に任期満了で退任 2017年11月30日午後5時31分、肥大性心筋症のため死去。85歳没。
サイン色紙 パシフィック・リーグauthentic-baseball-collection
-
苅田久徳 東急フライヤーズ時代 ブロマイドサイン
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%85%E7%94%B0%E4%B9%85%E5%BE%B3
東急フライヤーズauthentic-baseball-collection
-
Lot No.2 1950年(昭和25年) 大阪タイガース サイン帳
ある日、とある詩人の物として入手した古いサイン帳。 記載されているサインを見ると中にはタイガースの文字が…。しかも見覚えがよくあるサインも何点か記載されている。 まず、手掛かりとなるのはサイン横に記載されている大阪タイガースの文字。 現在の阪神タイガースが、大阪タイガースを名乗っていたのは、球団創設の1935年からフランチャイズ制が導入される前年の1960年まで。 (内、1940年9月下旬~44年まで阪神軍。44年、45年産業軍との連合では猛虎) そして何より強力な手掛かりは、写真2枚目左に展示しているタイガースNo.9 松木謙治郎のサインである。 球団創設の翌年1936年に入団し、初代主将としてタイガースを牽引した松木だが、選手としては、1936年~1941年と1950年、51年しかプレーしていない。その内、監督兼任としてプレーしていた40年、41年と51年は当時の監督番号である背番号30を身に付けている。 つまり、松木が背番号9を着けていたのは、36年~39年と50年の僅か5年間に限られる。 そこで、戦後の1950年に当たりをつけ、虎の巻である写真3枚目、1950年(昭和25年)の野球少年十一月号附録、二大リーグ全選手サインブックで各サインを確認してみると…。 写真2枚目左から順に 松木謙治郎 1B 監督兼任 背番号9 藤村富美男 3B 背番号10 徳網茂 C 背番号13 千場一夫 P 背番号8 谷田比呂美 C 背番号12 白坂長栄 SS 背番号17 櫟信平1B 背番号16 駒田桂二 P 背番号4 阪田正芳 SS 背番号33 野崎泰一 P 背番号3 渡辺博之 RF 背番号24 中でも最後の写真左側に展示している渡辺博之のサインは、初見では判読不可能と思われるような筆跡だが、こちらは鏡文字で書かれており、右側の様に反転すると渡辺博之と読める様になっている。 上記11名の他に2名。おそらく奥村高明と塩見栄一ではないかとおぼしきサインが本帳には記載されているが確認が取れないため、今回は展示を見送った。 両氏のサインについてお持ちの方がいらっしゃれば是非、ご教示いただけたら幸いです。
サイン帳 大阪タイガースauthentic-baseball-collection
-
橋戸 信 サインボール
橋戸 信(はしど しん/まこと) 1879年(明治12年)3月10日-1936年(昭和11年)3月23日) 投手/遊撃手 ペンネーム「橋戸 頑鉄」(はしど がんてつ) 東京府芝区(現、港区)出身。青山学院中学校野球部ではエースを務め、卒業後の1901年(明治34年)、東京専門学校(現・早大)に入学。 野球部部長・安部磯雄の説得により野球部に入部。早大野球部2代目主将となる。 1903年(明治36年)、慶應義塾大学野球部寮を訪問して「挑戦状」を差し出し、早慶戦を実現。今日の早慶戦および六大学野球の起源を築いた。 1907年(明治40年)に大学を卒業後は、アメリカに渡り、約4年間暮らす。帰国後は萬朝報を経て1916年(大正5年)、大阪朝日新聞社に入社。全国中等学校優勝野球大会(現・全国高等学校野球選手権大会)の運営に関わった。 1920年(大正9年)には押川清、河野安通志らと日本運動協会(日本初のプロ野球チーム)を設立し、無限責任社員3人のうちの1人となる。 1925年(大正14年)、東京日日新聞(現・毎日新聞)に入社。アメリカのフランチャイズ制度を参考に、日本の都市を代表するチームを競わせる大会の実施を発案。1927年(昭和2年)に都市対抗野球大会の開催にこぎつけた。 1936年(昭和11年)、肝臓ガンで入院し、3月23日に急性肺炎を併発して死去。57歳没。墓所は東京都港区芝の実家安楽寺。 橋戸の死去を受けて1936年の都市対抗野球大会では、橋戸の功績を讃え、大会最優秀選手に与えられる賞として「橋戸賞」が設置された。 1959年(昭和34年)に創設された野球殿堂において、特別表彰により第1回の殿堂入りを果たしている。 日本野球の礎となる六大学野球、全国高等学校野球選手権大会(甲子園)、日本初のプロ野球チーム(日本運動協会)、都市対抗野球の基礎を築いた。
サインボール mizunoauthentic-baseball-collection
-
横浜ベイスターズ2008年バナー
横浜ベイスターズの2008年バナーです。シーズンスローガンはなせば成るです。
バナー バナーauthentic-baseball-collection
-
マイク・ガルシア 1953年ロパットオールスターズ サインボール
Edward Miguel "Mike" Garcia 1923年11月17日カリフォルニア州サンガブリエル産まれ 1986年1月13日(62歳)オハイオ州フェアビューパーク死去 右投右打 投手 MLBデビュー1948年10月3日、クリーブランドインディアンズ 最終出場1961年9月2日、ワシントンセネターズ 142勝97敗 防御率3.27 1,117奪三振 クリーブランド・インディアンス(1948–1959) シカゴホワイトソックス(1960) ワシントンセネターズ(1961) オールスター3回(1952–1954) ワールドシリーズチャンピオン(1948) ア・リーグ最優秀防御率(1949、1954) クリーブランドインディアンスの殿堂選出 「ビッグベア」と「メキシカンマイク」の愛称で親しまれ、ボブ・レモン、アーリー・ウィン、ボブ・フェラーとのインディアンス先発ローテーション「ビッグフォー」は、MLB史上最高の先発投手ローテーションの1つと言われています。
サインボール 1953年authentic-baseball-collection
-
ロビン・ロバーツ 1953年ロパットオールスターズ サインボール
Robin Evan Roberts 1926年9月30日イリノイ州スプリングフィールド産まれ 2010年5月6日(83歳)フロリダ州テンプルテラスにて死去 286勝245敗 防御率3.41 2357奪三振 右投両打 投手 フィラデルフィア・フィリーズ(1948-1961) ボルチモア・オリオールズ(1962-1965) ヒューストン・アストロズ(1965-1966) シカゴ・カブス(1966) アメリカ野球殿堂 選出年1976年 オールスター7回(1950–1956) 最多勝4回(1952–1955) 最多奪三振2回(1953、1954) フィラデルフィアフィリーズ永久欠番36 フィラデルフィアフィリーズの殿堂選出 主にフィラデルフィア・フィリーズで先発投手として活躍し、通算286勝をあげ、アメリカ野球殿堂入りを果たした。フィリーズ初の永久欠番
サインボール 1953年authentic-baseball-collection
-
E.ロパット 1953年ロパットオールスターズ サインボール
Edmund Walter Lopat (Lopatynski) 1918年6月21日ニューヨーク州ニューヨーク市産まれ 1992年6月15日(73歳)コネチカット州ダリエンにて死去 左投左打 投手 MLBデビュー 1944年4月30日、シカゴホワイトソックス 最終出場 1955年9月23日、ボルチモアオリオールズ 166勝112敗 防御率3.21 859三振 勝率.421 シカゴホワイトソックス(1944 – 1947) ニューヨークヤンキース(1948 – 1955) ボルチモアオリオールズ(1955) カンザスシティアスレチックス(1963 – 1964マネージャー) オールスター出場(1951) ワールドシリーズチャンピオン(1949–1953) AL最優秀防御率(1953) 1949年~53年のヤンキース5連覇に貢献し、53年は、16勝をマーク。 毎日新聞社主催のオールスターチームの団長兼投手として来日した。
サインボール 1953年authentic-baseball-collection
-
2016年 横浜DeNAベイスターズ CS進出決定試合 実使用球
2016年9月19日の横浜対広島戦にて使用された実使用球となります。 この試合で横浜DeNAベイスターズは、球団史上初のクライマックスシリーズ進出を決めました。 また2016年の横浜DeNAベイスターズホーム試合球には、球団創立5周年記念のロゴが、この年限定で刻印されています。
プロ野球公式球 ミズノ 横浜DeNAベイスターズauthentic-baseball-collection
-
草薙球場 定礎板
2013年の大規模改修工事前まで草薙球場に掛けられていたプレート(定礎板)となります。 草薙球場は、1930年に現在の場所に移設されたのが始まりですが、老朽化のため、1971年から第一回目の全面改築が行われており、その改築後から2013年まで約42年間掲げられていた定礎板となります。 こちらの定礎板は2018年に静岡県野球連盟に寄贈致しました。現在は草薙球場入口の展示スペースに納められています。
定礎板authentic-baseball-collection
-
1999~2005年 NPB球
1999年~2005年まで使用されたプロ野球公認球となります。 こちらのボールは横浜ベイスターズ公式戦実使用球となります。 2000年9月19日横浜対中日戦にて3塁側スタンドに飛んだファールボールとなります。
プロ野球公式球 横浜ベイスターズauthentic-baseball-collection
-
2014年 横浜DeNAベイスターズ 実使用球
2014年9月24日横浜対阪神戦にて使用された実使用球となります。
プロ野球公式球 ミズノ 横浜DeNAベイスターズauthentic-baseball-collection
-
週刊ベースボール 1959年1月7日号 豊田泰光サイン
週刊ベースボール 1959年1月7日号 豊田泰光氏サイン入りとなります。 #西鉄ライオンズ
authentic-baseball-collection