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1993 (28TH) SPARK (宮沢模型)TYRRELL 020C YAMAHA U.KATAYAMA
片山右京 ティレル移籍 約3年落ちのマシン TYRRELL 020C 1993年ティレルはヤマハエンジンを獲得 1990年ブラバムヤマハのテストドライバーを 務めた経験もあり片山右京が移籍 チームメイトは残留のA・チェザリス 1993年のマシンTYRRELL 020Cは 1991年に中嶋悟がドライブした020の 改良版でモノコックはほぼ一緒 エンジンもヤマハはこの年は単独でなく ジャッドと提携でジャッドV10そのもの 右京は開幕から6戦連続リタイア ようやくR7カナダGPで決勝17位 R9イギリスGP決勝13位が2度目の完走 R10ドイツGPでニューマシン021が導入 1991年の開幕戦から41戦で使用された TYRRELL 020シリーズは役目を終えた モデルは宮沢模型別注のフィギアレス 開幕戦の南アフリカGP仕様 右京の持ち込みスポンサーの日本たばこ 【CABIN】のデカールは付属でなく別購入 日本の菓子メーカーカルビーがスポンサー継続 1993年のカルビーポテトチップスには裏面に ティレルF1の設計場面が描かれたものが発売 https://muuseo.com/FW12C/items/527?theme_id=31948
230507 U.KATAYAMA 3 1/43FW12C
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1997 (25TH) ONYX MINARDI HART M197 U.KATAYAMA
1997年日本GP 鈴鹿で引退発表 右京ラストシーズンMINARDI HART M197 片山右京は4年間所属したティレルを離れ MILD SEVENとともにミナルディに移籍 TMはルーキーのヤルノ・トゥルーリ トゥルーリ移籍後はタルソ・マルケス 開幕戦オーストラリア予選15位 決勝はモナコ・ハンガリーの10位が最高 TMのヤルノ・トゥルーリとは良好な関係で 右京の経験をつぎ込み若手育成に努めた 翌シーズンの残留の要請もあったが 後進にF1シートを譲りたいとの理由で 日本GP 鈴鹿のフリー走行後に引退を発表した こちらのモデルは大阪時代に 日本橋にあったNinomiyaで購入 Joshinのような電気屋で模型も扱いしてた記憶? 右京のF1通算出走回数は95戦 これは現在でも日本人歴代最多記録 🏁片山 右京 (日本) 決勝出走回数 95回 予選最高位 5位(2回) 1994年 ティレル R9ドイツ 1994年 ティレル R10ハンガリー 決勝最高位 5位(2回) 1994年 ティレル R1ブラジル 1994年 ティレル R3サンマリノ #F1-1997年
221008 U.KATAYAMA 20 1/43FW12C
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1996 (17TH) PMA TYRRELL YAMAHA 024 U.KATAYAMA
1996年唯一の日本人ドライバ― 片山右京 ティレル最後の4年目 1996年は1974年から続いた カーナンバーチーム固定が無くなり 成績順のカーナンバーに変更になった 前年度チャンピオン所属チームがNo.1・2 以降はコンストラクター順に割振り これに伴いティレルは1974年以来の使用の カーナンバー3・4から18・19に変更となった 鈴木亜久里の結果的引退と 井上隆智穂の開幕直前の離脱により 日本人唯一のドライバ―となった右京 新車発表会でTYRRELL 024モノコックに 右京が沈み込んでしまうほど着座位置が悪く ステアリング操作に支障が出るという 最悪なスタートから苦戦が続き 途中失格挟み7戦連続リタイアと精彩を欠いた R12ハンガリーの予選14位→決勝7位が最高位 最終戦R16鈴鹿もリタイアでシーズン終了 モデルはMINICHAMPSとONYXの2社から発売 1996年モデルで上記の2社発売はティレルのみ 4年間ともに過ごしたYAMAHAと袂を分かち合い 翌1997年はYAMAHAはアロウズ 右京はミナルディに移籍する #F1-1996年 #Tyrrell #1996年
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1995 (20TH) PMA TYRRELL YAMAHA 023 U.KATAYAMA
片山右京 ティレル3年目 不振のTYRRELL YAMAHA 023 1995年ティレルと右京は 前年の成功で期待されたシーズン しかし新兵器としてフロントに ハイドロリンクサスペンション なるものを導入したが不発に終わり 通常のサスペンション戻す有様 予選最高は開幕戦の11位→決勝R 決勝最高はR9ドイツの予選17位→7位 R13ポルトガルでは他車と絡み 激しいクラッシュで次戦を欠場 予選・決勝ともTM M・サロに遅れを取り ノーポイントでシーズン終了となった ONYXからは2台のモデルが発売 R1.2は全体がブルーベース R3戦以降のマシンのカラーリングは ブルーと白のコントラストで スポンサーロゴも映える形となった 画像1 PMA通常版 画像2 ONYXブラジルGP仕様 画像3 ONYXR3戦以降仕様 #1995年 #F1-1995年
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1994 17TH SPARK(宮沢模型) TYRRELL 022 YAMAHA U.KATAYAMA
片山右京のベストシーズン ティレル・YAMAHAの2年目 TMはマーク・ブランデル 開幕ブラジルGPにて初入賞5位 R3サンマリノ5位 R8イギリス6位 R9ドイツGPは予選5位(モデル仕様) これは当時の日本人予選の最高位 (以前は88年の中嶋のメキシコ・日本の6位) 決勝は一時2位走行(結果はリタイア) 一瞬でしたが表彰台・優勝の夢を見ました このドイツGPよりカルビーのロゴが CALBEE→Calbeeに変更しています R10ハンガリーでも予選5位 R13ポルトガル予選6位 しかし決勝にはつながらず 完走わずか4回 完走率25%に終わる 6枚目はPMAの通常版 7枚目はONYX モデルの車名が 直接台座に印字されている珍しタイプ #1994年 #F1-1994年
U.KATAYAMA 3 1/43 TYRRELLFW12C
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1993 (28TH) SPARK(宮沢模型)TYRRELL 021 YAMAHA U.KATAYAMA
1993年待望のニューマシン ティレル021投入 F1最後のCABIN ティレル021の投入は遅れR10のドイツから 予選の順位は20位前後と改善されず R11ハンガリーの決勝10位がベストリザルト 唯一の見せ場はR15日本GPでの予選13位 決勝ではフットワークの 亜久里とのバトルは地元を沸かせたが 26週目にエンジンが壊れリタイヤ F1での日本たばこ【CABIN】ブランドの スポンサーはこの年で終了 マイルドセブンより【CABIN】の方が 個人的にはロゴとカラーが好きでした 宮沢模型別注ドライバ―レス R15日本GP鈴鹿仕様のモデル #1993年 #F1-1993年
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1992 (25TH) SPARK VENTURI LARROUSSE LC92 LAMBORGHINI U.KATAYAMA
大阪ROMU別注モデル #1992年 #F1-1992年
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