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2000 12TH PMA ARROWS SUPERTEC A21 J.VERSTAPPEN
ヨス・フェルスタッペン 1年ぶりの復帰 直線番長 ARROWS SUPERTEC A21 前年度HONDAのテストドライバーから 2000年ヨスはアロウズでF1復帰 アロウズ(フットワーク)には1996年以来 チームメイトはペドロ・デ・ラ・ロサ エンジンは自社製(ハート)から ルノーベースのスーパーテックに変更 エグバル・ハミディがデザインしたA21は ドラッグの少ないスピード重視のマシン シーズン前のTESTから速さを見せ 本戦でも決勝レース中の最高速を17戦中 チームで7回も記録(ヨス4回 デ・ラ・ロサ3回) フェルスタッペンは高速コース R8カナダで決勝5位 R14イタリアGPで4位 日本では〖直線番長〗とも呼ばれた しかし信頼性は不足でリタイアは10回 年間では5ポイントでランクは12位 モデルはミニチャンプス GP仕様表記の無いRACE CAR仕様 フランスの大手携帯キャリア Orangeがスポンサーとなり車体もオレンジ ヨスのF1キャリア終盤を象徴する1台
240303 J.VERSTAPPEN 2000 19FW12C
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2004 19TH PMA JORDAN FORD EJ14 T.GLOCK
不屈のゲルマン魂 ティモ・グロッグ ジョーダンよりF1デビュー EJ14 ティモ・グロック ドイツ出身 2002年 ドイツF3 年間3位 3勝 2003年 ユーロF3 年間5位 3勝 2004年 ジョーダンテストドライバー R8カナダGP ジョルジオ・パンターノが 契約トラブルとなり代役で出場 チームメイトはニック・ハイドフェルド 予選はハイドフェルドの後16位 決勝はハイドフェルドの前11位完走 その後ブレーキダクト違反で ウイリアムズとトヨタ合計4台が失格 これに伴いグロックは7位に繰り上がり 幸運にも参戦初戦にて初入賞を果たした (2004年は8位までが入賞) グロッグのキャリア入賞回数は14 終盤3戦もジョーダンより出場 3戦すべて決勝15位で完走 グロックはレギュラーシートを獲得できず 次のF1は4年後の2008年トヨタとなる モデルはミニチャンプス カナダGP仕様 予選16位→決勝7位 この年初開催のバーレーンGPを祝し ジョーダンのエンジンカウルの スポンサー権をバーレーン政府が買い取り 毎戦違うメッセージを載せた 当該カナダGPはサーカス小屋と Arts Charity For Youth と書かれている
240209 T.GLOCK 2004 1.944FW12C
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1969 16TH SPARK (SILVIO MOSER RACING) BRABHAM BT24 S.MOSER
シルビオ・モーサー 自チーム立ち上げ キャリア2度目の入賞 BRABHAM BT24 シルビオ・モーサー スイス出身 1968年プライベートチームにて R5オランダGPで5位入賞 1969年は自チームを立ち上げ Silvio Moser Racingとして ブラバムの車体を購入して参戦 プライベートチームで競争力は低く 型落ちマシンで予選では常に下位争い R10アメリカGP予選18台中17位 決勝は完走6台のサバイバルを生き残り レース108周の10周遅れながら6位入賞 自チームをポイント獲得の歴史に名を刻んだ 翌1970年はグリエルモ・ベラシが製作した ベラシにマシンを変更して参戦したが 決勝は進出は1回のみ この年限りながらベラシという コンストラクタ―も記録上存在する シルビオ・モーサーは 1973年スポーツカーレース中に 残念ながら他界 享年33歳 モデルはスパーク R10 アメリカGP仕様 予選17位→決勝6位 プライベートカラーのオレンジの車体に リアウイングのイエローが際立つ1台
231227 S.MOSER 19 1/43FW12C
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1966 14TH SPARK (TEAM CHAMACO COLLECT)BRM P261 B.BONDURANT
F1史上 最少完走 1966年モナコGP ボンデュラント4位入賞 BRM P261 ボブ・ボンデュラント アメリカ出身 1965年北米シリーズ2戦にスポット参戦 アメリカGPはフェラーリで9位完走 1966年はプライベーター BRMのマシンで参戦 開幕戦モナコGP エントリーは16台 ボンデュラントは予選最下位 決勝はマシントラブル車が多発 12台のマシンがリタイアしたこのGPは F1史上最少の完走台数わずか4台 ボンデュラントは5周遅れながら 完走し4位入賞を果たした ボンデュラントはF1での入賞はこのGPのみ 1966年終盤2戦はイーグルで参戦 この年限りでF1からは去った その後ボンデュラントは ボンデュラント・レーシング・スクールを設立 レーシングドライバーの育成と共に ジェームズ・ガーナー ポール・ニューマン トム・クルーズ ニコラス・ケイジなどの 自動車映画の有名人を輩出した モデルはスパーク モナコGP仕様 ボンデュラント唯一の4位入賞 ヘルメット同様の黒に白のラインカラー このGPの優勝はジャッキー・スチュワート 3位グラハム・ヒルで 完走4台中3台がBRMのマシン
231207 B.BONDURANT 1966 19FW12C
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1999 11TH PMA PROST PEUGEOT AP02 J.TRULLI
トゥルーリ初の表彰台2位 PROST PEUGEOT AP02 前年度チーム唯一のポイント獲得 1999年もプロスト残留のトゥルーリ チームメイトはオリビエ・パニス シーズン全体で苦戦が続き 前半戦の入賞はR5スペインの6位のみ R14ヨーロッパGP 荒れたレースでスチュワートが ジョニー・ハーバートにより初優勝 トゥルーリは同じくスチュワートの バリチェロを抑えて初の2位表彰台 トゥルーリの通算表彰台は11回 チームプロストとしては 1997年以来の2度目の2位で チーム最後の表彰台となった トゥルーリは7ポイントで年間11位 翌2000年はジョーダンに移籍 モデルはミニチャンプス 当時はプレイステーションで F1ゲームソフト Formula One 99が 発売されていた関係もあり サイドポンツーンに同社のロゴがある
231202 J.TRULLI 1999 19FW12C
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1971 (35TH) SPARK MARCH 711 M.BEUTTLER
マイク・ボイトラー F1デビュー 1戦限りのワークス MARCH 711 マイク・ボイトラー イギリス出身 出生地はエジプト カイロ 1971年は友人が出資したチームである クラーク・モーダウント・ガスリー と名乗るプライベートチームで出場 地元R6イギリスGPから4戦出場 予選は16位~22位で通過するものの 決勝はリタイア→失格→周回不足→リタイア R10カナダGPのみマーチのワークスで出場 予選22位→決勝はあと1周足りず周回不足 モデルはそのカナダGPレインタイヤ仕様 ボイトラーは1973年までプライベターで 出場もF1ではポイント獲得ならなかった マーチ711はティートレイと呼ばれた 独特の楕円形状を持つフロントウイング フロントノーズ先端から支柱を伸ばして 取付されてた構造となっており 車体全体も丸みを帯びたスタイル そして真っ赤な車体に所せましと貼られた オイルメーカーSTPのロゴが目立つ1台
230506 M.BEUTTLER 19 1/43FW12C
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1998 16TH PMA PROST PEUGEOT AP01 "TOWER WING″ J.TRULLI
1998年開幕戦から不振であった チームプロストはこの年トレンドになりつつ あったタワーウイングを導入するも 大きな効果は得る事ができなかった 前チームリジェ時代の1996年より フランスのタバコのスポンサーが ジタン→ゴロワーズに変更 ゴロワーズタバコはアルタディス社が 1910年から発売するブランドで フランスではジタンと並び 最もポピュラーなブランド 日本でも購入することができ アニメなので非公式ではあるものの 名探偵コナンに登場する ジンや ルパン3世のルパンが ゴロワーズタバコ(類似のタバコ) を吸っている映像が存在する また かまやつひろし氏は1975年に 〖ゴロワーズを吸ったことがあるかい〗 という楽曲を発表しており 自身もゴロワーズを喫煙していた
230430 J.TRULLI "TOWER WING″ 2.222FW12C
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2001 16TH HOT WHEELS JAGUAR R2 P.DE.LA.ROSA
the story will be at a later date.
230326 P.DE.LA.ROSA 19 1/43FW12C
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1998 (25TH) PMA STEWART FORD SF-2 J.VERSTAPPEN
1998シーズン唯一のドライバ―入替 ヨス・フェルスタッペン STEWART SF-2 1998年シーズンは途中の ドライバ―入替があったのは スチュワートグランプリのみ ヤン・マグヌッセンがR6カナダで 初ポイントを獲得直後に契約解除 ヨス・フェルスタッペンに交代した 直前のテストでフェルスタッペンが 好タイムを出した事とFORDを含めた スポンサーからの意向が強かった為 フェルスタッペンは元々ティレルでの 参戦が有力であったがオーナー変更で リカルド・ロセットにシートを奪われた しかしSTEWART SF-2は戦闘力が無く 予選・決勝とも最高位は12位 完走も9戦中僅か3回でチームメイトの R・バリチェロと共に低迷した ヨス・フェルスタッペンは翌1999年は ポスルズウェイト率いるHONDAの プロジェクトのテストドライバー この入替のあった2人のドライバ―子息 マックス・フェルスタッペンと ケビン・マグヌッセンが2023年シーズに RED BULLとHASS所属で活躍しているとは この当時は全く想像できなかった #F1-1998年
230313 J.VERSTAPPEN 19 1/43FW12C
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1997 TEST ONYX TYRRELL FORD 025 T.TAKAGI
Mr.CRAFT 別注モデル 高木虎之介 TEST CAR TYRRELL FORD 025 1997年ティレルはかつてチームにも 所属した日本人ドライバ―中嶋悟率いる 中嶋企画と提携しテストドライバーに 高木虎之介を起用するとともに PIAA EPSONなどのスポンサーを獲得 高木虎之介は国内のフォーミュラニッポン にも参戦したが1勝のみランキングは6位 こちらはかつて東京 恵比寿にあった ミスター クラフトの別注モデル 型番がMC003となっている 1997年の1/23日のSILVERSTONE TESTの 仕様でEPSONのスポンサー未だ付いていない 恐らく日本の模型店が初めて 別注オーダーしたF1のモデルカー しかしONYXは1997年でF1モデルから撤退 ミスタークラフトも残念ながら2008年に閉店 #F1-1997年
221119 T.TAKAGI TEST CAR 19FW12C
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1984 17TH SPARK TOLEMAN TG184 S.JOHANSSON
ステファン・ヨハンソン F1初ポイント TOLEMAN TG184 1984年ティレルより途中参戦した S・ヨハンソンであったが 所謂 水タンク事件でティレルが活動休止 R14イタリアGPからはトールマンから出場 このGPは移籍問題に絡みチームがA・セナを 出走させなかった為にヨハンソンは カーナンバー19 急遽参戦のP・マルティニが20 予選17位→決勝4位入賞 F1初ポイント獲得 ヨハンソンの通算入賞回数は26回 終盤2戦はセナが復帰したため カーナンバー20で出場も予選ではセナに 大差で敗れ入賞はならなかった 翌1985年は再びティレルに1戦のみ戻り R2~はフェラーリで参戦する
221118 S.JOHANSSON 19 1/43FW12C
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1985 (31ST) IXO TOLEMAN TG185 T.FABI
トールマン チーム史上唯一のPP TOLEMAN TG185 テオ・ファビ トールマンチームはタイヤの供給問題で 1984年途中にピレリ→ミシュランに変更 1985年はミシュランが撤退 ピレリに戻れず グッドイヤーも供給拒否でタイヤが無い状態 開幕3戦を欠場する事態となった 嫌気をさしたオーナー テッド・トールマンは チームの撤退を示唆 ここに現れた救世主が イタリアのファッションブランド ベネトン トールマンだけでなく撤退予定のスピリットも 買収しスピリット分のピレリタイヤで参戦 ロリー・バーン作のTG185はテストでも 好タイムを出しており特に高速サーキットは トップクラスのスピードを持っていた R9ドイツGPでは前年度所属のA・セナでも達成 していないトールマン史上唯一の ポール・ポジションをT.ファビが獲得 2位のS・ヨハンソン(フェラーリ)に +1.187秒の差をつける大差のPP 決勝はクラッチのトラブルでリタイア その後も予選ではシングルグリット獲得も 信頼性不足で決勝はR12イタリアの12位が最高 ベネトンは個性的な広告キャンペーンの一環で マシンに国旗をあしらった何とも印象深い デザインを施し注目を浴びた 翌1986年からはチームベネトンとして参戦 個性的なデザインは継続され トップチームへと昇り詰める 足がかりとなった1台かもしれません #F1-1985年 #F1マシンコレクション
T.FABI F1マシンコレクション 19 141FW12C
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1976 15TH SPARK SURTEES TS19 A.JONES
アラン・ジョーンズF1 2年目 サーティス F1世界選手権イン・ジャパン4位入賞 1976年A・ジョーンズはサーティスの レギュラーシートを獲得 ニューマシンのSURTEES TS19の投入が遅れ ジョーンズの参戦はR3南アフリカGPより 予選は中段下位の15位~20位前後も 決勝はジョーンズの粘りの走りで完走率71% R5ベルギーGP 予選16位→決勝5位 R9イギリスGP 予選19位→決勝5位 最終戦のR16富士SWでも予選20位ながら 雨の中順位を上げてこの時TMの高原敬武が 摩耗したタイヤ交換の為順位を下げると チームがタイヤをいたわるよう指示を出し 結果シーズンベストの4位入賞を果たす ◆R16日本(富士SW)予選20位→決勝4位◆ ジョーンズのマシンのスポンサーは コンドームの世界シェアの約25%を占める イギリスのdurex(デュレックス)社 R16富士SWでは後にF1にも参戦する THEODORE(セオドール) RACINGが スポットスポンサーで付き フロントウイングには香港名の 〖徳利賽車隊〗と大きく貼られている モデルもR16富士SW仕様で 背面台紙がTHEODORE RACINGの 特別ロゴ仕様バージョンとなっている #F1-1976年 #徳利賽車隊 #F1
A.JONES 1976 19 1/43FW12C
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1984 9TH+α TOLEMAN TG184 A.SENNA (PORTUGUESE GP)
アイルトン・セナ 初年度最終戦 自己最高予選3位&3度目の表彰台 セナの初年度1984年最終戦は初開催の R16ポルトガルGP エストリル TMはステファン・ヨハンソン このGP限定の派手なカラーリングは ドイツの消防設備や消防車のトップメーカー MAGIRUSのスポンサーのによるも 予選はトップから0.233遅れの 初年度自己最高の3位を獲得 決勝はA・プロストとN・ラウダ(マクラーレン) ワールドチャンピオン争いの中 中盤戦は4位を走行中 52週目に N・マンセル(ロータス)がブレーキトラブルで 後退して3位浮上してそのままチェッカー 初年度で3回目の表彰台を飾り最終戦で T・ファビ(ブラバム) P・タンベイ(ルノー) N・マンセル(ロータス)を抜いて年間9位 セナはトールマンからロータスに移籍 このGPの2戦後の1985年R2同じポルトガルで 自身初の優勝を飾ります #1984 #F1マシンコレクション #F1
A.SENNA F1マシンコレクション 1回 19FW12C
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1994 (27TH) ELIGOR LARROUSSE FORD LH94 O.BERETTA
オリビエ・ベレッタ モナコ出身 モナコ出身のF1ドライバ―は 過去 C.ルクレール含め4人のみ 資金持ち込みによるシート確保 チームメイトはE.コマス R4モナコGP ベレッタの地元で 予選18位→決勝8位初完走 R8~R10まで3連続完走したところで 資金がなくなりシート喪失 R9ドイツの7位が最高 このGPでは捨てバイザーを外す際に 肩の関節をレース中に脱臼している ベレッタはF1はこの年のみ 2003年 2004年はウイリアムズの テストドライバーを務めている ルマン24時間は1996~2019年まで参戦 2013年はAFコルセで小林可夢偉とともに フェラーリ・458イタリアをドライブしている F1以外では非常に息の長いドライバ― #ELIGOR #1994 #F1
O.BERETTA 19 1/43 LARROUSSEFW12C