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1971 6TH SPARK (WORLD WIDE RACING) LOTUS 56B E.FITTIPALDI
ガスタービンエンジン 四輪駆動車 試験的出場エマーソン LOTUS 56B 1971年 R9イタリアGP ロータスのワークスが欠場したこのGP エマーソン・フィッティパルディは ワールド・ワイドレーシイング名で ガスタービンエンジン (プラット&ホィットニー) 四輪駆動車で試験的にエントリーした インディ500とF1の両方を走る 単一のデザインの計画の一環として開発 マシンはワールド・ワイド レーシングの ゴールドカラーが施された しかし燃料補給無しで完走するための 大型燃料タンクは重量過多で競争力なく 予選18位→決勝は周回遅れの8位完走 このマシンはレイネ・ウィセルや デイブ・ウォーカーが他のレースで またエマーソン自身もノンタイトル戦で 出場したが56Bのマシン合計6回の出走で 完走したのはイタリアGP時のわずか1回であった モデルはスパーク エマーソンのF1本戦での四輪駆動車 LOTUS 56Bの唯一の出場となった イタリアGP仕様 予選18位→決勝8位 スパーク初期のシルバースリーブ 2010年に日暮里にあった ミニカーショップIKEDAで購入
240320 E.FITTIPALDI 1971 5FW12C
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2016 6TH BBURAGO FERRARI SF16-H K.RAIKKONEN
2期3年目トータル9年目のフェラーリ キミ・ライコネン FERRARI SF16-H 2016年ライコネンはフェラーリ2期3年目 チームメイトはセバスチャン・ベッテル R2バーレーンGPで2位表彰台 R4スペインGPでは当時の最年少 18歳のマック・フェルスタッペン(レッドブル) 36歳のライコネンの年の差2倍バトル マックスが初優勝 ライコネン2位 ライコネンは2001年・2003年は マックスの父 ヨスともF1でバトルしている R4終了時はランキング2位 途中11戦連続入賞もあったが その間の表彰台は1回 年間で2位2回 3位2回 入賞17/21回 ラインギングは前年4位→6位に後退も ベッテルとの差は詰めて復調の兆しも見えた モデルはブラーゴ 2015年よりフェラーリのF1モデル廉価版が ホットウィール→ブラーゴに代わり 当時1/43シリーズのブラーゴは ドライバ―フィギュアレスのみ 1/18ではドライバ―付での販売 #2016年
231221 K.RAIKKONEN 2016 1回FW12C
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2005 【WORLD CHAMPION】PMA REAULT R25 F.ALONSO〖🏆7〗
🔲🔲🔲2005🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 REAULT R25 🟦🟦 F.ALONSO 🟦🟦 🔲🔲🔲全19戦🔲🔲🔲 【出走】18回【PP】6回 【優勝】 7回【FL】2回 当時最年少 ワールドチャンピオン フェルナンド・アロンソ REAULT R25 2005年 ルノー3年目のアロンソ チームメイトはジャンカルロ・フィジケラ 開幕戦は予選で出遅れたものの 予選13位→決勝3位表彰台 その後R2~R4まで3連勝で チャンピオンシップをリード ミュシュラン勢がタイヤ問題で 欠場したR9アメリカ除くと アロンソのリタイアは僅か1回 年間7勝 2位5回 表彰台15回 スペイン人として初 24歳58日 当時F1史上最年少でF1ワールドチャンピオン 1972年E・フィッティパルディ(ロータス) 25歳273日を33年ぶりに更新 その後2008年にルイス・ハミルトン 2010年セバスチャン・ベッテルが更新 チャンピオン獲得したものの2年後の 2007年からのマクラーレン移籍を発表した モデルはミニチャンプス ミシュラン別注モデル チェッカーフラッグを持った ミシュランマンが付属 タバコ禁止GPで主に使用された MILD SEVEN→TEAM SPIRITロゴ
231216 F.ALONSO 2005 2回FW12C
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1974【WORLD CHAMPION】 McLAREN FORD M23 E.FITTIPALDI〖🏆3〗
🔲🔲🔲1974🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 McLAREN FORD M23 🟥⬜E.FITTIPALDI⬜🟥 🔲🔲🔲全15戦🔲🔲🔲 【出走】15回【PP】2回 【優勝】 3回【FL】0回 エマーソン 2度目のチャンピオン
231120 E.FITTIPALDI 5 1/43FW12C
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1963 16TH SPARK LOTUS 25 T.TAYLOR
最高位2位のドライバ―の1人 トレバー・テイラー LOTUS 25 トレバー・テイラーイギリス出身 1961年~1964年にかけて主にロータスで参戦 1962年開幕戦オランダGPで2位表彰台 F1最高位2位のドライバ―の一人 1963年もロータスに所属 ロータス25車体 クライマックスエンジン 開幕戦モナコGPで6位入賞 この年のワールドチャンピオン ジム・クラークは開幕戦のみ未入賞 ロータスの車体では7名のドライバ―が エントリーも入賞はテイラーのみ この年のテイラーの入賞は1回のみ 翌1964年はBRPに移籍 1965年は1戦限りでシャノンで走行している モデルはR5イギリスGP仕様 予選10位→決勝は失格 レースはチームメイトのクラークが優勝 クラークのマシンには特徴的な 黄色のストライプがこのGPより入るが テイラーはグリーンの単一色のまま SPARKの初期にリリースされたモデル
230823 T.TAYLOR 1963 5FW12C
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1999 (19TH) PMA WILLIAMS SUPERTEC FW21 A.ZANARDI
5年ぶりF1復帰 アレサンドロ・ザナルディ CART2年連続チャンピオンも無得点 1994年ロータスで最後にF1出場後 1996年~アメリカCARTに主戦場を移し 1997年5勝1998年7勝で連続チャンピオン 鳴り物入りで5年ぶりウイリアムズでF1復帰 F1キャリア5年目で唯一のフル参戦 序盤からチームメイトの ラルフ・シューマッハが入賞する中 ザナルディは完走すらままならない状況 地元R13イタリアGPで自己最高の予選4位 決勝は一時2位走行も最終7位に終わる この時皮肉にもラルフは2位表彰台 結局ザナルディは完走5/16回 入賞無の年間(19位)に終わった ウイリアムズのレギュラードライバ―が 年間無得点に終わるのは史上初の出来事 2年契約を打ち切りこの年で ザナルディはF1から離れ2001年にCARTに 復帰するも大事故で両足膝上から切断 その後車いすのハンドサイクルの競技で 2012年にロンドンパラリンピックに出場 個人金メダル2個 団体銀メダル1個獲得 その場所はかつてカーレースも参戦した ブランズ・ハッチのサーキットであった 🏁アレッサンドロ・ザナルディ (イタリア) 【決勝出走数】41回(入賞1回) 【予選最高位】 4位 1999年 WILLIAMS R13 イタリア 【決勝最高位】 6位 1993年 LOTUS R2 ブラジル
230718 A.ZANARDI 1999 5FW12C
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2022 12TH SPARK ASTON MARTIN AMR22 S.VETTEL
数々の最年少記録 4度のチャンピオン セバスチャン・ベッテル引退 2022年セバスチャン・ベッテルは アストンマーチン2年目 チームメイトはランス・ストロール 開幕2戦を欠場し参戦した20戦中 予選Q3進出が4度のいずれもが9位 決勝10度の入賞があったが最高位は6位 ベッテルが表彰台に上がらなかったのは 途中参戦デビューした2007年以来 R13ハンガリーGP前に 自身のインスタグラムを開設し 2022年限りでの引退を発表した 最終戦のアブダビGPで10位入賞 これはベッテル通算219回目の入賞で キミ・ライコネンと並び歴代4位タイとなった 4年連続ワールドチャンピオン F1において数々の最年少記録を樹立 通算勝利数53回は歴代3位 前人未踏の連続優勝9回 奇跡のワンダーボーイ ベッテルは静かにF1から去った 🏁セバスチャン・ベッテル(ドイツ) 【決勝出走数】 298回 〖入賞219回-表彰台122回〗 【予選最高位】 PP (57回) 【決勝最高位】 優勝(53回) 【ファステストLAP】 (38回) 【ワールドチャンピオン】4回 2010年 レッドブル 19戦 5勝 2011年 レッドブル 19戦11勝 2012年 レッドブル 20戦 5勝 2013年 レッドブル 19戦13勝
230526 S.VETTEL 2022 5FW12C
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1998 9TH PMA BENETTON PLAYLIFE B198 G.FISICHELLA
ベネトン移籍ジャンカルロ・フィジケラ 自身初のPP獲得 BENETTON B198 1998年フィジケラはベネトンに移籍 チームメイトはアレクサンダー・ブルツ フィジケラはベネトンの名称が無くなる 2001年まで同チームに所属する ベネトンは開幕直前にタイヤを グッドイヤー→ブリヂストンに変更 これが功を奏した事もあり序盤は好調 フィジケラはR6モナコ・R7カナダと 2戦連続で2位表彰台を獲得 R10オーストリアでは雨の予選の中 自身初のポール・ポジション獲得 フィジケラの通算PPは4回 しかし決勝は無念のリタイア GY勢の巻き返しもあり後半は苦戦 最終戦でジョーダンに逆転されて コンストラクターは5位に転落 ベネトンのコンストラクターTOP4陥落は 1987年以来の出来事であった シーズン終盤にチームオーナーが デビット・リチャーズから創業一族の 末っ子ロッコ・ベネトンに移るなど チーム内のゴタゴタが成績にも影響した ベネトンらしい派手なカラーリングから スポンサーのマイルドセブン主体の ブルーを基調とするカラーで 少しおとなしい印象を受ける1台
230423 G.FISICHELLA 5 1/43FW12C
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1978 【WORLD CHAMPION】 SPARK LOTUS 79 M.ANDRETTI 〖🏆6〗
WORLD CHAMPION M・アンドレッティ ロータス最期の栄冠 LOTUS 79 1978年前年4勝をあげたLOTUS78で 前半戦を戦い 開幕戦アンドレッティが勝利 ニューマシンのLOTUS 79はR6ベルギーより投入 アンドレッティは見事初戦PPから勝利 その後も4勝をあげるとともに LOTUS 79の5勝中4回がTMのR・ピータソンと 1・2 フィニッシュを決める安定な走り R・ピータソンの悲劇があったものの M・アンドレッティはアメリカ人としては 1961年 フィル・ヒル(フェラーリ)以来の ワールド・チャンピオン チーム ロータスも1973年以来 コンストラクターチャンピオンを獲得 結果ロータス最期の栄冠ともなった モデルはロータス79 初戦のベルギーGP仕様 次戦からのオリンパスのスポンサーがつく前で John Player Specialロゴの位置が異なる 1戦限りのロータス79のスポンサーロゴ配置 https://muuseo.com/FW12C/items/1334?theme_id=41104
230130 M.ANDRETTI 1978 3回FW12C
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1997 EXCLUSION PMA FERRARI F310B M.SCHUMACHER 〖🏆5〗
ドライバ― ランキング除外裁定 ミハエル シューマッハ FERRARI F310B 1997年フェラーリはベネトンより ロス・ブラウン ロリー・バーンを迎え 戦力が改善 マシンの熟成が進んだ 年間5勝をあげてシューマッハ77ポイント J・ビルヌーブ(ウイリアムズ)76ポイント 最終戦までに1ポイントリード 最終戦R17ヨーロッパGPは予選上位3名 ミハエル ビルヌーブ フレンチェンが 1分21秒072で並ぶ奇跡の状況 タイムを出した順番で2位スタートの シューマッハはレースをリード しかし48周目にヘアピンで仕掛けてきた ビルヌーブをブロックして接触 シューマッハははじき出されてリタイア ビルヌーブは手負いながら3位フィニッシュ 逆転でビルヌーブがチャンピオン このブロックに関して重大な故意の過失と 判定され1997年のランキングから除外された (個人とコンストラクターポイントは有効) #F1-1997年
221208 M.SCHUMACHER 3回 5FW12C
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1981 【WORLD CHAMPION】 PMA BRABHAM FORD BT49C N.PIQUET 〖🏆3〗
ネルソン・ピケ1度目の WORLD CHAMPION #F1-1981年
221029 N.PIQUET 1回 5FW12C
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2010 WORLD CHAMPION PMA RED BULL RACING RENAULT RB6 S.VETTEL 〖🏆5〗
追悼 2022年10月22日 レッドブル社の創業者の一人であり オーストリアの実業家 ディートリヒ・マテシッツ氏が お亡くなりになりました 享年 78歳 ご冥福をお祈りいたします マテシッツ氏は1995年スポンサーでF1に参入 2005年よりレッドブルレーシングとして参戦 そして 2010年 セバスチャン・ベッテルによって レットブルが初のWORLD CHAMPIONに輝いた のがRED BULL RACING RENAULT RB6 圧倒的不利の中 終盤2戦を連勝 F・アロンソ(フェラーリ)を最後は 僅か4ポイント差で逆転した ここからレッドブルとベッテルは 4連覇を飾り黄金時代を迎えた 2022年シーズンでベッテルも引退を表明 マテシッツ氏と一時代を築いたレッドブルは 2022年シーズンの新たな2連覇で 新し時代を築き上げようとしている
221024 S.VETTEL 3回 5FW12C
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1966 WORLD CHAMPION BRABHAM BT20 J.BRABHAM〖🏆4〗
1966 WORLD CHAMPION BRABHAM BT20 J.BRABHAM 全9戦 4勝 史上唯一の自己設立チームでの 自らドライブでワールドチャンピオン #F1親子鷹 #F1-1966年
221012 J.BRABHAM 1回 5FW12C
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1976 6TH REVE COLLECTION LOTUS 77 M.ANDRETTI 〖🏆1〗
日本におけるF1レース 初代優勝 マリオ・アンドレッティ LOTUS 77 1976年最終戦F1世界選手権イン・ジャパン 富士スピード ウェイ 予選ポールポジション獲得は マリオ・アンドレッティ自身の F1参戦初年度1968年以来8年ぶり 決勝はワールドチャンピオン争いの J・ハント(マクラーレン)に先行を許すも 豪雨のレースでレインタイヤを使いこなし 自身はフェラーリでの初戦の 1971年開幕戦以来5年ぶり2度目の優勝 チームロータスは2年ぶりの優勝を飾る 日本におけるF1グランプリの 初代優勝ドライバ―として名を刻まれた こちらはその日本GP優勝モデル REVE COLLECTION レインタイヤ仕様 REVE COLLECTIONはSPARK JAPAN設立前に MINIMAX社と輸入代理をしていた国際貿易が 日本に縁のあるモデルを別注でリリース ドライバ―フィギュアレスで 台座が通常版よりしっかりした作り #F1-1976年 #1976年 #1976年F1世界選手権イン・ジャパン #F1
220925 M.ANDRETTI 1976 1回FW12C
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1996 WORLD CHAMPION PMA WILLIAMS RENAULT FW18 D.HILL〖🏆8〗
F1史上初の親子2代 ワールドチャンピオン デイモン・ヒル WILLIAMS RENAULT FW18 1996年はTM J・ヴィルヌーブとの チャンピオン争いは最終R16鈴鹿決戦 PPはヴィルヌーブ フロントロウはヒル ヒルは16戦全てでフロントロウ獲得 37周目にヴィルヌーブがリタイアで ヒルのチャンピオンが決定 ヒルは最後までトップ譲らず鈴鹿を制した 父グラハムは1962・1968年チャンピオン 史上初の親子2代 ワールドチャンピオン誕生 この鈴鹿の約20日前ヒルは翌1997年を TWRアロウズとの契約が発表された これによりウイリアムズは 1987年 N・ピケ →ロータス 1992年 N・マンセル →インディーCART 1993年 A・プロスト →引退 1996年 D・ヒル →アロウズ 4人連続でワールドチャンピオンが 翌年自チームにいない異例の状況 ヒルを慕う数人のスタッフと何よりも デザイナーのエイドリアン・ニューウェイ までもがこの件でチームを離脱してしまう モデルはU.K 限定別注販売の ドイツGP優勝仕様でヒルが トロフィーを掲げる珍しいデザイン #F1-1996年 #ワールドチャンピオン #F1 #史上初の親子2代ワールドチャンピオン
D.HILL 5回 4.999 5FW12C