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ジョージ・ハリスン帝国 / 見本盤
EAS-80355 日本発売日 1975年10月20日 写真1:ジャケット帯有り(帯にあるりんごが芯だけ) 写真2・3:レーベル 写真4~7:メーカー担当者が配布時に封入した手書きコピーの解説書 「ジョージ・ハリスン帝国」の見本盤の内容物は通常盤と変わらないので、見本盤だけの通常盤と違う部分をアップしました。 通常盤は別稿にあります。 見本盤は放送局やレコード店に配布されるものです。 これは当時よく行ったレコード店から頂いたもの。 レコード店はお客さんに見本盤を販売してはいけないのと、通常盤と違って返品が出来ません。 で、仲良くしていてこっそり頂いたもの。 たまにオークションでも、この手書きコピーの解説書付きの見本盤見掛けます。 レーベルを去っていくだろうジョージに力を入れたプロモーションです。 #ジョージハリスン #レコード #アナログレコード #ビートルズ
ジョージ・ハリスン ロック アナログレコード 東芝EMI株式会社Atsushi Miura
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ダーク・ホース / ハリズ・オン・トゥアー
EAR-10769 日本発売日 1975年3月20日 写真1:ジャケット 写真2:ジャケット裏 写真3:レーコド袋表 写真4:レーコド袋裏 写真5:レーベルA 写真6:レーベルB 写真7:同時期のグランド・ファンク・レイルロード「オー・ワンダフル」のジャケット ジャケットはサンプル盤か?といようなタイトルと歌詞が書かれた艶の無い紙のジャケット。 ファンの間でも不思議に思われていたチープなジャケットです。 当時「なんて力の入れようの無い」と思いましたが、実は同時期のグランド・ファンク・レイルロード「オー・ワンダフル」のジャケット(写真7)も同じレイアウト。 東芝は何故か洋楽ロックは同じようなジャケットにしていたのかもしれません。 グランド・ファンク・レイルロードのほうがレコード袋にカラーでメンバー写真があるのでマシですが。 まあ、当時両方のシングルを買ったので解ったことですが。 (グランド・ファンク・レイルロード「オー・ワンダフル」はまた別稿にて書きたいと思います) レコード袋(写真3・4)には表も裏もA面曲のダーク・ホースの英語詞が、B面の歌詞のプリントを間違えたのかと最初思いましたが、B面はインストゥルメンタル曲ですからこうなったんですね。 レーベルにはA面(写真5)がジョージ、B面(写真6)が結婚前の新たな恋人オリヴィア・トリニダード・アライアスの顔が印刷されています。 「恋人の写真を使う」 ジョンやディランの影響ですかね・・・・ まあ、ソロになってからこの時点までは前バーパートナーとは不仲でしたから(パティとの法的な離婚は1977年)。 タイトルは、A&M(後にワーナー)を配給元としたジョージの新レーベルの名前でもありますが、EMIとの契約が満了していなかったためEMI/アップルから発売されました。 イギリス、日本盤はB面が「ハリズ・オン・トゥアー」。 アメリカ盤のB面はイギリスで先に発売された「ディン・ドン」のB面でアルバム未収録曲「アイ・ドント・ケア・エニーモア」。 日本では次作が「ディン・ドン / アイ・ドント・ケア・エニーモア」。 このあたりからビートルズ解散から前作まで快進撃を続けたジョージの低迷期が緩やかにスタートしはじめます。 #ジョージハリスン #レコード #アナログレコード #ビートルズ https://youtu.be/M3-so70ZguY
ジョージ・ハリスン ロック アナログレコード 東芝EMI株式会社Atsushi Miura
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バングラデシュ・コンサート / The Concert for Bangla Desh
63AP-1292-4(1977年再発盤) 初回盤日本発売日 1972年2月21日 CBSソニーレコード 写真1・2:ジャケット 帯有り無し 自分が購入したころは帯が「ロック・ベスト100」の帯。タイトル邦題「バングラデシュ」でした。 写真3:4 62ページのバングラデシュの窮状を訴えるメッセージや写真、コンサートの写真など。 写真5・6:インナー、表裏。 レーベルはアップルですが、CBSソニーレコードからの販売で、インナー裏には出演者でもあるボブ・ディランのアルバム宣伝。 写真7:レーベル ・・・・・・ チャリティーコンサートといえば、慈善・博愛・同胞愛の精神に基づいてミュージシャンたちがノーギャラで出演し、その収益金を寄付するものである。 今では普通に行われていることであるが、これを最初に提唱したのがこの時のジョージ・ハリスンだった。 後にライブエイド(1985年7月13日に行われた20世紀最大のチャリティーコンサート)を発案・開催したボブ・ゲルドフは、ジョージに影響を受けたと公言している。 また、ライブエイド開催に関してジョージに相談もしている。 ジョージはすぐに自ら電話をかけ、マジソンスクエアガーデンを押さえ、エリック・クラプトンやボブ・ディランを筆頭に多くの音楽仲間に参加を呼びかけた。 当時はノーギャラでのライブは珍しいことだったので、難色を示すミュージシャンもいる中、ジョージはあきらめることなく強いリーダーシップを発揮したという。 1971年12月20日にリリースされたライブアルバムは、翌年のグラミー賞で年間最優秀アルバム賞を受賞。 ロックのアルバムとしてはビートルズ、ブラッド・スウェット&ティアーズ、サイモン&ガーファンクル、キャロル・キングに続き史上5枚目の受賞となった。 その後、コンサートの記録映画も製作され、その興行収入、そしてライブアルバムの売り上げも合わせて1,500万ドルがユニセフに寄付されている。 ジョージの死後、妻のオリヴィア・ハリスンは夫の遺志を継ぎ、このコンサートに関わるDVD/CD収益の窓口となる“ユニセフ・ジョージ・ハリスン基金”を設立する。 そこに集まるお金は、すべてユニセフへ寄付され、今もバングラデシュをはじめ世界中の“忘れられた子どもたち”の支援に使われています。 #ジョージハリスン #ボブディラン #レオンラッセル #リンゴスター #ラヴィシャンカール #レコード #アナログレコード #ビートルズ https://youtu.be/PLY0CmWJunA
ジョージ・ハリスン ロック アナログレコード CBSソニーレコードAtsushi Miura
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マイ・スウィート・ロード / イズント・イット・ア・ピティー (再発盤)
EAS-17258 81年再発のEMIオデオン盤 #ジョージハリスン #レコード #アナログレコード #ビートルズ
ジョージ・ハリスン レコード アナログレコード 東芝EMI株式会社Atsushi Miura