-
1971 (46TH) QUARTZO (SHELL ARNOLD TEAM) MARCH 701 J.P.JARIER
勝てそうで勝てなかったドライバー J・P・ジャリエ デビュー MARCH 701 ジャン・ピエール・ジャリエ フランス出身 パリ郊外のホテル経営の息子として生まれ フォーミュラー・ルノーで結果を出し シェル石油のサポートを受ける 1971年ヨーロッパF2で2度の表彰台 F1R9イタリアGPでシェル石油のサポートで マーチ701の車体でスポット参戦を果たす 予選24台エントリーで最下位24位 決勝トラブルもあり47/全55周しかできず 規定周回不足でリタイア扱いとなった 1971年は1戦限りで ヨーロッパF2と並行しながら 1973年マーチ本隊からF1本格参戦をする モデルはQUARTZO ジャン・ピエール・ジャリエのデビュー R9イタリアGP仕様 予選24位→決勝リタイア このGPでは6台のマーチの車体がエントリー ジャリエのマシンはシルバーの カラーリングにスポンサーのShellの ロゴが多数マシンに確認できる #1971年
240627 J.P.JARIER 1971 26FW12C
-
1971 QUARTZO (47TH) MARCH 711 N.LAUDA
不死鳥 3度のワールドチャンピオン ニキ・ラウダ デビューマシン MARCH711 ニキ・ラウダ オーストリア出身 製紙工場を所有する資産家の長男 1966年のドイツGPを観戦 ドライバーを志す しかし父は事業継承を望み支援は無し 1971年地元R8オーストリアGP マーチに資金を持参してスポット参戦 資金が不足していたラウダは 自らの生命保険を担保に銀行から融資を得る 予選はPPから約6.2秒遅れの22台中21位 当該レースでMARCH711を使用する ドライバーの5人の中でも最下位 決勝もマシントラブルで20/54周でリタイア こちらも5人の中で最初のリタイア デビュー戦は散々な結果となったものの 翌1972年はマーチのレギュラーシートを獲得 モデルはQUARTZO ラウダのデビューR8オーストリアGP仕様 マーチ711の独特のフロントウイング形状は ティートレイとも呼ばれた マシンとラウダのヘルメットには アメリカのアパレルメーカー 〖LEVI'S〗のロゴが確認できる
240507 N.LAUDA 26 1/43FW12C
-
2014 15TH SPARK SCUDERIA TORO ROSSO STR9 D.KVYAT
当時の史上最年少入賞記録 ダニール・クビアト TORO ROSSO STR9 ダニール・クビアト ロシア出身 2014年若干19歳の若さでトロ・ロッソからデビュー ロシア人としてはV・ペトロフ以来の2人目 チームメイトはジャン・エリック・ベルニュー 2014年からF1では固定カーナンバー制を導入 クビアトは自身の誕生日の4月26日から26を選択 同様にベルニューは4月25日から25を選択 開幕戦オーストリアGP 予選8位→決勝9位入賞 19歳324日での入賞は当時の史上最年少記録 (以前はS・ベッテル(BMW)の19歳349日) 翌年にM・フェルスタッペン(トロ・ロッソ) 17歳180日と大きく更新される 年間で5度の入賞で8ポイ ントランキング15位 ベルニューは20ポイント ランキング13位と 差をつけられたものの予選では勝った事もあり 翌2015年はベッテルのフェラーリ移籍に伴い 2年目にして早くもレッドブルに昇格を勝ち取った モデルはスパーク 開幕戦オーストリアGP仕様 予選8位→決勝9位 クビアト初入賞 当時の史上最年少入賞記録 2024年5月現在では歴代5位の記録 クビアトのキャリア入賞回数は44回
240505 D.KVYAT 26 1/43FW12C
-
1975 17TH SPARK (CUSTOM MADE HARRY STILLER RACING) HESKETH 308 A.JONES
アラン・ジョーンズ デビューマシン プライベーター HESKETH 308 アラン・ジョーンズ オーストラリア出身 1973年イギリスF3 ランキング3位 1975年イギリスの元レーシングドライバー ハリー・スティラーが自身所持の ヘスケスのマシンでチーム設立 ジョーンズをF1デビューに導いた R4スペインGPから参戦 R6ベルギーGPシーズンベストの予選13位 R7スウェーデンGPで決勝11位 ヘスケスでは4戦中完走は1回のみ R8オランダGPよりワールドチャンピオン グラハム・ヒル創設のヒルに移籍 自身初ポイントを獲得する モデルはスパーク ジョーンズの2戦目R5モナコGP仕様 予選20位→決勝ホイール脱落でリタイア 独特のフロント形状のヘスケスのマシンに センターの濃赤のラインが映える1台 https://muuseo.com/FW12C/items/1037?theme_id=32702
240331 A.JONES 1975 26FW12C
-
1973 (33RD) SPARK Iso-Marlboro IR T.SCHENKEN
フランク・ウイリアムズ FWシリーズ始祖 Iso-Marlboro IR ティム・シェンケン 1973年ウイリアムズチームは R4スペインGPよりニューマシンで イタリアのスポーツメーカー イソと マールボロのスポンサー名をあしらった イソ-マールボロ・IRを導入 イソ-マールボロ・IRはFW01とは 呼ばれなかったものの 現在まで続くウイリアムズチームの FWシリーズの始祖でもある このマシンは3台製作されFW01~03となり その後1975年に製作されたFW04から 数字が形式を表す命名法を採用 2024年度はFW46となっている ティム・シェンケン(オーストラリア) 前年度1972年でサーティスを離れ 1973年はF1シートは喪失していたが R14カナダGPにスポット参戦 決勝は14位 チームメイトのハウデン・ガンリーが チーム2度目の6位入賞をしている モデルはスパーク シェンケンがシーズン唯一の出走の R14カナダGP仕様 予選24位→決勝14位 タバコブランドMarlboro仕様 資金難であったウイリアムズチームは 2NDシートを資金持込みドライバー用として 8名がドライバーエントリー シェンケンは8人中の7番目のドライバー
240302 T.SCHENKEN 1973 26FW12C
-
1971 17TH QUARTZO (FRANK WILLIAMS) MARCH 711 H.PESCAROLO
アンリ・ペスカロロ Fウイリアム移籍 自身F1最後の入賞 MARCH 711 1971年フランク・ウイリアムズRCの3年目は マーチより701 後711を購入して アンリ・ペスカロロの1名体制で参戦 フランスの潤滑油メーカーMOTULがスポンサー ペスカロロはR6イギリスGPで4位 R8オーストリアGPで6位入賞 これが自身最後なる通算5度目の入賞 ティートレイと呼ばれた独得の フロントウイングの形状のマーチ711は 1971年にプライベーター含め 9名のドライバ―が使用したが ポイント獲得はマーチ本隊の ロニー・ピーターソンと2人のみ R9イタリアGPではペスカロロ キャリア唯一となるFL獲得 年間4ポイントで17位 翌1972年もFウイリアムズに残留 モデルはQUARTZO R6イギリスGP仕様 予選17位→決勝4位入賞 ティートレイとリアウイングの MOTULのロゴがとても目立ち 他のマーチ勢ファイヤストーンに対し 当該マシンはグッドイヤーのタイヤ
231117 H.PESCAROLO 1971 1回FW12C
-
1990 (19TH) KIT-TAMEO LIGIER JS33B N.LARINI
1990年シーズン完走率2位 二コラ・ラリーニ LIGIER JS33B 二コラ・ラリーニ イタリア出身 1986年イタリアF3 チャンピオン(5勝) 1987年コローニでデビュー 1988年・89年オッゼラに所属 この3年間は(予備)予選落ち13回 決勝進出19回中 完走4回 最高9位 1990年はリジェに移籍 チームメイトはフィリップ・アリオー マシンは前年度の改良型JS33B チームはポイント獲得できずに 後半戦はR9より予備予選組に回るも モンテベルディ オニクスが撤退した為 R11ベルギーから再び予備予選免除 ラリーニはR6カナダから最終戦まで 11戦連続の完走と安定感があったものの 最高7位(2回)で惜しくもポイント獲得ならず 年間の完走13/16回 完走率81.2%は N・ピケ(ベネトン)86.7%に次ぐ2位タイ ラリーニはリジェを1年で離れ 翌1991年も新規モデナ・ランボルギーニに移籍 モデルはKIT TAMEO製 お馴染みのタバコGITANES仕様 リジェの1989年JS33 90年JS33B 量販モデル化されておらず発売が待たれます
231026 N.LARINI 1990 26FW12C
-
1970 (DNQ 41ST) QUARTZO (HUBERT HAHNE) MARCH 701 H.HAHNE
F1引退後ランボルギーニ・イタオに携わる ヒューベルト・ハーネ MARCH 701 ヒューベルト・ハーネ ドイツ出身 1967・1968年にBMWのサポートを受けて ローラの車体で地元ドイツGPにスポット参戦 1967年予選14位 1968年決勝10位が 自身のキャリア最高位 1970年はプライベートチーム R8ドイツGPにマーチ701のマシンで参戦 21台の決勝進出が許可されたこのGPで 最下位の25位で予選落ち これが自身最後のF1エントリーとなった ハーネは引退後 ランボルギーニの ドイツディーラー社長を歴任 自身のイオタSVJ#4860を作製依頼 また顧客であったイオタSVR#3781にも リアフェンダーを拡大や自社工場で 独自のリアウイングを取り付けを実施 後世の自動車文化遺産に残る車の製作に 自身のセンスを遺憾なく発揮した モデルはQUARTZO このマシンはスポンサーの類が一切なく シルバーのマシンにカーナンバー26のみ シルバーはドイツのナショナルカラー 1戦限りの予選落ちのマシンという なんともマニアックなモデルカー
231022 1970 26 1/43FW12C
-
1980 4TH SPARK LIGIER JS11-15 J.LAFFITE〖🏆1〗
ジャック・ラフィー通算4勝目 リジェ最高成績コンストラクター2位 1980年リジェは前年度3勝 リジェ史上最高マシンとも呼ばれるJS11の 改良版JS11/15を開幕戦より投入 エンジンは前年よりフォード コスワース ドライバーはリジェ5年目のラフィー チームメイトは新規加入のD・ピロー二 ピロー二がR5スペインGPで優勝 ラフィーもR9ドイツで勝利 両ドライバ―とも1勝含む5回の表彰台 年間順位では ラフィーが4位34P ピロー二が5位32P チームトータル66Pは年間2位で リジェ史上のコンストラクター最高成績 リジェの通算勝利は9勝 JS11~JS11/15のマシンで半数以上の5勝 モデルはラフィーが勝利したR9ドイツGP仕様 タバコ広告の規制の為リジェの代名詞の GITANESのロゴが無く 小さなフラメンコダンサーのみが マシンに貼られている
230714 J.LAFFITE 1980 1回FW12C
-
1978 8TH SPARK LIGIER JS9 J.LAFFITE
リジェ3年目 ジャック・ラフィー 最後の1台体制 LIGIER JS9 前年度1977年に初優勝したマシンJS5を 1978年シーズンも前半戦は使用 R5モナコGPでニューマシンJS9を投入 大型のリアウイングが特徴 投入のモナコはリタイアだったものの R7スペインとR11ドイツで3位表彰台 最終的には16戦中8度の入賞 リタイアもわずか2回と安定した成績 3年間継続したリジェ・ラフィーの1台体制は 1978年で終了して翌1979年からは2台体制 マトラのエンジンも一旦終了 #1978年
221224 J.LAFFITE 1978 26FW12C
-
1963 12TH SPARK (ECURIE MAARSBERGEN) PORSCHE 718 G.MITTER
ゲルハルト・ミッター ドイツ出身 唯一の入賞 PORSCHE 718 G・ミッターはF1の下位のカテゴリーの フォーミュラ ジュニアで通算40勝を記録 これはドイツ出身ドライバ―の最多記録 1963年にF1に参戦 オランダ出身の C・G・ド・ボーフォーのプライベーター エキュリー・マールスベルゲンで ポルシェのマシンPORSCHE 718で出場 ド・ボーフォーはポルシェ愛好家で カラーはオランダのナショナルカラーである オレンジ色をカスタマーポルシェに施した G・ミッターはスポット参戦2戦目の 地元R6ドイツGP 予選15位→決勝4位入賞 自身のF1での唯一の入賞を果たす 1964・1965年は1戦限りで地元ドイツGPに ロータスで参戦 F1での出場は通算4戦のみ
221018 G.MITTER 26 1/43FW12C
-
1981 4TH LIGIER JS17 MATRA J.LAFFITE 〖🏆2〗
ジャック・ラフィー最後の勝利 年間キャリアベスト LIGIER JS17 1981年リジェはエンジンを フォードから再びマトラV12に変更 リジェ6シーズン目のラフィー 序盤戦は苦戦もR7スペインでPP→決勝2位 R11オーストリア予選4位→FLで優勝 モデルはオーストラリアGP仕様 R14カナダ 予選10位ながら2勝目を上げる この勝利はラフィー最後の通算6勝目 リジェもこの勝利後 長きにわたり低迷 次の勝利は1996年のO.パニスまでかかった この勝利でタイトルの可能性を残し 最終R15ラスベガスに挑むも6位に終わる ラフィーは2勝を含む表彰台7回 44ポイントで年間4位はベストタイ チャンピオンのピケとは僅差の6P ラフィーがチャンピオン争いに絡んだ 最後のシーズンでもあった TMはジャリエ/ジャブイユ/タンベイと 次々と変わったが3人で完走は僅か1回 3人ともノーポイントに終わった #F1-1981年 #SPARK-F1 #F1
J.LAFFITE 1回 26 1/43FW12C
-
2019 13TH SPARK SCUDERIA TORO ROSSO STR14 D.KVYAT
トロ・ロッソ 最後のマシン STR14 チーム11年ぶりの表彰台獲得 そして… 2019年トロロッソはHONDAエンジン2年目 この年よりHONDAはレッドブルと2チーム体制 翌2020年よりアルファタウリとなる為 トロロッソとしては最後のマシン ダニール・クビアトは1年ぶりの復帰 TMはA・アルボン 後半P・ガスリー R11ドイツGP ミックスコンディションの中 予選14位→天候を味方に3位表彰台を獲得 トロロッソとしては2008年のS・ベッテルの 優勝以来の11年ぶりの表彰台獲得 トロロッソHONDAとしても初の表彰台 ドイツGPはTMのアルボンも6位入賞 モデルは3位・6位ピットボード付 そして…の話 クビアトはドイツGP直前に第一子が誕生 この子供の母親は3度のワールドチャンピオン ネルソン・ピケの娘 ケリー・ピケ しかし未入籍のまま2019年に破局 そしてケリー・ピケの次の交際相手は 何とレッドブル所属のM・フェルスタッペン このドイツGPではフェルスタッペン優勝 クビアト3位で表彰台で記念撮影 その後も2人の仲のよさそうな写真が 雑誌等に掲載されていました… 古くはケリーの父ネルソン・ピケも 相当なプレイボーイだったそうで #F1-2019年
D.KVYAT 26 1/43 TORO ROSSOFW12C
-
1973 20TH Iso-Marlboro IR G.VAN LENNEP
ウイリアムズF1の前身Iso-Marlboro ギズ・ファン・レネップ F1初ポイント ウィリアムズF1の前身である フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズは イタリアのスポーツカーメーカーのイソと フィリップ・モリス社がスポンサーとなり 1973年Iso-Marlboro IRのマシンを投入 ギズ・ファン・レネップは 地元R10オランダGPでスポット参戦 予選20位ながら→決勝6位入賞 Iso-Marlboroチームと自身の初ポイント レネップはその後2レースに出場 R12オーストリア予選23位→決勝9位 R14イタリア 予選23位→決勝R レネップは生涯4年間のスポット参戦で 決勝進出した8レース中 リタイアは 上記の1973年R14イタリアGPのみで 他の7レースは全て完走 生涯2度の6位入賞を果たしている #F1-1973年 #Marlboro #Iso-Marlboro
G.VAN LENNEP 1973 26 1/43FW12C
-
1976 8TH+α SPARK LIGIER JS5 J.LAFFITE
F1参戦初年度リジェ ジャック・ラフィー 予選 PP 決勝表彰台 3回 FL 獲得 1976年R4スペインGPから規定で 高いインダクションポッドが禁止された為 所謂〖ティーポット〗は姿を消し オーソドックスなマシンに変化 マシンの見た目は変わったものの JS5は十分な速さを備えており R5ベルギーGP予選6位→決勝3位 参戦5戦目で早くも表彰台を獲得 R11オーストリアGP予選5位→決勝2位 R13イタリアGPでは予選PPを獲得 決勝も3位に入り3度目表彰台を獲得 R16富士SWではファステストラップも記録 ◆R16日本(富士SW)予選11位→決勝7位◆ リジェは初年度 1台のエントリーながら コンストラクタ―6位(当時の解釈では5位タイ) ラフィーも20ポイント獲得して年間8位 この後ラフィーはトータル9シーズンを リジェで過ごし生涯6勝のすべてをあげる SPARKのF1としては2台目に購入したモデルで 不良があって交換した思い出のある1台 インパクトはティーポットJS5が断然上↓↓ #F1-1976年 #1976 https://muuseo.com/FW12C/items/881?theme_id=35914
J.LAFFITE 1976 1回 26FW12C