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1987 21ST SPARK AGS JH22 R.MORENO
AGS= Automobiles Gonfaronaises Sportives 当時 何の略なのか気になり調べて 念仏のように唱えて覚えました AGSは1986年~1991年の6年間の参戦で ポイント獲得は6位が2回のみ 1989年R4メキシコ G.タルキーニと 1987年R16オーストラリアのR.モレノ R.モレノはP.ファブルに代わり 終盤2戦をAGSで参戦し R16オーストラリアでは 予選25位から完走9台のサバイバル を生き残り自身も初の6位入賞 しかしこの時のサラリーやホテル代等が チームより支払いがされなかった為 後に裁判沙汰となりました EL CHARRO(ファッションブランド)の スポンサーの影響でどちらかと言うと インディーカーのようなカラーリング R.モレノは1987年 AGS 1989年コローニ 1990年ユーロブルンに所属 この3チームは歴代の予備予選落ちワースト3 1位 コローニ46回 2位 AGS45回 3位 ユーロブルン38回 R.モレノはこのような下位チームで 奮闘している姿がとても好感が持てます #F1-1987年
R.MORENO 14 1/43 AGSFW12C
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1992 (35TH) SPARK ANDOREA MODA S921 R.MORENO
元々は後のシムテック設立のニック・ワースが BMW単独のF1参戦計画にデザインしたマシン イタリア人のアンドレア・サセッティが コローニを買収してこのデザインを買取り参戦 ほとんどまともに走れない中 R6モナコで予備予選通過 そして26位ながら決勝進出 決勝はリタイア(モデル仕様) その後チームはオーナーの逮捕等も ありF1から追放される R・モレノのモナコ 力走が唯一の決勝 シンプルでキレイなデザインで チームがチームなら もう少し活躍できたマシン 決勝は1度のみの短命チームですが アンドレアモーダの名前だけは メジャーマイナーチームとして記憶されました #1992 #F1
R.MORENO 34 1/43 ANDOREA MODAFW12C
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1991 10TH+α PMA JORDAN FORD 191 R.MORENO
ベネトン解雇のロベルト・モレノ ジョーダン2戦のみの出走 1991年途中ベネトンを解雇された持参金を元に M・シューマッハと交換の形で ジョーダンに移籍します R12イタリアGPモンツァでは TMのチェザリス(14位)を 上回る予選9位を獲得も決勝はリタイア 出走は次戦R13ポルトガルと2戦のみで ザナルディにシート奪われます 残念ながら前年感動の2位の鈴鹿には 戻ってこれませんでした 最終戦オーストリラはミナルディから出場 こちらのモデルはA・チェザリス B・ガショーの GP仕様のニューリリース時の発売 限定数が220とかなり少ないモデル ONYXはなぜか日本GP仕様のPEPSIになってます #1991 #F1
R.MORENO 220 32 1/43FW12C
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1991 10TH PMA BENETTON FORD B191 R.MORENO
#1991 #BENETTON #F1
R.MORENO 1.500 19 1/43FW12C
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1990 11TH+α SPARK EUROBRUN ER189 JUDD R.MORENO
コローニから1990年はユーロブルンに R・モレノは移籍 TMはC・ランジェス R1アメリカ 予備予選を1位で通過 予選をなんと16位で通過 (17位はフェラーリ マンセル) 決勝は5週遅れの13位で完走 モデル仕様のR3サンマリノで 予選25位→決勝R 予選通過は2回のみ C.ランジェスは全戦予備予選落ち ユーロブルンは日本GP前に撤退 (全シーズン ノーポイント) 当時ほとんど情報の入らない謎のチーム しかしながらこの撤退が モレノの感動の2位につながります #1990 #F1
R.MORENO 350 33 1/43FW12C
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1990 11TH ONYX BENETTON FORD B190 R.MORENO
#1990 #F1
R.MORENO 20 1/43 BENETTONFW12C