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1986 18TH SPARK OSELLA FA1F C.DANNER
初代国際F3000チャンピオン クリスチャン・ダナー OSELLA FA1F 1985年初代国際F3000チャンピオン 同年ザグスピードでデビューした クリスチャン・ダナー(ドイツ) 1986年はオッゼラより参戦 OSELLA FA1Fは1984年に作製された 実に2年落ちのマシン エンジンはアルファロメオターボV8 チームメイトはP・ギンザーニ ダナーはこのマシンで6戦出場 1回の予選落ち 他はすべてリタイア R6カナダGPではアロウズのM・スレールの 欠場により同チームからもエントリー 1レースで2チームから登録されたが オッゼラの登録の方が早く優先された ダナーはR7より正式にアロウズに移籍 R12オーストリアGPで6位入賞している ドイツのRACE LAND社の別注シリーズ OSELLA FA1F初の量販モデル化 #F1-1986年
230325 C.DANNER 400 22FW12C
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1984 (22ND) SPARK ATS D7 BMW TURBO F1 G.BERGER
ゲルハルト・ベルガー F1デビュー 2戦目6位入賞 ATS D7 BMW TURBO F1 オーストリア出身のG・ベルガーは 家業のベルガー運送の拡大の為 父の猛反対もあり一度はレース人生を諦めた 同郷のヘルルート・マルコ(現レットブル顧問)の 父への説得もありレース生活を再開 1983年ヨーロッパF3に参戦 マルコのツテもありBMWとのパイプもできた 1984年そのBMWを登載したATSより R12母国オーストリアGPでF1デビュー 予選20位→決勝12位 モデル仕様 ベルガーのF1参戦2戦目となった R14イタリアGPでは早くも6位入賞 生涯の入賞回数は95回 チームがマーカス・ヴィンケルホックの 1台エントリーだった為ポイントは対象外 翌1985年はBMWのアロウズからフル参戦 引退する1997年まですべての年で入賞する #F1-1984年
221124 G.BERGER 400 31FW12C
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1989 (DNPQ 47TH) SPARK EUROBRUN ER189 JUDD O.LARRAURI
ユーロブルン 参戦5戦で予備予選落ち オスカー ララウリ EUROBRUN ER189 1989年ユーロブルン 2年目 1台エントリーのグレガー フォイテクが離脱 R12イタリアGPから前年度所属の オスカー ララウリ(アルゼンチン)が 再度エントリー ニューマシンER189 イエガ-マイスターのスポンサーが徹底 マシンがオレンジからブラックに変わり 日本スポンサーのアルファが付いた しかしながら予備予選突破の4台の厚い壁に ぶつかりララウリは5戦全てで予備予選落ち この年限りでF1からは引退 ユーロブルンも撤退が噂されたが 翌1990年は2台体制 ロベルト・モレノ クラウディオ・ランジェスで参戦継続 モデルは日本GP仕様 予備予選14台中9位 マニアックなマシンのリリースが多い ドイツのRACE LAND 別注 #1989
O.LARRAURI 400 33 1/43FW12C
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1989 (DNQ 42ND) SPARK EUROBRUN ER189 JUDD G.FOITEK
グレガー・フォイテク ユーロブルンよりエントリー グレガー・フォイテク スイス出身 1988年 国際F3000 1勝 ランキング7位 イギリスGPは無理な追い越で 多重事故を引き起こし 翌年ベネトンでF1デビューの ジョニー・ハーバートの 右足複雑骨折の重傷を負わせた 1989年チーム2年目のユーロブルンより フォイテクは1台エントリー ユーロブルンはエンジンをジャッド タイヤをこの年復帰のピレリに変更 開幕戦ブラジルGPはブラバムの 2台に次ぐ3位で予備予選通過も 決勝は29位で進出ならず この後は全て予備予選不通過 R9ドイツGPよりニューマシンER189投入 メインスポンサーでドイツのリキュール イエガーマイスターを獲得するも 状況は改善せずにR11ベルギーGPで フォイテクはチームを離脱 イエガーマイスターも短期間で スポンサー支援打ち切った フォイテクはこの後リアルで出場も予選落ち 翌1990年ブラバムとオニクスで決勝進出する モデルはスパーク R9ドイツGP仕様 ドイツのレースランド社別注モデル フォイテクは予備予選11位/13台で不通過 予備予選の12位・13位はザグスピードの 鈴木亜久里とベルトン・シュナイダー
G.FOITEK 400 33 1/43FW12C
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1983 15TH SPARK ARROWS A6 M.SURER
スポットスポンサーGOLIA 1983年 イタリアGP ARROWS A6 1983年マルク・スレールはアロウズ2年目 チームメイトは①チコ・セラ→ ②アラン・ジョーンズ③ティエリー・ブーツェン 1983年はグランドエフェクトカーが禁止 所謂フラットボトム規定に適応した ニューマシンアロウズA6を開幕から投入 スレールはR4戦まで全戦完走 決勝5位2回 6位1回で5ポイント獲得 R7アメリカEAST GPは予選5位 これはスレールの生涯予選ベスト アロウズはこの年メインスポンサーが無く スポットスポンサーに合わせ カラーリングが毎戦変わり R13イタリアGPではイタリアで有名な キャンディのゴリア(GOLIA)がスポンサー 同社のキャンディーの包み紙が マシンに施されたインパクトのある1台 ドイツのRACELAND社の別注モデル スレールはこのGPは予選20位→決勝10位
M.SURER 400 29 1/43FW12C