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1983 (26TH) SPARK ATS D6 M.WINKELHOCK
F1の歴史で初めてメス型成型マシン グフタス・ブルナー作 ATS D6 カーボン素材の技術が進歩 メス型成型をすれば別のカウリングを廃して 型から抜いたモノコック外皮をそのまま ボディとして使えるという発想が生まれ この技術に初めて挑戦したのが デザイナー グフタス・ブルナー 1983年 ATS D6の黒の部分は カーボン地肌そのままにされており 新しい製造方法をアピールする狙いもあった この後メス型成型は瞬く間に広がり F1のスタンダードとなった この年ATSは1台体制でドライバーは マンフレッド・ヴィンケルホック エンジンがBMWに変更された 予選では7位3回を含む シングルグリット8回獲得も 決勝ではリタイアが多く最高8位 後のスタンダードとなる技術も 初年度は試行錯誤で決勝レースで 結果を残すことはできなかった モデルはスパーク R14ヨーロッパGP(ブランズ・ハッチ) 予選9位→決勝シーズンベスト8位 後半戦のサイドポンツーンが 短くなったバージョン ヴィンケルホックはMarlboro契約 ドライバーでヘルメットやスーツに 同社のロゴの別添えデカールを貼付
240126 M.WINKELHOCK 1983 9FW12C
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1999 9TH PMA BENETTON PLAYLIFE B199 G.FISICHELLA
ジャンカルロ・フィジケラ 3年連続 カナダ表彰台 BENETTON B199 フィジケラはベネトン2年目 チームメイトは昨年同様A・ブルツ ニューマシンB199を投入し フィジケラは開幕~R6で4度の入賞 R6カナダGPは2位表彰台を獲得 フィジケラはカナダGPと相性が良く これで1997年のジョーダン時代から 3位→2位→2位と3年連続表彰台 しかしながらこれ以降は 1997年のルノーエンジンがベースの 自社のファッションブランドの1つである PLAYLIFEのバッジネームを付けた エンジンも足を引っ張り入賞はゼロ コンストラクタ―もベネトンのF1参入した 1986年以来となる6位に転落した モデルはミニチャンプス タバコMILD SEVEN仕様に変更 1999年発売分よりミニチャンプスの ドライバ―フィギアの質が向上したが このベネトンとウイリアムズのモデルは 以前のままのフィギアを使用
231031 G.FISICHELLA 1999 9FW12C
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1968 10TH BRUMM FERRARI 312 F1 C.AMON
クリス・エイモン フェラーリで キャリアベスト2位 FERRARI 312 F1 1968年エイモンはフェラーリ2年目 チームメイトは前年度クーパーでデビューの ジャッキー・イクスが抜擢される エイモンは開幕戦南アフリカGPで4位 R2スペインGP 予選で初PP獲得 チーム欠場のR3モナコを挟み R4・R5と出場3戦連続でPPを獲得 エイモンの生涯獲得PPは5回 R7イギリスGPでは予選3位から プライベータの雄J・シフェールに敗れるも 自身初の2位表彰台を獲得する しかしその後は5戦連続リタイア 途中イクスは初優勝含む5戦連続入賞と 明暗が分かれる結果となった モデルはBRUMM GP仕様の表記は無いが 1968年はカーナンバーは固定でなく GPごとの登録の為 GPで異なる エイモンがカーナンバー9で出場したのは R5オランダ R9イタリア R10カナダ 海外のサイトなどではこのモデルを R5オランダGP仕様としているが このGPの決勝の映像を見ると リアウイングが装着されている為 リアウイングの無い当モデルは 何GPのモデルなのか詳細は不明 それでも1968年のエイモンの フェラーリで唯一2位の年のマシン というだけで個人的には満足です
230914 C.AMON 1968 9FW12C
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1968【WORLD CHAMPION】QUARTZO LOTUS 49B G.HILL 〖🏆3〗
🔲🔲🔲1968🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 LOTUS 49B 🟧🟧🟧G.HILL🟧🟧🟧 🔲🔲🔲全12戦🔲🔲🔲 【出走】12回【PP】3回 【優勝】 3回【FL】0回 グラハム・ヒル 2度目のチャンピオン R3モナコGPから投入されたLOTUS 49B ギアボックはヒューランド製5速が導入 フロントノーズ左右にウィングを装着 エンジンカウルにリアスポイラーを取付 ダウンフォース発生を意識した形状 またこのGPよりタバコのGOLD LEAFが スポンサーとなり以前のナショナルカラーの ブリティシュグリーンから 赤・白・金のカラーリングとなり スポンサーカラーとなる先駆けになった1台 モデルはそのQUARTZO モナコGP仕様 予選PPスタートから序盤は マトラのJ・セルボ・ギャバンに先行許すも 4周目からトップを奪いそのまま優勝 シーズン2勝目を上げた その後最終R12も優勝 シーズン3勝 ジム・クラーク亡き後のロータスで 自身2度目のワールドチャンピオンに輝いた また史上初のファステスト・ラップが 1度も無かったワールドチャンピオン (その後は複数回有)
230825 G.HILL 1968 9FW12C
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1972 10TH SPARK MATRA MS120D C.AMON
クリス・エイモン 最後のPP FL 表彰台 チームマトラの最後 MATRA MS120D 1972年マトラに残留のエイモン マトラはエイモン1台体制でエントリー R5ベルギーGP自身2度目のFL記録 R6フランスGPマトラの最終形MS120Dを投入 予選はエイモン自身5度目のPP獲得 決勝は19周目までトップ快走も最終3位表彰台 2連続での決勝FLも記録 このフランスGPの通算5度目PP 11度目の表彰台 3回目のFL がエイモン自身最後の記録 チーム マトラはル・マンに集中する為 この年限りでF1から撤退 エイモンもシートを失い翌1973年は 小規模チームテクノで参戦 モデルはスパークの初期のF1リリース シルバーのスリーブで台紙には Sparkの旧青文字がロゴ印字されている
230820 C.AMON 1972 2回FW12C
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1998 6TH PMA JORDAN MUGEN HONDA 198 D.HILL〖🏆1〗
無限HONDA搭載 デイモン最後の勝利は ジョーダン初優勝 MUGEN HONDA 198 1998年ジョーダンは無限HONDAエンジン獲得 ドライバ―もデーモン・ヒルを迎えて 盤石な体制と思われたが チームメイト ラルフ・シューマッハと共に 前半戦を終えてまさかのノーポイント しかし後半覚醒しデーモン・ヒルは R10ドイツGP R11ハンガリーGPで連続4位 そしてR12ベルギーGPでは シーズンベストとなる予選3位から 優勝を2位ラルフと1・2フィニッシュで決めた ジョーダンは1991年参戦以来137戦目で 嬉しい初優勝 ヒルは最後の22勝目 最終戦の鈴鹿最終コーナーでヒルは H・Hフレンツェン(ウイリアムズ)を抜き4位入賞 コンストラクタ―でもランク4位となった 画像1 イギリス限定発売 ハイボックス ドイツGP仕様 限定4.999個 画像2 通常版 2台のモデルに違いを見つける事ができない‥
230508 D.HILL 4.999 9FW12C
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1998 6TH PMA JORDAN MUGEN HONDA 198 "TOWER WING″ D.HILL〖🏆1〗
1998年のグッドイヤー勢のジョーダンは レギュレーション変更のグルーブドタイヤや ナローボディ化など対応に遅れ前半苦戦 タワーウイングを導入したものの 効果のほどは分からずに低迷した メインスポンサーである ベンソン&ヘッジスはイギリスのタバコブランド 古くからしたイギリス王室御用達に認めら パッケージに王室の紋章が印刷されていた 日本では1982年に廃番となり 通常では入手が困難なタバコ また1997年に開幕戦で撤退した ローラのメインスポンサーであった マスターカードは1998年は ジョーダンチームをサポート モデルのタワーウイング仕様は 下位のティレル・プロスト・ザウバーが 限定数2.222に対してジョーダンは3.333 フェラーリはアーバイン車が3.333 ミハエルはその3倍の限定数9.999個
230508 D.HILL "TOWER WING″ 3.333FW12C
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1967 【WORLD CHAMPION】 SPARK BRABHAM BT20 D.HULME〖🏆2〗
🔲🔲🔲1970🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 BRABHAM BT20 🟩🟩D.HULME🟩🟩 🔲🔲🔲全11戦🔲🔲🔲 【出走】11回【PP】-回 【優勝】 2回【FL】2回 史上初 PP無のワールドチャンピオン デニス・ハルム BRABHAM BT20 デニス・ハルム ニュージーランド出身 1965年 ブラバムよりデビュー 1967年 ブラバム3年目 チームメイトはオーナー兼任で 前年度チャンピオンのジャック・ブラバム モデル仕様のR2モナコGP 予選4位 15周目からトップに立ち自身初優勝 ハルムの通算勝利数は8勝 その後ドイツで2勝目 全11戦中 入賞8回(表彰台7回)の安定で ニュージーランド人初&現在まで唯一の ワールドチャンピオン ハルムの1967年予選最高は2位(2回) 史上初のポール・ポジションの無い ワールド チャンピオンでもあった (後は1984年のN・ラウダ(マクラーレン)のみ) しかしオーナー兼エースの ジャック・ブラバムを破ってのチャンピオンで 立場が悪くなりこの年でブラバムを離脱 翌年は同郷のマクラーレンに移籍する
230421 D.HULME 1967 2回FW12C
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1997 6TH PMA McLAREN MERCEDES MP4-12 M.HAKKINEN〖🏆1〗
マクラーレン5年目 ミカ・ハッキネン 99戦目の初優勝McLAREN MERCEDES MP4-12 1997年マクラーレンは 永年続いたマールボロからWESTへスポンサーが 変更 シルバーアロー メルセデスをイメージ させるシルバーを基調とするカラーに変更 ハッキネンは開幕から4戦連続の入賞 中盤戦は苦戦したが後半いよいよ能力が開花 R13イタリアGP 初のファステストラップ R15ルクセンブルクGP 初のポール・ポジション そして最終戦R17ヨーロッパGP 最終ラップでJ・ビルヌーブ(ウイリアムズ)を 抜き去り悲願の初優勝 これは参戦99戦目(出走95戦目)で T・ブーツェンの参戦96戦目を上回る 当時としては最遅の初優勝記録であった この勝利をきっかけにハッキネンは 翌1998・1999年の自身の黄金期を迎える #F1-1997年
M.HAKKINEN 9 1/43 McLARENFW12C
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1970 12TH SPARK MATRA MS120 H.PESCAROLO
ル・マン24時間 4度制覇 H・ペスカローロ F1唯一の表彰台 MATRA MS120 1968・1969年 スポット参戦した フランス出身 アンリ・ぺスカローロは 1970年マトラで初のF1フル参戦 チームメイトはJ.P.ベルトワーズ ガソリンはエルフのオールフレンチ体制 前年度J・スチュワートでWタイトルを獲得 1970年は自社製のV12エンジンを搭載で 注目のMS120を導入したマトラであったが エンジンの信頼不足もあり成績は低迷 H・ペスカローロはR3モナコで3位表彰台 これはF1での自身唯一の表彰台 年間では8ポイント 年間順位は12位 チームもコンストラクター7位と惨敗 ぺスカローロは翌1971年~はマーチの車体を 使用するウイリアムズに移籍 ル・マン24時間ではマトラ シムカの車体で 1972~1975年まで3連覇を果たし 通算でも4度の制覇をしており さらに33回出場という最多記録所持者
221014 H.PESCAROLO 9 1/43FW12C
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1996 9TH PMA LIGIER MUGEN HONDA JS43 O.PANIS
MUGEN HONDA エンジン 初優勝 O・パニス唯一 リジェ最後の勝利 1996年R6モナコGP 決勝は暴風雨 予選14位のリジェ オリビエ・パニスは 朝のウォームアップランはトップタイム 当初ガソリンを満タンにして ノンストップの戦略をを取った 上位陣のリタイヤと安定した走りで モナコGPながら数台オーバーテイク 36周目には3位に浮上すると トップ走行のD・ヒル(ウイリアムズ) J・アレジ(フェラーリ)が相次ぎリタイア 59周目にトップに立ち2時間を超えた為 75周でレースが打ち切られて パニスがトップでチェッカー 最後はコース上に3台のサバイバルを制した MUGEN HONDA エンジン 初優勝は オリビエ・パニスのキャリア唯一の勝利 リジェも1981年ジャック・ラフィー以来 15年ぶりの優勝 リジェ通算最後の9勝目 翌1997年リジェはプロストに買収 1976年から21年間のF1参戦の幕を閉じた モデルは優勝モナコGP記念モデル フランス国旗のウイニングラン仕様 タバコ GAULOISESにデカール加工 画像2はオリジナルの加工前のモデル 画像3~6はPMA通常モデル こちらもGAULOISES仕様に変更 #無限エンジン初優勝 #F1-1996年 #リジェ最後のマシン #LIGIER #F1
O.PANIS 6.000 9 1/43FW12C
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1976 19TH TSM MARCH 761 V.BRAMBILLA
ヴィットリオ・ブランビラ マーチ最終3年目 MARCH 761 1976年マーチはV・ブランビラ H・J・シュトゥック のレギュラーに加えて R・ピーターソン A・メルツァリオなど 常時3~4名のドライバ―が出場していた ブランビラは前年度のPP 優勝 FL記録から 一転して1976年は不振に陥る 予選ではR14カナダGPの3位など 16戦中11戦でシングルグリッドを獲得も 決勝はR12オランダGPの6位のみに終わる ◆R16日本(富士SW)予選8位→決勝R◆ この年のマーチはドライバ―別に異なる カラーリングで出走したのが特徴 ブランビラ車は前年同様1923年設立の イタリアの工具メーカーBetaがスポンサー ブランビラは3年間在籍のマーチを離れ 翌1977年はサーティスに移籍します モデルはTRUE SCALE MINIATURES MODELで R10ドイツGP仕様(予選13位→決勝R) Betaと言えばオレンジのイメージですが このGPは白を基調としたカラーリングで出場 #1976 #F1-1976年
V.BRAMBILLA 1976 9 1/43FW12C
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1995 14TH ONYX FOOTWORK ARROWS HART FA16 G.MORBIDELLI
イタリアの伊達男ジャンニ・モルビデリ F1唯一の表彰台獲得ARROWS HART FA16 イタリアのオートバイメーカーの モルビデリ社の御曹司でもある ジャンニ・モルビデリ 1995年はアロウズ2年目でエース R6カナダGPで予選13位→6位入賞 (モデルGP仕様)果たすも チームの資金難により R8イギリスGPからシートを M・パピスに譲る形となった 終盤R15パシフィックGPより 再びシートを獲得して 最終戦R17オーストラリアGP 生涯唯一の予選13位→3位表彰台獲得 モルビデリ通算最後の5回目の入賞 翌1996年はシートを失い ジョーダンのテストドライバー 1997年にザウバーで7戦のみ復帰します #1995
G.MORBIDELLI 9 1/43 ARROWSFW12C
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1995 (22ND) ONYX FOOTWORK ARROWS HART FA16 M.PAPIS
マッシミリアーノ・パピス イタリア出身 1995年のみの参戦 1994年国際F3000で5位 ロータスのテストドライバーも務めた 持参金を持ち込みG・モリビデリに代わり 1995年R8位イギリスから7戦のみ フットワーク・アロウズより出走 予選はTMの井上隆智穂を若干上回り R9ドイツとR12イタリアの15位がベスト 決勝はR12イタリアの7位が最高で F1ではこの年限りの出走 ONYXからは通常版と エナジードリンクのHypeが メインスポンサーの(画像2) R13のポルトガルGP仕様の2種類発売 (予選20位→決勝は未出走) パピスの妻はワールドチャンピオン エマーソン・フィッティパルディの娘さん 2020年にハースでスポット参戦 ピエトロ・フィッティパルディの (エマーソン・フィッティパルディの孫) おじにもあたります マッシミリアーノという ファーストネームは当時から 覚えるのが難しドライバ―の1人 #F1-1995年
M.PAPIS 9 1/43 ARROWSFW12C
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1/50 TINY MINI COOPER RACING #9 CLASSIC RACING
#MINI #MINICOOPER
CLASSIC RACING 9 1/50 TINYFW12C