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1991 (30TH) SPARK AGS JH25B G.TARQUINI (GP GERMAN)
AGS 後半戦カラーリング一新 ガブリエル・タルキーニ AGS JH25B 1991年AGSは地元R7フランスGPより 白ベースのカラーリングを変更 AGS発祥の地プロバンス地方の空を イメージしたブルー主体のカラー しかし新たなスポンサーも付かず 成績も振るわず後半戦は予備予選組 モデル仕様のR9ドイツGP タルキーニは予備予選を2位で通過 しかし予選は29位で決勝進出ならず この1991年ドイツGPは 中嶋悟のF1引退が発表 当時は速報誌GPX(山海堂)を購入していたが このGPはF1PRIX(双葉社)も購入 こちらの雑誌にはモデルのAGS JH25B タルキーニ車の写真が珍しく掲載(画像7) タルキーニは新車JH27で R13ポルトガルGPの予備予選3位で通過も 決勝はまたしても予選落ち R14スペインGP~フォンドメタルに移籍 AGSはR14スペインGPでタルキーニと トレードの形でO・グルイヤールを 起用も予備予選落ち このGPをもってF1から撤退した
230609 G.TARQINI 350 18FW12C
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1981 (23RD) SPARK MARCH 811 D.DALY
複雑怪奇 マーチ・レーシング デレック・デイリー MARCH 811 1980年イギリスのレーシングチーム RAMはウイリアムズFW07のマシンで 参戦していたが マーチ創設者の一人である マシンデザイナーのロビン・ハード手を組み 【マーチ・グランプリ】を設立 しかしこれは1970年代に参戦した 【マーチ・エンジニアリング】とは無関係 1981年ハードはRAMのF1参戦のために マシンをハードが持つ別会社 【マーチ・エンジンズ】にて設計 最終的にRAMレーシングが 【マーチ・レーシングチーム】として 70代とは違うマーチでの参戦と複雑 当初はE・サラザールとD・デイリーの 2台体制であったが連続の予選落ち サラザールがエンサインに離脱後 デイリー1名体制となりチームは改善 ポイント獲得はならなかったものの 決勝最高位はR9イギリスGPの7位 モデルはR10ドイツGP仕様 (予選21位→決勝リタイア) アイルランド発祥のビール醸造会社 Guinness(ギネス)がメインスポンサー #F1-1981年
D.DALY 350 17 1/43FW12C
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1982 (28TH) SPARK MARCH 821 J.MASS
マーチだけどマーチじゃない ヨッヘン・マス F1ラストイヤー 1982年1年F1を離れたヨッヘン・マスは マーチ・グランプリで復帰 このマーチはRAMが母体となっており 1970年代のマーチ・エンジニアリングと異なる この複雑な状況な為 マーチだけどマーチじゃないと 母国のイギリスでは言われている モデル仕様の開幕戦南アフリカGPは グリーンとブラックのカラーリングで メインスポンサーの1つとして フランス手巻きタバコ リズラ+が付いている しかしマスは個人契約で マールボロドライバ―の為 ヘルメットとスーツには同社のロゴが添付 更にこのマシンの後半戦はタバコの ロスマンズがスポインサーとなる マーチの名称 タバコスポンサーなど なんともややこしい1台が ヨッヘン・マスの最後年 ドイツのマニアック車リリースの レースランド別注シリーズ 🏁ヨッヘン・マス (ドイツ) 【決勝出走数】105回(入賞28回-表彰台8回) 【予選最高位】 4位(3回) 1976年 McLAREN R2南アフリカ 1976年 McLAREN R4スペイン 1977年 McLAREN R2ブラジル 【決勝最高位】 優勝 1975年 McLAREN R4スペイン #F1-1982年
230310 J.MASS 350 17FW12C
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1992 9TH SPARK TYRRELL 020B A.DE.CESARIS
A・チェザリス TYRRELL 020B R15日本GP 鈴鹿 シーズンベスト4位 1992年ティレルはエンジンが ホンダからイルモアに変更 パワーは劣るものの軽量コンパクト設計が TYRRELL020にマッチしてチェザリスが好成績 R15日本GP鈴鹿では予選9位→決勝4位 4位は1992年のシーズンベストリザルト チェザリスは1987年~1993年まで 生涯鈴鹿には7回出走も入賞はこの1回限り チェザリスの生涯入賞回数は22回で この中では決勝リザルト4位が一番多く7回 モデルは大阪モデルガレージROMUの別注 昨年までティレルのスポンサーであった 日本信販がスポットでコックピット前と リアウイングサイドに同社のロゴが付き 元々リアウイングサイドのユーロスポーツの ロゴがインダクションポッド横に移動している 1991年より約2年半 41GP使用された TYRRELL 020シリーズの最後の入賞モデル
230205 A.DE.CESARIS 350 4FW12C
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1990 11TH+α SPARK EUROBRUN ER189 JUDD R.MORENO
コローニから1990年はユーロブルンに R・モレノは移籍 TMはC・ランジェス R1アメリカ 予備予選を1位で通過 予選をなんと16位で通過 (17位はフェラーリ マンセル) 決勝は5週遅れの13位で完走 モデル仕様のR3サンマリノで 予選25位→決勝R 予選通過は2回のみ C.ランジェスは全戦予備予選落ち ユーロブルンは日本GP前に撤退 (全シーズン ノーポイント) 当時ほとんど情報の入らない謎のチーム しかしながらこの撤退が モレノの感動の2位につながります #1990 #F1
R.MORENO 350 33 1/43FW12C