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1963 10TH SPARK (SCUDERIA CENTRO SUD) BRM P57 L.BANDINI
プライベーターからフェラーリ移籍へ L.バンディーニ BRM P57 1963年 前年フェラーリでスポット参戦した ロレンツォ・バンディーニ(イタリア)は プライベーター BRMのマシンで R4フランスGPよりエントリー R5イギリスGP予選8位→決勝5位入賞 R6ドイツGP予選 BRMのワークスである G・ヒル R・ギンザーに勝ち予選3位獲得 この走りが認められて R7イタリアGPからはフェラーリに移籍 シーズン途中でフェラーリのシート獲得 フェラーリでは2度の5位 トータル5位3回で年間ランキングは10位 翌1964年はフェラーリに残留 モデルはスパーク R5イギリスGP仕様 このGPではBRMのマシンで出場の3人が 3位G・ヒル 4位R・ギンザー 5位バンディーニと 3人ともが上位入賞を果たした
240411 L.BANDINI 1963 3FW12C
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1963 4TH IXO FERRARI 156 F1 J.SURTESS〖🏆1〗
ジョン・サーティス 初勝利 マシン開発3年目 FERRARI 156 F1 1960年よりプライベータ中心に参戦した イギリス出身 ジョン・サーティス 1963年はフェラーリのエースに抜擢 チームメイトは①ウィリー・メレス ②ルドビコ・スカルフィオッティ ③ロレンツォ・バンディーニの 3名が数戦ずつエントリー エンジニア能力のあるサーティスは マシン開発面でもチームに貢献 R1モナコGP→4位 R3オランダGP→3位 R5イギリスGP→2位 R6ドイツGPでは予選2位より 終盤はトップを独走し初勝利 サーティスの通算勝利は6勝 フェラーリは約1年半ぶり勝利 ジム・クラーク(ロータス)の連勝を 4で止めた勝利でもあった 1961年導入のFERRARI 156は 初期から形を変えながら3年間使用され 翌1964年よりFERRARI 158が導入された モデルはIXO イタリア語で歴史を意味する La Striaシリーズ ブック型のスチール缶入りで 当時の写真と解説のミニブック付き サーティス初優勝のドイツGP仕様
231124 J.SURTEES La Stria 1963FW12C
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1963 13TH SPARK BRM LOTUS 24 J.HALL
シャパラル・カーズ創設者ジム・ホール F1唯一のフル参戦 BRM LOTUS 24 ジム・ホール アメリカ出身 石油探掘業を営む裕福な家庭に育ち 両親をで亡くしたのち遺産を引き継ぎ スポーツカーを購入してレース活動開始 1960年~1962年はプライベーターで 地元アメリカGPのみスポット参戦 1963年はBRMでロータスのマシンを使用 R5イギリスGP 予選13位→決勝6位 R6ドイツGP 予選16位→決勝5位 シーズン2度の入賞 後半は7戦連続完走 ホールのF1はこの年限り その後ホールはシャパラル・カーズを設立 1960年代に実験的で強力なレースカーを開発 アメリカのUSロードレーシング選手権(USRRC) カナダ-アメリカン・チャレンジカップ(Can-Am) ヨーロッパのスポーツカー世界選手権で活躍 1970年代末からCARTに挑戦しインディ500も制覇 モデルはSPARK 開幕戦モナコGP使用 ホールは予選13位→決勝リタイア クリームグリーンのカラーリングのマシン このGPはエントリー17台中 7台がLOTUSのマシンを使用している
231101 J.HALL 1963 12FW12C
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1963 16TH SPARK LOTUS 25 T.TAYLOR
最高位2位のドライバ―の1人 トレバー・テイラー LOTUS 25 トレバー・テイラーイギリス出身 1961年~1964年にかけて主にロータスで参戦 1962年開幕戦オランダGPで2位表彰台 F1最高位2位のドライバ―の一人 1963年もロータスに所属 ロータス25車体 クライマックスエンジン 開幕戦モナコGPで6位入賞 この年のワールドチャンピオン ジム・クラークは開幕戦のみ未入賞 ロータスの車体では7名のドライバ―が エントリーも入賞はテイラーのみ この年のテイラーの入賞は1回のみ 翌1964年はBRPに移籍 1965年は1戦限りでシャノンで走行している モデルはR5イギリスGP仕様 予選10位→決勝は失格 レースはチームメイトのクラークが優勝 クラークのマシンには特徴的な 黄色のストライプがこのGPより入るが テイラーはグリーンの単一色のまま SPARKの初期にリリースされたモデル
230823 T.TAYLOR 1963 5FW12C